台湾
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台湾(タイワン、たいわん、繁: 臺灣/台灣; 簡: 台湾; 英: Taiwan)は、東アジアの島(台湾島)、およびそれを中心とした地域の名前であり、フォルモサ(葡: Formosa)という別称がある。全域が中華民国の実効支配下にある。
概要
台湾島の面積は日本の九州よりやや小さく、海を隔てて東北に日本、南にフィリピン、北西に中華人民共和国がある 。
台湾は長年の移民により多民族が共生する地域となっており 、現在の台湾島には元々台湾に住んでいる台湾原住民の他に、漢民族系の閩南人・客家人・外省人や、日本人・オランダ人・ポルトガル人・スペイン人など様々な民族が住んでいる。各民族は多様性や多元論の原則に従って共存している。
中華民国の首都である台北市をはじめとした新北市・桃園市・台中市・台南市・高雄市の6つの直轄市は合わせて「六都」と呼ばれ 、台湾の大都市圏を構成している。台湾の経済は半導体・ウェハー・ビデオカード・CPU・ノートパソコン・スマートフォン・人工知能をメインとして、ハイテク・IT産業・電子工学の分野で世界の最先端となっている。台湾製品は世界シェアの多くを占め、毎年世界から巨額の資金を吸収しつつ、中国・日本・スイスに次ぐ世界第4位の外貨準備高を有している 。そのため、台湾の一人当たり実質GDPは非常に高く、2009年からは日本を上回り、2023年現在では日本の1.4倍程度となっているほか、ドイツ・フランス・イギリスを含む多くのヨーロッパの国々も超えている。2023年からは一人当たり名目GDPでも日本を上回っている 。
公用語は中国語の一種である「国語」であり、中国大陸(中華人民共和国)の中国語「普通話」とは多少の差異があるが、基本的には意思疎通が可能である。国語と普通話の最大の違いは文字(漢字)にあり、中国大陸では「簡体字」を使う一方、台湾では従来の「繁体字」を使う。繁体字は日本での「旧字体」に近いが、字体や用字法が一部異なる。台湾で一般的に話されている言葉は国語ではなく「台湾語」と「台湾国語」である。台湾語は台湾総人口の7割を占める「閩南人」の言葉で、中国大陸の中国語(官話)とは大きく異なる。台湾国語は中華民国国語を中心に、台湾語・客家語・日本語・オランダ語・原住民語の要素が加わって形成された言語であり、多民族の国民の間の共通語として使われている。
台湾の歴史は世界的にも複雑と言われている。16世紀以前の台湾島は台湾原住民が住んでおり、17世紀前半にはスペインとオランダ、1662年から1895年までは明や清などの中華王朝、1895年から1945年までは大日本帝国、1945年以降は中華民国の統治を経て、台湾人はこの歴史の流れから複雑な愛国意識が生まれた。
「台湾」の定義
台湾は複雑な歴史を持つため、そもそも台湾の定義に関しても定論がなく、以下に主な5つの例を挙げる:
- 例1. 島嶼としての台湾
- 台湾島のみを指す。総面積は35,886 km2 (13,856 sq mi)。
- 例2. 列島としての台湾
- 台湾島を中心として蘭嶼など77の付属島嶼からなる。総面積は35,980 km2 (13,892 sq mi)。
- 例3. 狭義の地域概念としての台湾
- 1885年に清朝が新設した福建台湾省に属し、1895年から1945年まで日本が統治していた地域を指す。具体的には、台湾島と付属島嶼、および澎湖諸島から範囲が構成されている。総面積は36,015 km2 (13,905 sq mi)。
- 例4. 広義の地域概念としての台湾
- 中華民国政府が1955年以降も引き続き実効支配している地域を指す。具体的には、台湾島と付属島嶼、澎湖諸島、中国大陸沿岸の馬祖列島、烏坵島と金門島、南シナ海の東沙諸島、および南沙諸島の太平島と中洲島から範囲が構成されている。総面積は36,197 km2 (13,976 sq mi) 。
- 憲法上の公式な名称は「中華民国自由地区」。法令・公文書等では他に台湾地区、台澎金馬とも表記される。なお、福建省に属する島々を狭義の地域としての台湾と区別して金馬地区(きんまちく、金門島と馬祖列島の頭文字に由来)と呼称することもある。この範囲は、国共内戦の結果中華民国が1955年に浙江省・大陳列島の領有権を喪失したことで確定した。現在に至るまで国共内戦は公式な終戦・停戦が為されていないが、これ以降中華民国政府の実効支配範囲に増減は生じていない。
- 例5. 政治実体としての台湾
- 1949年の中華人民共和国建国後も引き続き存続している中華民国を、正式な国家ではなく「台澎金馬という一つの地域を統治する政治的実体」として扱う政治的な概念。これは、国共内戦を経て中国が社会主義陣営の中華人民共和国と自由主義陣営の中華民国とに分裂したことで発生した概念である。
- 本来、「中国統治の正統性を唯一有する国家」は中華民国のみであったが、中華人民共和国が成立したことにより、「中国統治の正統性を唯一有する国家」を自称する2つの政治的存在が並立し、それぞれが相手方の国家としての正統性を否定する事態となった。その後、冷戦下における微妙な軍事・政治バランスの中、1971年に国際連合で中華人民共和国が「中国」の代表権を取得すると、多くの国が中華人民共和国を「正統な中国政府」として承認し、中華民国を正式な国家として扱わなくなった。だが、国交断絶以降も中華民国との非公式な関係維持を望む資本主義陣営のアメリカ合衆国や日本国等の国々では、中華民国が実効支配している地域を中華人民共和国の統治地域とは別個の「地域」と判断して、「台湾」という地域名称で呼称し始めた。
名称の由来
台湾の語源は不明確で、原住民シラヤ族の言語の「Tayouan(ダイオワン)」(来訪者)という言葉の音訳とも、また、「海に近い土地」という意味の「Tai-Vaong」や「牛皮の土地」という意味の「Tai-oan」、「人間の場所」という意味の「Tayw-an」とも言われている。 大員(台湾語発音:Tāi-uân)(現・台南)が ダイワンと呼ばれており、そこにオランダ人が最初に入植したためとも見られている。いずれにしても原住民の言葉が起源と見られ、漢語には由来していない。中国の文献に台湾が台湾(台湾語発音:Tâi-uân)と呼称されるようになったのは清朝が台湾を統治し始めてからのことである。
別称
台湾島には、フォルモサ(Formosa) という別称があり、現在でも欧米諸国を中心に使用されることがある。これは「美しい」という意味のポルトガル語が原義であり、16世紀半ばに初めて台湾沖を通航したポルトガル船のオランダ人航海士が、その美しさに感動して「Ilha Formosa(イーリャ・フォルモーザ=美しい島)」と呼んだことに由来するといわれている。なお、フォルモサの中国語意訳である美麗島や音訳である福爾摩沙を台湾の別称として用いることもある。
ちなみに、日本では高山国(こうざんこく)、もしくは高砂国(たかさごこく)と呼んだ。高山国や高砂国などは「タカサグン」からの転訛という。これは、商船の出入した西南岸の「打狗山」(現・高雄)がなまったものと思われる。正式の使節ではないが、タイオワン事件に関して、原住民が「高山国からの使節」として江戸幕府3代将軍徳川家光に拝謁したこともある。
中国による呼称の変遷
『漢書地理志』の中に「会稽海外有東鯷人、分為二十余国、以歳時来献見……」との記載があり、一部の学者は東鯷とは台湾を指す名称であると主張している。しかし漢代の中心地は中原と呼ばれる、長安および洛陽を中心とする地域であり、福建省や広東省の沿岸地帯(河洛)にまで至ることは非常に稀であった。ゆえにその東岸にある島嶼を正確に記録したとは考えにくく、東鯷とは海上の島嶼群を漠然と示した名称であると考えられ、台湾の呼称と即断することは困難である。
三国時代には、沈瑩著『臨海水土志』と陳寿著『三国志』呉志の孫権伝の部分に記述が見られる。 『臨海水土志』に、「夷州在浙江臨海郡的東南、離郡二千里、土地無霜雪、草木不枯、四面皆山、衆山夷所居。山頂有越王射的正白、乃是石也。」「部落間互不相属、各号為王、分割土地……」、および
とあり、『孫権伝』には、
とある。これらの場合の夷州は台湾島の特徴に合致する。またこのような島嶼は中国南部の沿岸には台湾島以外に見当らないため、この時代には中国文明が台湾を認識していたと考えられている。
隋末から宋までの600年間、中国の文献の中で台湾の記事が出現しない空白期間を迎える。元代になると再び記録に台湾が出現するようになる。明代の記録である『東西洋考』『閩書』『世法録』では台湾を東蕃、と呼んでいる。周嬰在が表した『東蕃記』では台員、何喬遠が表した『閩書島夷誌』では大員、張燮の『東西洋考』では大円、何喬遠の『鏡山全集』では台湾、沈鉄的奏折の中では大湾のように様々な呼称が与えられている。また福建沿岸の民衆は台湾南部を毗舍耶、中原の漢族は台湾北部を小琉球と呼んでいる。
明の太祖・朱元璋の時代になると、琉球という呼称は沖縄・台湾双方を指す語として使われ続けたため、両者の区別に混乱が生じた。沖縄を大琉球、台湾を小琉球と呼ばれるようになるが、その後名称に混乱が生じ、小東島、小琉球、雞籠、北港、東番のような名称が与えられていた(地理そのものが知られていなかったので、これらが台湾全島を含んだとは限らず、台湾を中心とした概念だったかもわからない)。明末に鄭成功が台湾に建てた鄭氏政権時代になると、鄭氏政権は台湾を「東都」「東寧」などと呼ぶようになった。なお、「大員Tai-uan/ダイワン」の呼称が用いられるようになると、いつしか台湾近くにある琉球嶼(屏東県琉球郷)を指して「小琉球」と呼ばれるようになり、台湾と琉球嶼との間で両者の区別に混乱が生じている例もある 。
このような名称の変遷を経て、清が台湾を統治し始めた後に、原住民の言語を語源とする台湾が使われるようになった。
歴史
16世紀以前の台湾島は台湾原住民がが居住していたが、統一的な文化が生み出されず、南部に大肚王国という地方政権が存在するのみであった。
17世紀前半ではポルトガル・スペイン・オランダなどの西洋諸国は台湾を開拓地として建設し、キリスト教の教会や、赤崁楼に代表される洋風な赤レンガの建築を多く建設した。資源豊かな台湾島は17世紀の大航海時代の影響で開発され、特にオランダを中心とした西洋文化を取り入れ、文明が発展していった。
1662年、漢人の鄭成功は台湾のオランダ植民者を追放し、台湾島を明朝再興派の拠点とし、台湾島初の政治的実体である東寧王国を設立した。1683年、漢民族国家の明に取って代わった満洲民族の清は東寧王国も征服して、台湾を清朝に併合した。1662年から19世紀まで中国大陸から多くの漢人が台湾島へ移住し続けた。これにより台湾の漢人の人口は増加し、原住民の総数を超えて台湾の過半を占める民族となった。仏教・道教・中華料理・繁体字などの中華文化もこの時期に台湾へ持ち込まれた 。
1895年(明治28年)、日本が日清戦争で清に勝利し、結果として下関条約が締結されると、台湾島・澎湖諸島が日本の領土となった。台湾は日本初の植民地として神社や和風の木造建築が建設された 。当時の日本は台湾島に台湾総督府を設置して台湾を本土並みに整備し、世界最先端のインフラ整備を行った。
1945年(昭和20年)、第二次世界大戦の末に日本はアメリカや中華民国に降伏し、台湾は当時中国大陸を代表する政府であった中華民国国民政府の統治下に入った。中華民国は1943年にカイロ宣言で台湾(台湾島・澎湖諸島)を「日本が清から盗取した中華民国に返還すべき地」と定めた。中華民国は台湾総督府を解散させ、台湾島と澎湖諸島を合わせて「台湾省」として中華民国に編入した。これを台湾光復と呼ぶ 。
しかし中華民国は1949年に第二次国共内戦で中国共産党に敗れ、ほとんどの大陸の領土を失って台湾に撤退した。最終的に中国大陸の領土は金門島・馬祖島の2つしか維持できず、政府を中国大陸の南京からから台湾の台北へと移転した 。こうして中華民国は「日本から接収した台湾省の台湾島・澎湖諸島」と「もともと中国領だった福建省の金門島・馬祖島」の4つの地域で構成され、いわゆる「台湾地区(台澎金馬)」となった 。台湾人も中華民国の体制下で「台湾」と「中華民国」の間でアイデンティティが揺らいでいる。このような歴史から、現在の台湾は「中華民国」という国名で国際社会に存在している。
1971年、国連における中国の議席はアルバニア決議によって中国共産党の中華人民共和国へ継承されることになり、中華民国政府はこの決議に抗議して国連から脱退した。この決議によれば、中華民国の「中国を代表する資格」は中華人民共和国に継承されたが、「中華民国の領土」や「台湾の帰属」に関しては何の法的結論も出さないとされた 。しかし、中華人民共和国側は一つの中国方針に基づき、「アルバニア決議で中華人民共和国が中華民国の立場を継承した。さらにカイロ宣言に基づいて台湾は日本から中華民国に返還されたのだから、台湾全域は中華人民共和国の台湾省である」と主張している 。ここから発生した台湾と中国の間の論争を総じて「台湾問題」と呼ぶ。
台湾を「中華民国の本土と見なすか否か」、また「台湾独立、華独、台湾の定義、台湾地位未定論、法理独立、中国脅威論」などの論点をめぐり、台湾本土派の民主進歩党と中国大陸から渡った中国国民党は1990年代から厳しい対立を始めた。1992年の台湾民主化以降、中華民国は中国大陸での主権を取り戻すことを完全に放棄し、台湾での発展のみを専念するようになった。若い世代の台湾人はこの影響を受け、中国文化よりも親しみの深い台湾の原住民文化・客家文化・閩南文化への関心が強まっている。本土派や民進党の勢力も急速に強まり、台湾では自分を中国人ではなく台湾人と認識するアイデンティティが強まっている 。
今の台湾の政局には、台湾の中華民国からの独立を目指す「泛緑連盟」と、中国大陸との統一を目指す「泛藍連盟」の二大陣営が存在している。泛緑連盟は主に民主進歩党、台湾基進、社会民主党、台湾緑党、台湾団結連盟で構成され、親米日・反中の政策を行っている 。一方、泛藍連盟は主に中国国民党、親民党、台湾民衆党で構成され、親中・反米日の政策を行っている 。どちらにも所属しない中立派としては、時代力量が主に挙げられる。
タイムライン
経済と人権の発展
20世紀後半に台湾は急速な経済成長および工業化を経験し、現在では先進国である。1980年代および1990年代初頭、普通選挙で複数政党制民主主義に発達した。台湾はアジア四小龍の一角であり、WTOおよびAPEC加盟地域である。世界第19位の経済規模を有し 、世界経済においてハイテク産業は重要な役割を担っている。
台湾は言論の自由、報道の自由・医療 ・公教育・経済的自由・男女平等・人間開発の観点から上位に順位付けされている 。米国の国際人権団体「フリーダムハウス」が発表した2022年版の「世界の自由」報告の自由度格付けで、台湾はアジア2位となった 。米国とカナダのシンクタンク、ケイトー研究所とフレーザー研究所が共同で公表した2022年人間の自由度指数は世界14位 、英誌エコノミストの調査部門「エコノミスト・インテリジェンス・ユニット」(EIU)が発表した2022年民主主義指数は10位で、どちらもアジア最高位であった 。世界で最も裕福な国トップ29では、台湾は世界で19番目に裕福な国である 。
行政院主計総処(日本の総務省統計局に相当)が国民生活の豊かさを示す「人間開発指数(HDI)」を台湾に当てはめて算出した結果によると、同指数の最新の2021年ランキングで191の国・地域中トップ3はスイス、ノルウェー、アイスランドで、台湾は世界19位(0.926、超高度人間開発国である)であった。アジア太平洋地域では、台湾はシンガポール(世界12位、0.939)に次いで2番目に高い順位となった 。また、台湾のジェンダー不平等指数(GII)は0.056ポイントで、161カ国中、性別による損失が少ない国として、世界8位、アジアでは首位にランクされている 。
世界で最も総合的な報告書の一つである『Expat Insider 2022』によると 、台湾は外国人から最もクオリティ・オブ・ライフ(生活の質、英: quality of life、QOL)が高いと判断された国の順位で世界2位となった 。