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B型インフルエンザウイルス(ビーがたインフルエンザウイルス、Influenzavirus B)とはオルソミクソウイルス科のB型インフルエンザウイルス属に属する唯一の種である。

B型インフルエンザウイルス

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B型インフルエンザウイルス(ビーがたインフルエンザウイルス、Influenzavirus B)とはオルソミクソウイルス科のB型インフルエンザウイルス属に属する唯一の種である。

B型インフルエンザウイルス
分類
: 第V群(ss-RNA
: オルソミクソウイルス科
Orthomyxoviridae
: B型インフルエンザウイルス属
Influenzavirus B
: B型インフルエンザウイルス
Influenza B virus

歴史

1940年アメリカで新たなインフルエンザウイルスが発見され、B型インフルエンザウイルスと命名された 

1987年オーストラリアビクトリア州で分離されたビクトリア系統、1988年に日本の山形県で分離された山形系統の2系統が存在する 

解説

B型インフルエンザはヒトアシカ亜目のみに感染して インフルエンザを引き起こす。構造的に類似して共に抗原連続変異遺伝子再集合が認められるA型インフルエンザと比較してB型インフルエンザパンデミックが発生しない理由としては宿主域が狭いためであると考えられている   

脚注

  1. 「新型カゼが流行」『日本経済新聞』昭和25年12月13日3面
  2. 「山形系統」の名の由来”. ウェザーニュース. 2020年2月4日閲覧。
  3. Osterhaus AD, Rimmelzwaan GF, Martina BE, Bestebroer TM, Fouchier RA (2000). “Influenza B virus in seals”. Science 288 (5468): 1051–3. PMID 10807575.
  4. Hay AJ, Gregory V, Douglas AR, Lin YP (2001). “The evolution of human influenza viruses”. Philos. Trans. R. Soc. Lond., B, Biol. Sci. 356 (1416): 1861–70. doi:10.1098/rstb.2001.0999. PMID 11779385.
  5. Matsuzaki Y, Sugawara K, Takashita E, Muraki Y, Hongo S, Katsushima N, Mizuta K, Nishimura H (2004). “Genetic diversity of influenza B virus: the frequent reassortment and cocirculation of the genetically distinct reassortant viruses in a community”. J. Med. Virol. 74 (1): 132–40. doi:10.1002/jmv.20156. PMID 15258979.
  6. Lindstrom SE, Hiromoto Y, Nishimura H, Saito T, Nerome R, Nerome K (1999). “Comparative analysis of evolutionary mechanisms of the hemagglutinin and three internal protein genes of influenza B virus: multiple cocirculating lineages and frequent reassortment of the NP, M, and NS genes”. J. Virol. 73 (5): 4413–26. PMID 10196339.

東京都生まれ。1962年に慶應義塾大学商学部を卒業し東急エージェンシーに入社するも、1964年に退社。 1974年に「アメリカンドリームを求め」て渡米、ロサンゼルスを本拠に天下一家の会の活動に従事し有罪判決を受ける。保護観察の後、畳や布団を全米各地で売り歩く等の事業を展開。1986年にハワイに渡り、先住ハワイアンの土地奪還請求運動を支援(後述)、1994年パラオが米国から独立後、同国国会アドバイザーに任命されたと自称。1995年帰国。

増田俊男

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増田 俊男(ますだ としお、1938年4月18日 - )は、日本著作家、時事評論家投資家

投資顧問会社サンラ・ワールド」最高顧問。月刊「力の意志」 編集主幹。グローバル・レインボーシップ相談役

略歴

東京都生まれ。1962年慶應義塾大学商学部を卒業し東急エージェンシーに入社するも、1964年に退社。

1974年に「アメリカンドリームを求め」て渡米、ロサンゼルスを本拠に天下一家の会の活動に従事し有罪判決を受ける。保護観察の後、や布団を全米各地で売り歩く等の事業を展開。1986年にハワイに渡り、先住ハワイアンの土地奪還請求運動を支援(後述)、1994年パラオが米国から独立後、同国国会アドバイザーに任命されたと自称。1995年帰国。

出資法違反疑惑と強制捜査

執筆活動の傍ら、知人の江尻真理子(後に結婚、妻となる)が社長を務める投資顧問会社サンラ・ワールド」(以後サンラ社と記述)を事務局とする会員制投資クラブに関係。2000年5月、自らを会長とする「サンラ国際信託銀行」をパラオにて設立し、金利10%以上をうたった定期預金をクラブ会員へサンラ社経由で勧誘する。2005年、「サンラ国際信託銀行」は営業許可を取り消されるが、サンラ社は事実を公表せず出資募集を継続する。

ハワイ元州知事ジョン・ワイヘエと組みコーヒー園を所有・経営してサンラ社経由で出資を募るも、コーヒー園は経営破綻し配当が止まる。カナダIT企業の未公開株購入を長期間勧誘するも、経営成績が向上せず上場計画も二転三転しながら延期が繰り返されるなど不透明が続くが、同IT企業は2010年2月、株式上場される。

これら一連の投資への勧誘で約200億円の資金を集めるが償還期限後も大半が返済不能状態になり、不特定多数からの預かり金を禁じた出資法違反の罪により、一部投資家から警視庁告訴される。2010年2月3日、サンラ・ワールド本部や増田私邸など数カ所が、警視庁生活経済課に家宅捜索される 

2007年、約6200万円分のカナダIT企業未公開株売買を仙台市の医師ら10人に仲介した金融商品取引法違反(無登録営業)容疑で在宅起訴され、2012年1月27日、懲役1年6月執行猶予3年・罰金300万円の有罪判決が言い渡される。

民事裁判

これら事案に関連し仙台市青葉区在住の女性が、「価値の無い未公開株を大量に購入させられた」などとして、増田らを相手取り仙台地方裁判所へ訴訟を提起する。2010年11月10日、増田らに対し計約4,250万円の支払いを命じる判決が言い渡される 

評論・執筆活動

渡部昇一船井幸雄などとの共著をはじめとして、多くの著書が存在している。また、2008年1月号まで会員制月刊誌「力の意志」(サンラ・ワールド発行)の編集主幹を務めた。同誌には各界の学者や文化人が寄稿している。一方、学者や文化人側が同誌に執筆したことをアピールすることもある。例えば新しい歴史教科書をつくる会会長の藤岡信勝は自らのブログに執筆論文を転載し、「同誌と増田俊男氏に謝意を表します」と書いている 。 評論活動においては「2004年に日経平均株価が3万円に達する」などの発言が有名であり、「急騰」「バブル」といった語句を多用する。著書のタイトルにはそのような語句を使用することが多い。

  • 財政均衡が間違いであることは1971年8月15日ブレトンウッズ体制が崩壊し為金本位制を廃止した時点で認識されるべきであった。アメリカは世界最大の債務国になり20兆ドルの赤字を拡げ続けているが実際に財政破綻などになったことはない。 アメリカでは納税はタックス・リターンと言う政府支出に対する返還を意味する。納税とは国民資産を政府に返還することであるから予算支出前に徴税収するのは本末転倒である。
  • 中央銀行制度は市場に上場されている株式会社で政府から独立した機関である。中央銀行が通貨発行の自由裁量権を持っていて中央銀行オーナー株主が債権者として政府に通貨を与え恒常的に債務者になり中央銀行が恒常的債権者になる制度で政府の富を搾取している制度である。株主はFRBBOEも同じ国際金融資本である。
  • 1951年9月8日サンフランシスコ講和条約と同時に日米安保条約が締結され、条約で在日米軍の対日占領の不変を認めているのである。こうした日本の主権の真実を隠して見せかけの独立を国民に信じさせてきた。
  • 在日北朝鮮拉致問題は日本と北朝鮮を分断すると共に、南北朝鮮統一後、アジアを統一朝鮮対日本の対立にする為に必要な措置である。日本を朝鮮和平非核化から除外されれば南北朝鮮が統一され北朝鮮の核ミサイルはアメリカと韓国にとって脅威ではなく日本にとってのみ脅威になる。選択肢の無い日本は挙句の果て沖縄米軍撤退、拉致家族解放の身代金名目で南北統一資金を取られ、統一韓国から核ミサイル脅威に晒される事態になる。

その他

  • 赤穂浪士早水藤左衛門の末裔と自称している 
  • 著書『ハワイ王国独立と日米総合戦争』では、1986年にハワイに渡り先住ハワイアンの土地奪還請求運動を支援、法廷闘争で返還に成功させたと自称。「カメハメハ6世」より授けられたという「ハワイ王国全権大使」なる肩書きを使用している。但し、カメハメハ王朝はカメハメハ5世で断絶している。

主な著書・共著

  • ハワイ王国独立と日米総合戦争』(飛天出版)1993年
  • 『日本はどこまで喰われ続けるのか : 個人資産倍増のヒント』船井幸雄との共著(徳間書店)1998年
  • 『日本はこれから良くなる: アメリカが逆立ちしても日本に勝てない理由』渡部昇一船井幸雄との共著(徳間書店)1998年
  • 『資本の意思が日本を復活させる : それは株高、円高金利高を演出する』(徳間書店)1999年
  • 『目からウロコおカネ儲けの法則 : 最小資本で最短時間に最高の利益を上げろ』(ビジネス社)1999年
  • 『目からウロコ おカネがお金を産む時代: 今こそ株と為替で儲けるチャンスだ』(太陽企画出版)1999年
  • 『沈むアメリカ・浮上する日本 : 「円高・株高・景気回復」のミレニアムへ!』(風雲舎)2000年
  • 『破壊と創造のサイバー資本主義』(太陽企画出版)2000年
  • 『負けながら勝ってしまう日本 : 「資本の論理」が繁栄を導く』(PHP研究所)2000年
  • 『この夏上がる、買っていい株100 : チャート付き完全データ集』(サンラ出版)2000年
  • 『目ざめよ、日本』前野徹との共著(サンラ出版)2000年
  • アメリカの細胞で日本を見ると、日本の未来が見えてくる : 増田俊男の「時事直言」白書』(サンラ出版)2001年
  • 『2002年日本経済 バブル再来 : 世界のマネーが日本を選ぶ83の理由』(アスキー)2001年
  • 『ブッシュよ。お前もか・・・ : 「新型戦争」を演出し、経済再生を狙うアメリカの覇権構想』(風雲舎)2001年
  • 土地神話復活: 世界の投機マネーが日本に流れ込む』(アスキー)2002年
  • 『2003年フセイン特需で日本は大復活する : 為替本位制時代の資産運用術』(ダイヤモンド社)2002年
  • 『国際投資戦略家が書いた目からウロコのマーケットの読み方』上巻・下巻(アスキー・コミュニケーションズ)2003年
  • 『2004年超円高大好況! : 基軸通貨ドルがローカル通貨円に救われる時』(ダイヤモンド社)2003年
  • 『大金持ちになる最強の3原則 : 100万円からはじめる必勝ノウハウ』(かんき出版)2004年
  • 『2005年超株高大景気』(ダイヤモンド社)2004年
  • 『だから日本は勝つ。 : 「資本」を支配する者が世界を動かす』(PHP研究所)2005年
  • 『敗者の論理勝者の法則 : なぜ、上手くいかないのかなぜ、成果が上がるのか』(プレジデント社)2005年
  • 『史上最大の株価急騰がやってくる! : 増田俊男の2006年大予測』(ダイヤモンド社)2005年
  • 『日本経済大好況、目前!』(アスコム)2005年
  • 『日本大復活! : アメリカを救う国家戦略が黄金の時代の扉をひらく』(PHP研究所)2006年
  • 『空前の内需拡大バブルが始まる! : 増田俊男の2007年大予測』(ダイヤモンド社)2006年
  • 『そして、日は昇った! : 日本が世界の「富」を牽引する』(PHP研究所)2007年
  • 『日本がアメリカと世界を救う! : こんなにたくさんある21世紀が日本の時代になる理由』(徳間書店)2007年
  • 『またもやジャパン・アズ・ナンバー1の時代がやってくる―乗り遅れるな、最後のチャンス 円高、株高、資産高! 』(徳間書店)2007年

参考

  1. 2000年に「資本の意志」として創刊し、2002年に改題。2008年1月発売号を最後に休刊。
  2. “都内の投資顧問会社を捜索 無登録で海外投資募集容疑”. 共同通信社. 47NEWS. (2010年2月3日) 2014年3月25日閲覧。
  3. 未公開株、「時事評論家」らに4千万円賠償命令 読売新聞 2010年11月11日
  4. http://blog.so-net.ne.jp/fujioka-nobukatsu/2006-04-28
  5. TBSテレビイブニングワイド』(2010年2月3日放送)によると、「赤穂義士子孫の会」会員である早水の子孫に問い合わせたところ「(増田俊男という人物は)存じ上げない。浪士の命日に子孫が集まるが全く聞いた事も見た事もない」と答えたということである。

外部リンク

典拠管理

台湾の歴史は世界的にも複雑と言われている。16世紀以前の台湾島は台湾原住民が住んでおり、17世紀前半にはスペインとオランダ、1662年から1895年までは明や清などの中華王朝、1895年から1945年までは大日本帝国、1945年以降は中華民国の統治を経て、台湾人はこの歴史の流れから複雑な愛国意識が生まれた。

台湾

東アジアの島 / ウィキペディア フリーな 百科事典 

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トップの事実と統計を挙げていただけますか 台湾?

1. 位置: 中国の東、フィリピン海に位置する島。
2. 面積: 約36,000平方キロメートル。
3. 人口: 約2400万人が居住している。
4. 首都: 台北市が台湾の首都である。
5. 言語: 主要言語は中国語(国語)と台湾語。
6. 政治体制: 民主主義を採用し、中華民国政府が統治している。
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台湾の気候はどのようなものですか?

台湾の気候は、熱帯モンスーン気候と亜熱帯気候が混在しています。夏は暑くて湿度が高く、冬は比較的涼しいです。台風の影響を受けやすいため、特に夏から秋にかけては注意が必要です。
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台湾料理として有名なものには、以下のようなものがあります:
1. 小籠包(しょうろんぽう):肉やスープを詰めた蒸し餃子
2. 牛肉麺(ぎゅうにくめん):牛肉と一緒に食べる麺料理
3. 魯肉飯(るろうはん):豚肉や牛肉を甘辛いタレで煮込んだご飯
4. 蚵仔煎(おあさせん):カキを使ったクレープ風の料理
5. 滷味(ろーウェイ):様々な具材を香辛料で煮込んだ一品料理
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台湾に関する文化的な特徴は何がありますか?

台湾の文化的な特徴には、以下のようなものがあります:

1. 食文化:台湾は美味しい食べ物で有名であり、夜市や屋台でさまざまな料理を楽しむことができます。代表的な料理には小籠包、牛肉麺、珍珠奶茶などがあります。

2. 伝統芸能:台湾には独自の伝統芸能が多く存在し、例えば布袋戯や蘭陵王オペラなどが挙げられます。

3. 宗教:仏教や道教キリスト教などさまざまな宗教が共存しており、寺院や神社も多く見られます。

4. 文学・芸術:台湾文学や映画、音
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台湾へ旅行する際に知っておくべきことは何ですか?

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台湾(タイワン、たいわん、: 臺灣/台灣;: 台湾;: Taiwan)は、東アジアの島(台湾島)、およびそれを中心とした地域の名前であり、フォルモサ: Formosa)という別称がある。全域が中華民国実効支配下にある。

中華民国 > 台湾
台湾
外交紛争のある諸島
LocationTaiwan.svg
地理
所在地 太平洋
座標 北緯23度46分 東経121度0分
最高地
実効支配
 
Flag_of_the_Republic_of_China.svg 中華民国
Flag_of_Taiwan_Province.svg 台湾省 
直轄市 台北市の旗 台北市
新北市の旗 新北市
桃園市の旗 桃園市
台中市の旗 台中市
台南市の旗 台南市
高雄市の旗 高雄市
領有権主張
 
Flag_of_the_People%27s_Republic_of_China.svg 中華人民共和国
台湾省
人口統計
人口 23,394,787人 (2021現在)
台湾
繁体字 臺灣/台灣
簡体字 台湾
発音記号
ポルトガル語: (Ilha) Formosa
繁体字 福爾摩沙
文字通りの意味 美しい島
発音記号

概要

台北市西門町
台北市西門町

台湾島の面積は日本九州よりやや小さく、海を隔てて東北に日本、南にフィリピン、北西に中華人民共和国がある   

台湾は長年の移民により多民族が共生する地域となっており  、現在の台湾島には元々台湾に住んでいる台湾原住民の他に、漢民族系の閩南人客家人外省人や、日本人オランダ人ポルトガル人スペイン人など様々な民族が住んでいる。各民族は多様性多元論の原則に従って共存している。

中華民国の首都である台北市をはじめとした新北市桃園市台中市台南市高雄市の6つの直轄市は合わせて「六都」と呼ばれ  、台湾の大都市圏を構成している。台湾の経済半導体ウェハービデオカードCPUノートパソコンスマートフォン人工知能をメインとして、ハイテクIT産業電子工学の分野で世界の最先端となっている。台湾製品は世界シェアの多くを占め、毎年世界から巨額の資金を吸収しつつ、中国日本スイスに次ぐ世界第4位の外貨準備高を有している   。そのため、台湾の一人当たり実質GDPは非常に高く、2009年からは日本を上回り、2023年現在では日本の1.4倍程度となっているほか、ドイツフランスイギリスを含む多くのヨーロッパの国々も超えている。2023年からは一人当たり名目GDPでも日本を上回っている    

公用語中国語の一種である「国語」であり、中国大陸(中華人民共和国)の中国語「普通話」とは多少の差異があるが、基本的には意思疎通が可能である。国語と普通話の最大の違いは文字(漢字)にあり、中国大陸では「簡体字」を使う一方、台湾では従来の「繁体字」を使う。繁体字は日本での「旧字体」に近いが、字体や用字法が一部異なる。台湾で一般的に話されている言葉は国語ではなく「台湾語」と「台湾国語」である。台湾語は台湾総人口の7割を占める「閩南人」の言葉で、中国大陸の中国語(官話)とは大きく異なる。台湾国語は中華民国国語を中心に、台湾語客家語日本語オランダ語原住民語の要素が加わって形成された言語であり、多民族の国民の間の共通語として使われている。

台湾の歴史は世界的にも複雑と言われている。16世紀以前の台湾島台湾原住民が住んでおり、17世紀前半にはスペインオランダ1662年から1895年まではなどの中華王朝、1895年から1945年までは大日本帝国1945年以降は中華民国の統治を経て、台湾人はこの歴史の流れから複雑な愛国意識が生まれた。

「台湾」の定義

台湾の衛星写真
台湾の衛星写真

台湾は複雑な歴史を持つため、そもそも台湾の定義に関しても定論がなく、以下に主な5つの例を挙げる:

例1. 島嶼としての台湾
台湾島のみを指す。総面積は35,886 km2 (13,856 sq mi)
例2. 列島としての台湾
台湾島を中心として蘭嶼など77の付属島嶼からなる。総面積は35,980 km2 (13,892 sq mi)
例3. 狭義の地域概念としての台湾
1885年清朝が新設した福建台湾省中国語版に属し、1895年から1945年まで日本が統治していた地域を指す。具体的には、台湾島と付属島嶼、および澎湖諸島から範囲が構成されている。総面積は36,015 km2 (13,905 sq mi)
例4. 広義の地域概念としての台湾
中華民国政府が1955年以降も引き続き実効支配している地域を指す。具体的には、台湾島と付属島嶼澎湖諸島中国大陸沿岸の馬祖列島烏坵島金門島南シナ海東沙諸島、および南沙諸島太平島中洲島から範囲が構成されている。総面積は36,197 km2 (13,976 sq mi) 
憲法上の公式な名称は「中華民国自由地区」。法令・公文書等では他に台湾地区台澎金馬とも表記される。なお、福建省に属する島々を狭義の地域としての台湾と区別して金馬地区(きんまちく、金門島と馬祖列島の頭文字に由来)と呼称することもある。この範囲は、国共内戦の結果中華民国1955年浙江省大陳列島領有権を喪失したことで確定した。現在に至るまで国共内戦は公式な終戦停戦が為されていないが、これ以降中華民国政府の実効支配範囲に増減は生じていない。
例5. 政治実体としての台湾
1949年の中華人民共和国建国後も引き続き存続している中華民国を、正式な国家ではなく「台澎金馬という一つの地域を統治する政治的実体」として扱う政治的な概念。これは、国共内戦を経て中国が社会主義陣営中華人民共和国自由主義陣営中華民国とに分裂したことで発生した概念である。
本来、「中国統治の正統性を唯一有する国家」は中華民国のみであったが、中華人民共和国が成立したことにより、「中国統治の正統性を唯一有する国家」を自称する2つの政治的存在が並立し、それぞれが相手方の国家としての正統性を否定する事態となった。その後、冷戦下における微妙な軍事・政治バランスの中、1971年国際連合中華人民共和国「中国」の代表権を取得すると、多くの国が中華人民共和国を「正統な中国政府」として承認し、中華民国を正式な国家として扱わなくなった。だが、国交断絶以降も中華民国との非公式な関係維持を望む資本主義陣営アメリカ合衆国日本国等の国々では、中華民国が実効支配している地域を中華人民共和国の統治地域とは別個の「地域」と判断して、「台湾」という地域名称で呼称し始めた。

名称の由来

台湾の語源は不明確で、原住民シラヤ族言語の「Tayouan(ダイオワン)」(来訪者)という言葉の音訳とも、また、「海に近い土地」という意味の「Tai-Vaong」や「牛皮の土地」という意味の「Tai-oan」、「人間の場所」という意味の「Tayw-an」とも言われている。 大員(台湾語発音:Tāi-uân)(現・台南)が ダイワンと呼ばれており、そこにオランダ人が最初に入植したためとも見られている。いずれにしても原住民の言葉が起源と見られ、漢語には由来していない。中国の文献に台湾が台湾台湾語発音:Tâi-uân)と呼称されるようになったのは清朝が台湾を統治し始めてからのことである。

別称

台湾島には、フォルモサ(Formosa) という別称があり、現在でも欧米諸国を中心に使用されることがある。これは「美しい」という意味のポルトガル語が原義であり、16世紀半ばに初めて台湾沖を通航したポルトガル船のオランダ人航海士が、その美しさに感動して「Ilha Formosa(イーリャ・フォルモーザ=美しい島)」と呼んだことに由来するといわれている。なお、フォルモサ中国語意訳である美麗島や音訳である福爾摩沙を台湾の別称として用いることもある。

ちなみに、日本では高山国(こうざんこく)、もしくは高砂国(たかさごこく)と呼んだ。高山国や高砂国などは「タカサグン」からの転訛という。これは、商船の出入した西南岸の「打狗山」(現・高雄)がなまったものと思われる。正式の使節ではないが、タイオワン事件に関して、原住民が「高山国からの使節」として江戸幕府3代将軍徳川家光に拝謁したこともある。

中国による呼称の変遷

漢書地理志』の中に「会稽海外有東鯷人、分為二十余国、以歳時来献見……」との記載があり、一部の学者は東鯷とは台湾を指す名称であると主張している。しかし漢代の中心地は中原と呼ばれる、長安および洛陽を中心とする地域であり、福建省広東省の沿岸地帯(河洛)にまで至ることは非常に稀であった。ゆえにその東岸にある島嶼を正確に記録したとは考えにくく、東鯷とは海上島嶼群を漠然と示した名称であると考えられ、台湾の呼称と即断することは困難である。

三国時代には、沈瑩著『臨海水土志』と陳寿著『三国志志の孫権伝の部分に記述が見られる。 『臨海水土志』に、「夷州在浙江臨海郡的東南、離郡二千里、土地無霜雪、草木不枯、四面皆山、衆山夷所居。山頂有越王射的正白、乃是石也。」「部落間互不相属、各号為王、分割土地……」、および

夷洲在臨海東南、去郡二千里。土地無霜雪、草木不死。四面是山谿。人皆髠髮穿耳、女人不穿耳。土地饒沃、既生五穀。又多魚肉。有犬、尾短如麕尾状。此夷舅姑子婦臥息。共一大牀、略不相避。地有銅鐵、唯用鹿格爲矛以戰闘、摩礪青石以作(弓)矢鏃。取生魚肉雜貯大瓦器中、以鹽鹵之、歴月所日、乃啖食之、以爲上肴 

とあり、『孫権伝』には、

二年春正月,魏作合肥新城。詔立都講祭酒,以教學諸子。遣將軍衛温、諸葛直將甲士萬人,浮海求夷洲及亶洲。亶洲在海中,長老傳言:秦始皇帝遣方士徐福將童男童女數千人入海,求蓬萊神山及仙藥,止此洲不還。世相承有數萬家,其上人民。時有至會稽貨布,會稽東縣人海行,亦有遭風流移至亶洲者。所在絶遠,卒不可得至,但得夷洲數千人還 

とある。これらの場合の夷州台湾島の特徴に合致する。またこのような島嶼は中国南部の沿岸には台湾島以外に見当らないため、この時代には中国文明が台湾を認識していたと考えられている。

末からまでの600年間、中国の文献の中で台湾の記事が出現しない空白期間を迎える。代になると再び記録に台湾が出現するようになる。明代の記録である『東西洋考』『閩書』『世法録』では台湾を東蕃、と呼んでいる。周嬰在が表した『東蕃記』では台員、何喬遠が表した『閩書島夷誌』では大員、張燮の『東西洋考』では大円、何喬遠の『鏡山全集』では台湾、沈鉄的奏折の中では大湾のように様々な呼称が与えられている。また福建沿岸の民衆は台湾南部を毗舍耶、中原の漢族は台湾北部を琉球と呼んでいる。

の太祖・朱元璋の時代になると、琉球という呼称は沖縄・台湾双方を指す語として使われ続けたため、両者の区別に混乱が生じた。沖縄を琉球、台湾を琉球と呼ばれるようになるが、その後名称に混乱が生じ、小東島琉球雞籠北港東番のような名称が与えられていた(地理そのものが知られていなかったので、これらが台湾全島を含んだとは限らず、台湾を中心とした概念だったかもわからない)。明末に鄭成功が台湾に建てた鄭氏政権時代になると、鄭氏政権は台湾を「東都」「東寧」などと呼ぶようになった。なお、「大員Tai-uan/ダイワン」の呼称が用いられるようになると、いつしか台湾近くにある琉球嶼(屏東県琉球郷)を指して「小琉球」と呼ばれるようになり、台湾と琉球嶼との間で両者の区別に混乱が生じている例もある 

このような名称の変遷を経て、清が台湾を統治し始めた後に、原住民の言語を語源とする台湾が使われるようになった。

歴史

台南市の安平古堡。オランダ統治時代の台湾(1624年)
台南市安平古堡オランダ統治時代の台湾(1624年)

16世紀以前の台湾島台湾原住民がが居住していたが、統一的な文化が生み出されず、南部に大肚王国という地方政権が存在するのみであった。

17世紀前半ではポルトガルスペインオランダなどの西洋諸国は台湾を開拓地として建設し、キリスト教の教会や、赤崁楼に代表される洋風な赤レンガの建築を多く建設した。資源豊かな台湾島は17世紀の大航海時代の影響で開発され、特にオランダを中心とした西洋文化を取り入れ、文明が発展していった。

1662年漢人鄭成功は台湾のオランダ植民者を追放し、台湾島明朝再興派の拠点とし、台湾島初の政治的実体である東寧王国を設立した。1683年漢民族国家のに取って代わった満洲民族は東寧王国も征服して、台湾を清朝に併合した。1662年から19世紀まで中国大陸から多くの漢人台湾島へ移住し続けた。これにより台湾の漢人の人口は増加し、原住民の総数を超えて台湾の過半を占める民族となった。仏教道教中華料理繁体字などの中華文化もこの時期に台湾へ持ち込まれた 

1895年明治28年)、日本日清戦争で清に勝利し、結果として下関条約が締結されると、台湾島澎湖諸島が日本の領土となった。台湾は日本初の植民地として神社や和風の木造建築が建設された   。当時の日本は台湾島台湾総督府を設置して台湾を本土並みに整備し、世界最先端のインフラ整備を行った。

1945年昭和20年)、第二次世界大戦の末に日本はアメリカや中華民国に降伏し、台湾は当時中国大陸を代表する政府であった中華民国国民政府の統治下に入った。中華民国1943年カイロ宣言台湾台湾島澎湖諸島)を「日本が清から盗取した中華民国に返還すべき地」と定めた。中華民国台湾総督府を解散させ、台湾島澎湖諸島を合わせて「台湾省」として中華民国編入した。これを台湾光復と呼ぶ   

しかし中華民国1949年第二次国共内戦中国共産党に敗れ、ほとんどの大陸の領土を失って台湾に撤退した。最終的に中国大陸の領土は金門島馬祖島の2つしか維持できず、政府を中国大陸の南京からから台湾の台北へと移転した 。こうして中華民国は「日本から接収した台湾省台湾島澎湖諸島」と「もともと中国領だった福建省金門島馬祖島」の4つの地域で構成され、いわゆる「台湾地区(台澎金馬)」となった   台湾人中華民国の体制下で「台湾」と「中華民国」の間でアイデンティティが揺らいでいる。このような歴史から、現在の台湾は「中華民国」という国名で国際社会に存在している。

1971年国連における中国の議席アルバニア決議によって中国共産党中華人民共和国へ継承されることになり、中華民国政府はこの決議に抗議して国連から脱退した。この決議によれば、中華民国の「中国を代表する資格」は中華人民共和国に継承されたが、「中華民国の領土」や「台湾の帰属」に関しては何の法的結論も出さないとされた   。しかし、中華人民共和国側は一つの中国方針に基づき、「アルバニア決議で中華人民共和国中華民国の立場を継承した。さらにカイロ宣言に基づいて台湾は日本から中華民国に返還されたのだから、台湾全域は中華人民共和国台湾省である」と主張している  。ここから発生した台湾と中国の間の論争を総じて「台湾問題」と呼ぶ。

台湾を「中華民国の本土と見なすか否か」、また「台湾独立、華独、台湾の定義、台湾地位未定論法理独立中国脅威論」などの論点をめぐり、台湾本土派の民主進歩党と中国大陸から渡った中国国民党は1990年代から厳しい対立を始めた。1992年台湾民主化以降、中華民国は中国大陸での主権を取り戻すことを完全に放棄し、台湾での発展のみを専念するようになった。若い世代の台湾人はこの影響を受け、中国文化よりも親しみの深い台湾の原住民文化・客家文化・閩南文化への関心が強まっている。本土派や民進党の勢力も急速に強まり、台湾では自分を中国人ではなく台湾人と認識するアイデンティティが強まっている      

今の台湾の政局には、台湾の中華民国からの独立を目指す「泛緑連盟」と、中国大陸との統一を目指す「泛藍連盟」の二大陣営が存在している。泛緑連盟は主に民主進歩党台湾基進社会民主党台湾緑党台湾団結連盟で構成され、親米日・反中の政策を行っている      。一方、泛藍連盟は主に中国国民党親民党台湾民衆党で構成され、親中・反米日の政策を行っている      。どちらにも所属しない中立派としては、時代力量が主に挙げられる。

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