日本における反ユダヤ主義
日本における反ユダヤ主義(にほんにおけるはんゆだやしゅぎ、英Antisemitism in Japan)では、日本国内で起こったユダヤ人またはユダヤ教に対する迫害や偏見に基づく反ユダヤ主義、およびそれに関連する事象も取り上げる。
日本ではユダヤ人口が少なく、第二次世界大戦を前に民族主義的イデオロギーとプロパガンダが少数の日本人に影響を与えるまで、ヨーロッパにおけるような伝統的な反ユダヤ主義はなかった[注 1]。 戦争直前から戦時中にかけて、日本の同盟国だった国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)政権下のドイツ政府は、戦前に日本に反ユダヤ主義を採用するよう奨励、 戦後も過激派のグループやイデオロギー信奉者がユダヤ陰謀論を喧伝してきたが、日本国内では反ユダヤ主義が日本国民に影響力を持つほどには拡大しなかった。イスラエル建国以後はキリスト教由来の反ユダヤ主義を持つ欧米諸国では、パレスチナへの同情由来の反イスラエル感情が起きていて、イスラム世界では激しい反イスラエル感情で新たな反ユダヤ主義の中心地となっている。それに対して、日本はイスラエル・パレスチナ双方と交流する方針を取りながらも、国民に目立った反発・派閥対立も起こっていない[1]。 戦後に来日したユダヤ系が一人の外国人として街でじろじろ見られても、「ユダヤ系外国人として差別」されるようなものではなかった[2]。イスラエル国内でも、「(第二次世界大戦集結以前から)先進国の中で唯一ユダヤ人を差別しなかったのは日本だけ」と教えている[3]。
概要
反ユダヤ主義との初邂逅:1910年代
1918年(大正7年)、日本軍はロシアの反革命運動(白色運動)に協力するためシベリア出兵を行った。この際に日本軍は白軍経由で『シオン賢者の議定書』を入手した。『シオン賢者の議定書』は今日では偽造文書であるとされているが、当時は国際政治の重要な情報として扱われており、白軍兵士が同書のコピーを日本人将兵に配布した。これが日本人が「ユダヤ人による国際陰謀」という説が存在することを知るきっかけとなった[注 2]。
シベリアから帰った久保田栄吉は1919年(大正8年)に同書を紹介した。
また、『シオン賢者の議定書』が日本に持ち込まれる際に、『マッソン結社の陰謀』というわら半紙に謄写版刷りの50枚ばかりの小冊子が持ち込まれた。これが日本ではフリーメイソン陰謀論がユダヤ陰謀論と同時に語られるきっかけになった。
『シオン賢者の議定書』の流布:1920年代
1923年(大正12年)、陸軍学校ロシア語教授樋口艶之助が北上梅石というペンネームで『猶太禍』(内外書房)を刊行し、同書の内容紹介を行った[5]。
同年、『マッソン結社の陰謀』は「中学教育の資料として適当なものと認む」という推薦文とともに全国の中学校校長会の会員に配布された[6]。
樋口の翻訳を読んだキリスト教伝道者酒井勝軍が1924年(大正13年)に『猶太人の世界征略運動』『猶太民族の大陰謀』『世界の正体と猶太人』など3冊を連続発表した。しかし、のちに酒井は親ユダヤ的な見解をとるようになっていった。
同年、社会学者若宮卯之助が『猶太人問題』(財団法人奉公会)を刊行している。
同年、「日本民族会」が設立された。
1925年(大正14年)、後の大連特務機関長安江仙弘が議定書の初の日本語翻訳を出版した。ロシア語の専門家である安江は、ソ連・ボリシェヴィキの指導者であるレーニンもユダヤの血が流れていて[7]、トロツキーやジノヴィエフなどユダヤ系ロシア人革命家がいたことから、反革命側・白軍はボリシェヴィキによる革命を「世界制覇をたくらむユダヤ人による陰謀」とみなしていた[8]。議定書コピーを全部隊に配布したほど猛烈な反ユダヤ主義者であった白軍指導者のグレゴリイ・セメノフ将軍のスタッフに任命された[7]。「数十人の日本人兵士とともに、安江は議定書の叙述を読んで受け入れ、包荒子というペンネームで『世界革命之裏面』を著し全文を紹介した。また、安江は『国際秘密力の研究』など様々な反ユダヤ主義の出版物のために時間を費やした[7]。」「ナチス・ドイツと日本の同盟を正式締結する1940年の日独伊三国同盟に日本が署名した時、自分の見解を(漸く)変えた」と主張されるが、安江が反ユダヤ主義から翻意するのはもっと以前からというのが通説である。実際に安江はパレスチナやエジプトを視察して帰国した後の1934年の『猶太の人々』で、「ユダヤ人一人ひとりみれば、全ユダヤ人が革命運動に参加しているのではなく、大財閥である訳でもない」「ユダヤ人だからといって、全員危険視すべきではない。」「我が国にとって、有害な人物もいれば、無害な人物も」いるというように、自身のユダヤ観を以下のように綴っている。
猶太人の一人々々を観れば、数千萬の猶太人が一人残らず、革命運動に参画して居るのでもなく、又皆一様に大財閥である訳でもない。…猶太人であるからといふて、誰も彼も危険視すべきではない。我が國に取つて有害な人物もあれば、無害な善良な人もある[9]。
デビッド・クランツラーは安江の新たな親ユダヤという立場は、日本軍からの解任につながったと主張している[10]。しかし、1935年2月に安江はハルビンで、日本民族とユダヤ民族間の親善実行団体である「世界民族文化協会」の会長となっている。1940年12月に日本陸軍大佐・大連特務機関長から、規定通り常備兵役を終えた者として予備役に編入されている[11]。
安江が親ユダヤの立場を取る前に独自に訳本を出版した海軍の犬塚惟重とも接触し、陸海軍のみならず外務省をも巻き込んで、ユダヤの陰謀の発見などの具体的成果を挙げられなかった「ユダヤの陰謀」の研究を行ったと主張されている[12]。
1928年(昭和3年)9月に、誕生したばかりの思想検事の講習会が司法省主催で開催された。その中で四王天延孝陸軍中将により『ユダヤ人の世界赤化運動』が正科目として講座が開かれた[13]。
ユダヤ陰謀論・フリーメイソン陰謀論への批判
満川亀太郎は1919年の『雄叫び』誌に載せた文章をはじめ、『ユダヤ禍の迷妄』(1929年)、『猶太禍問題の検討』(1932年)でユダヤ陰謀論を批判した。満川は、自分の他にもユダヤ陰謀説を批判している人はいるが、妄説を相手にしているのは大人げなく黙殺するという態度を取る人が多く、結果的に陰謀説の方が優勢を示したという[14]。
吉野作造は1921年に『所謂世界的秘密結社の正体』という文章を書き、フリーメイソン陰謀論を批判した[15]。
厨川白村は1923年5月に「個人主義傾向のユダヤ人に大きな団体的な破壊活動などが出来る筈がない」と主張した[16]。
広島文理大教授(西洋史専攻)となる新見吉次[17]は1927年5月の『猶太人問題』で、ユダヤ人の陰謀説が日本に相当根を張っている状況を憂い、歴史的事実を通してその批判を行っている。
八太徳三は稼堂文庫 の『想と国と人[18]』に『猶太本国の建設』という文書を著し、ここで『シオン賢者の議定書』の捏造状況を記述した。
1930年代
河豚計画・ユダヤ人救助
1934年(昭和9年)頃から、安江仙弘や犬塚惟重は、満州国経営の困難さを訴えていた人らと接触するうちに、ナチスによって迫害されているユダヤ人を助けて移住させることによってユダヤ資本を導入し、満州国経営の困難さを打開しようとする河豚計画を立てた。安江や犬塚は日ユ同祖論を展開、書籍を出版することなどによって一般大衆や軍にユダヤ人受け入れの素地を作ろうとした。結局河豚計画は失敗するが、数千人のユダヤ人の命が救助されたりと成果も残すこととなった[12][注 3]。
1936年には「国際政経学会」という組織が結成され、『国際秘密力の研究』や『月刊猶太(ゆだや)研究』という雑誌が発行された。これらの組織の主要メンバーであった赤池濃は貴族院議員であった。
同1936年、四王天延孝陸軍中将が『シオン賢者の議定書』を日本語に再翻訳した。
オトポール事件や河豚計画にも関わった樋口季一郎は、1937年の第1回極東ユダヤ人大会に招かれてナチスの反ユダヤ主義政策を批判する演説を行っているが、日本の新聞では大会の存在すら報道されなかった[19]。
日独協定後の日本政府による猶太人対策要綱
日本は1936年に日独防共協定、1937年に日独伊防共協定、1940年に日独伊三国同盟を締結し、ナチス・ドイツと同盟関係になった。1938年10月7日、当初は外務省から在外公館長へ『猶太避難民ノ入國ニ關スル件』という極秘の訓令が近衛文麿外務大臣の名で発せられたものの、リトアニア在カウナス領事館に副領事として務めていた杉原千畝がビザを発給し、多くのユダヤ難民を救った。杉原千畝のことはイスラエルでも教えられている[3]。更には1938年12月6日、板垣征四郎陸相の主導のもと、日本政府は方針転換し、『猶太人対策要綱』を制定した。これは満州国で運用していた法律を日本と占領下の中国でも適用したものである。ただし反ユダヤ主義とは逆にユダヤ人を公正に取り扱う方針で、条文の第一条が次のとおりである[20]。
「猶太人ニ対シテハ他国人ト同様公正ニ取扱ヒ之ヲ特別ニ排斥スルカ如キ処置ニ出ツルコトナシ」-『猶太人対策要綱』 昭和十三年十二月六日附
1939年、貴族院議員赤池濃が『支那事変と猶太人』政経書房を刊行。
マスコミ
1933年にドイツでナチス政権が成立する以前の新聞報道では、反ユダヤ主義はほとんど積極に取り扱われていなかった[21]。ナチ党の権力掌握から間もない頃には、東京朝日新聞などでもナチスのユダヤ人迫害に対して批判的な論調が見られた[21]。しかし、ナチスに対する支持が増幅するについて、反ユダヤ主義的な見解が広がり、黒正巌は大阪毎日新聞の紙上でナチスの経済政策を激賞し、労働精神を有しないユダヤ人はドイツ国民と断じて相容れず、「国民を利子の奴隷より解放しようとするならば、当然にユダヤ人を排斥せざるを得ないのである」と論じている[21]。
1938年のナチス・ドイツによるオーストリア吸収であるアンシュルス後に大阪朝日新聞は「ユダヤ人を清掃すればよい程度」という表現が用いられ、大阪毎日新聞も水晶の夜後にユダヤ人に対して課せられた賠償問題についても「ドイツ人がユダヤ人を煮て食はうが焼いて食はうが米国の口を出すべき問題ではない」と論じている[21]。
宗教界
1937年には日蓮宗系宗教家の田中智學が反ユダヤ主義の喧伝を行った[22]。田中智學はこう述べている。
- 「現在、世界のお金の60%から70%は猶太人の手にあると言われている。多くの貧しい国や一文無しの国は、結局どうにかするために海外からの資本を受け入れなければならず、必要なお金を借りるために猶太人に屈服しなくてはならない。概して猶太人は、輸送施設、電気プラント、鉄道、地下鉄に投資する…その理由は、これが各国で常に革命を扇動するための議定書に記された計画に基づいており、最終的には国家崩壊につながるためである。その後で、猶太人が乗っ取ることができるようにしている[23]」
ブライアン・ビクトリアによると田中智學の喧伝によって日本で反ユダヤ主義が急速に広がった[注 4]。
小説
東京朝日新聞の記者で、児童向けフィクション作家であった山中峯太郎は1930年代に猶太禍(Yudayaka)「ユダヤ人の危険性」に関する物語を書いた[24][注 5]。なお、山中は安江の陸軍士官学校における2年先輩であった。
山中は雑誌『少年倶楽部』に1932年から1年半『大東の鉄人』という小説を連載した。この物語の主人公は探偵(帝国陸軍の将校)の本郷義昭で、彼は大日本帝国を密かに転覆させようとするユダヤ人の秘密組織、影のシオン同盟の総司令である、赤魔バザロフと戦う。『大東の鉄人』からの典型的な引用として、
- 「世界中に約1350万人のユダヤ人が散らばっている。何百年も前、彼らは世界の富を丸飲みにした。特に米国、英国、フランスで、そして他の西洋諸国でも、裕福なユダヤ人が沢山いて人々のお金で自分達の望むことを何でもしている…この富は、ヨーロッパとアメリカを通じて、目に見えぬユダヤ人の力を増やすために使われている…これらの恐ろしいユダヤ人はシオン同盟と呼ばれる秘密結社を持っている。シオン同盟の目的は…全ての国をユダヤ人で支配すること…これは真実の世界的陰謀である。[24][注 6]」
1945年8月、日本の降伏と共に山中は執筆を中止したが、講談社は1970年代までこのシリーズの表現を一部修正した上で再版し続けた。戦後再版は、反ユダヤの言及となる箇所(「日本を呪うシオン同盟」「待て四十九日!」)が小見出しごと全削除され、シオン同盟という名称も「マルキ同盟」に変更されている[5]。
また、海野十三の『浮かぶ飛行島』 や北村小松らもユダヤ人を敵の首領とする子供向け冒険小説を書いている。太宰治も戦時中はユダヤ陰謀論的に自著が扱われたと戦後書いている[25]。1956年産まれで上智大学非常任教師の松浦寛[26][27]は「戦前の日本では反ユダヤ主義的言説が日常的に流通していた」としている[6]。
第二次世界大戦開始以降
1941年、ナチス親衛隊のヨーゼフ・マイジンガー大佐は、オーストリアとドイツから逃れて日本占領下の上海に住んでいた約1万8千から2万人のユダヤ人を撲滅するべく、日本に提案した[10][28]。彼の提案は、揚子江三角州にある崇明島での強制収容所の建設[29]、または中国沿岸の貨物船の(接岸拒否による)飢餓を含むものだった[30]。上海統治を管轄する日本軍大将は、マイジンガーからの圧力に屈しなかった。しかし、日本人は虹口区の近隣に上海ゲットーを建てた(これは1939年に東京で既に計画されていたものである)。人口密度がマンハッタンの約2倍のスラムだった。ゲットーは、日本の士官カノ・ギョヤ(Kano Ghoya)の指揮下で、日本の兵士により厳重に隔離されており[31]、ユダヤ人は特別な許可がある場合だけそこから出ることが許された。戦時中に上海ゲットーでは約2000人が死亡した[32]。日本では猶太人対策要綱もあり、上海ゲットーに押し込められたユダヤ人はヨーロッパ諸国で受けたような暴力的迫害はされていない[20]。
1940年12月31日、松岡洋右外相はユダヤ人の実業家団体に「 私はどこにも、ヒトラーの反ユダヤ主義政策を日本で実行すると約束したことはない。これは私の個人的見解ではなく、日本の見解である」と伝えている。しかし、D.A.カプナーとS.レヴィンは1945年まで(同盟のナチスドイツがやっていた)ホロコーストは東京の大本営によって体系的に隠蔽されていたと主張している[33]。
1941年(昭和16年)、鹿島健という人物が表紙・ 空白含めて54ページで構成される『英国を支配するユダヤ力』(政経書房、国際秘密力研究叢書)を刊行した[34]。
ナチスのプロパガンダ担当グラーフ・フォン・デュルクハイムの友人であり師匠でもあった三宝教団創設者で禅僧の安谷白雲は1943年の著書『道元禅師と修証義』でこう述べた。
- 「私たちは、認知しうる世界において平等の「存在」らしきことを主張する猶太人の悪魔の教えの存在に気付かなければならない、それによって私たち国家社会の秩序が歪められ、「政府の」統制が破壊されている。それだけでなく、これら悪魔の陰謀者たちは深遠な虚妄と盲目的な信念を持っている…彼らだけが神によって選ばれ、「それゆえに」非常に優秀な者達である。このすべての結果は、全世界の「統制」と支配を乗っ取り、今日の大きな動乱を煽っている油断ならない企みである。[35]」
ブライアン・ビクトリアは安谷を「戦争賛成のスタンスに悪意ある反ユダヤ主義を統合する少数の禅師の一人だった」とし、日本の反ユダヤ主義は「明治時代に日本社会で制度化した仏教が果たした「自家製の」反動主義な社会的役割の中心 」から独立して進化したと主張する[22]。
1944年1月26日の第84回帝国議会で四王天延孝議員はユダヤ人問題について質問をするが、回答した安藤紀三郎内相、岡部長景文相、天羽英二(内閣情報局総裁)いずれも四王天の意を迎え、反ユダヤ主義的回答を行った[36]。大阪毎日新聞は四王天を講師として迎えた企画展「国際思想戦とユダヤ問題講演会」などの、類似の反ユダヤ主義勉強会やイベントをたびたび開催し、主筆の上原虎重も講師として加わっていた[21]。大阪毎日新聞はこのほか、連合軍によるローマ空襲でバチカンが被害を受けたことも「ユダヤ人とユダヤ思想を基礎とするフリー・メーソンリの計画」であると社説に掲載したほか、連合国の指導者を「ユダヤ民族の総帥」であるとしたり、白鳥敏夫、大串兎代夫、大場彌平、長谷川泰造などの執筆陣でたびたび反ユダヤ主義・陰謀論的な論説を掲載した[21]。
戦後
ハンガリー系ユダヤ人として、ハンガリーのブダペスト市で生まれ育ち、ホロコーストから生き残ったヤーノシュ・ツェグレディは1967年に日本に移住してきた。ツェグレディの母は、1945年4月にリヒテンヴェルト強制収容所から解放され、父は同年5月4日にオーストリアのマウトハウゼン強制収容所から解放されたが28kgしかなかった。その後に一家はハンガリーで再会を果たした。ヤーノシュはドイツによるユダヤ人対象の国費留学をし、ドイツに居た日本人の同僚と親しくなった縁で1967年に東京に移住することにした。ユダヤ系アメリカ人であるクーリエ・ジャポン編集部員は、ヤーノシュがホロコースト生き残りの中で唯一日本在住として、2022年にインタビューしている。ヤーノシュはインタビューにて、「私が来日した当時の日本には、外国人はほとんどいませんでした。暮らしはとても快適で、日本の美意識や習慣もとても気に入りました。日本人の礼儀正しさと温かさもです。」「ときどき街で人にじろじろ見られることはあったけれど、ユダヤ系外国人として差別されたことはなく、日本人に温かく迎えられていると常に感じてきました」と答えている[2]。
1970年代
1972年5月30日、3人の日本赤軍メンバーが、ローマからのエールフランス132便でテルアビブ近くのロッド空港に到着し、パレスチナ解放人民戦線(PFLP)[注 7]の代理だとして、空港の待合エリアで、自動小銃を取り出して空港職員や来訪者に発砲し、26人が死亡し、80人が負傷した(テルアビブ空港乱射事件) [37][注 8]。
日ユ同祖論
20世紀の終わりには、日ユ同祖論に関する多くの本が販売された。世界のユダヤ人支配を主張した数多の理論と説明が出回った。これらの本は「トンデモ本」と呼ばれ、オカルトとタブロイドのような推測の要素を含んでいた。なお、日ユ同祖論自体は、日本とユダヤの祖先が同じであるとの主張であり、「親ユダヤ的な主張」もある一方、祖先が同じであるがゆえに「ユダヤも日本と同じく民族の誇りを回復して、世界を睥睨する地位に就かんとしている」と警鐘を鳴らす反ユダヤ的主張があり、日ユ同祖論には「親ユダヤと反ユダヤが矛盾なく同居している」特徴があるのだと、内田樹は説明する[20]。
ユダヤ人成りすましと出版
1979年、『日本人に謝りたいあるユダヤ人の懺悔』という本が出版された。本の著者モルデカイ・モーゼ(ラビと称された)とは、実際にはこの本の翻訳者である久保田政男の仮名だった[39] [40]。仮名が発覚して以降、久保田は自分の名前でフリーメイソンやロックフェラーなど陰謀論を扱った本を刊行した[41]。久保田はまた、1945年8月6日午前8時15分に広島県広島市に原子爆弾(原爆)「リトルボーイ」を投下した航空機である「エノラ・ゲイ(Enola Gay)」とはイディッシュ語で「天皇を殺す」という意味だという嘘を著書で主張した[42] 。
1980年代
1981年の五島勉『ノストラダムスの大予言III-1999年の破滅を決定する「最後の秘史」』でもユダヤ陰謀説は展開された。
1984年、自民党議員で経済評論家の斎藤栄三郎が『世界を動かすユダヤパワーの秘密』(日本経済通信社)を出版した。 この本はユダヤ人の陰謀理論に基づいている[43]。
反資本主義・反シオニズムを掲げていたイスラエルの新左翼政治団体であるマツペンの影響を受けたフォトジャーナリストの広河隆一は、1983年の『ベイルート1982 イスラエルの侵攻と虐殺』以降から親パレスチナ、反イスラエル的な言動・出版を行った[44]
1986年、『ユダヤが解ると世界が見えてくる』という本が日本のベストセラーになった[45]。この本もまた議定書に基づいており、著者の宇野正美は、アシュケナジム(白人系ユダヤ人)は実際はハザール人の子孫であり、したがって彼らは「偽のユダヤ人」で、セファルディム(アジア系または中東系ユダヤ人)が真実のユダヤ人の血統だと書いている。彼によると、日本人の中にはイスラエルの失われた10部族の子孫がいて、日本のセファルディムがアシュケナジムを敗北させうるという[46]。 読売新聞は宇野の説を好意的に取り上げた[47]。辻隆太朗によると、自民党保守派は憲法記念日の大会に宇野を招待するなど、この種のユダヤ陰謀論は一部のマニアックな言説としてだけではなく、日本のメインストリームにも受け入れられていたとしている[48]。
1990年代
1991年、元トロツキー主義者の太田竜が『ユダヤ七大財閥の世界戦略―世界経済を牛耳る知られざる巨大財閥の謎』(日本文芸社)を出版し、以降、反ユダヤ主義のユダヤ陰謀論を喧伝する著作を多数刊行した[49]。太田によれば、大前研一、創価学会などはユダヤの手先である[50]。彼はユースタス・マリンズの本などを日本語に翻訳した。
1989年から1995年にかけて物議をかもした宗教団体オウム真理教が[注 9]、布教活動の一環として日本人読者を引き付けるためにユダヤ人陰謀説を配布した。教祖の麻原彰晃は、1973年の五島勉の著書『ノストラダムスの大予言』[注 10]をはじめとするユダヤ陰謀説書籍の影響を受け、信者にこの手の陰謀によってハルマゲドンが起こされる日が近いと危機を煽った。オウム真理教の幹部の一人である村井秀夫は、刺殺された時に「ユダヤにやられた」と発言した[注 11]、と報じられた。後にオウムはこれらの大衆書物を捨て去り、彼らの名前をヘブライ語アルファベットの最初の文字であるアレフに変更した。しかし、オウム事件の忘却と共に旧教団の思想を徐々に復活させていると伝えられる。
1995年2月、日本の男性向け月刊誌で25万部数の『マルコポーロ』が、医師の西岡昌紀によるホロコーストを否定する記事を掲載した。
ロサンゼルスに本拠を置くサイモン・ウィーゼンタール・センターは、フォルクスワーゲン、三菱、カルティエを含む、文藝春秋広告主のボイコットを扇動した。その数日以内に、文藝春秋はマルコポーロの廃刊とその編集長花田紀凱の解任を行い、文藝春秋の社長田中健五も同様に辞任した(マルコポーロ事件)[53]。
1999年には『週刊ポスト』の「長銀『われらが血税5兆円』を食うユダヤ資本人脈ついに掴んだ」記事(10月15日号)でジャーナリストの歳川隆雄と同誌取材班が、リップルウッド・ホールディングスによる日本長期信用銀行の買収に関する話を掲載した。
- 「巨大な力を誇り世界の金融市場を網羅しているユダヤ金融資本の強い意志が長銀買収の背後にある。ユダヤ金融資本の攻勢が、 1997年のアジア通貨危機によってもたらされた企業間の生き残り闘争を激化させるだろうことは、想像に難くない。[54]」
この記事に対してサイモン・ウィーゼンタール・センターが抗議し、小学館は謝罪した[55]。同誌は「多くの日本人が持っているユダヤ人の固定観念的なイメージから問題が起こった」と説明した[33]。
2000年代以降
2009年3月8日、政治ジャーナリストでテレビ朝日の『サンデープロジェクト』の主催者田原総一朗が、あなたの父親の田中角栄元首相は「アメリカにやられた、ユダヤ人と小沢(当時、民主党代表)にもだ」と生放送中に田中真紀子に語った。サイモン・ウィーゼンタール・センターは、この田原の発言を強く批判した[56]。
作家の鬼塚英昭はロスチャイルド家による世界支配について論じた[57]
2014年2月、東京都の図書館などで『アンネの日記』などユダヤ関連書物が破られたアンネの日記破損事件が発生した[58] [59]。 3月に36歳の男性が逮捕されたが、検察は精神鑑定の結果、心神喪失であったとして不起訴にした。
2014年の500人へのADL電話調査によると、日本の成人人口の23%± 4.4%が反ユダヤ主義の立場を心に抱いており、「ユダヤ人は他の人々よりも優れていると思う」に46%の人が同意し、「ユダヤ人は日本よりもイスラエルに対してより忠実である」の回答が約半分(49%)だった[60]。しかし、このADLの調査は「 反ユダヤ主義の立場を心に抱く」という分類の中で不合理に単純化されているという欠陥がある(flawed)と批判されている[61]。 1973年生まれで立教大学文学部准教授(専門:北欧中世史・西洋中世史)の小澤実[62]は2017年11月の『近代日本の偽史言説』 にて、ユダヤ人社会が存在せず、ユダヤ人を憎悪する土壌のなかったはずの当時の日本で、「『シオン賢者の議定書』とユダヤ陰謀論が同時に流入・伝搬した」とし、その理由を幕末期の儒学者大橋訥庵が著した攘夷論『闢邪小言』の中に、日本にはユダヤ陰謀論を受け入れる土壌が既にあったからだとしている[63]。小澤は「訥庵は『闢邪小言』の中で、日本が「義の国」から「商人国」へと堕落することを危惧し、キリスト教が平等主義を旗印として世界制覇の野望を持っていた」と論じている。更に小澤は、日本にシオン賢者の議定書が紹介される100年も前に、日本を滅亡させる世界規模の陰謀を想定した独自の理論が構築されていたと主張している[63]。
前述の通り、ハンガリー系ユダヤ人でホロコーストから生き残り、1967年から東京のユダヤ系コミュニティにも属している在日ユダヤ人のヤーノシュ・ツェグレディは、2022年1月27日の国際ホロコースト記念日にユダヤ系アメリカ人のクーリエ・ジャポン編集部員からインタビューされた際に「ときどき街で人にじろじろ見られることはあったけれど、ユダヤ系外国人として差別されたことはなく、日本人に温かく迎えられていると常に感じてきました」と答えている[2]。
ユダヤ人学者による日本におけるユダヤ人論評
戦前のドイツ産まれアメリカ育ちのユダヤ人であるデビッド・クランツラーは、日本とヨーロッパの反ユダヤ主義の違いについて以下のように論じた。
- 「日本とヨーロッパの間にある反ユダヤ主義形態の区別の鍵は、ユダヤ人を悪魔、反キリストあるいは償還(贖罪)しえぬ者だと識別するキリスト教の長い伝統の中に存在するように思える……日本人はこのユダヤ人のキリスト教的イメージを欠いており、彼らの議定書の読み方は全く異なる展望をもたらした。キリスト教徒は排除することでユダヤ人の問題を解決しようとした。 日本人は、ユダヤ人の巨大な富と権力を日本の利益に活かそうとした。[10]」
ベトナム戦争の徴兵忌避を理由に1967年から5年間日本に滞在し、京都産業大学でロシア語とポーランド語を教える傍ら宮沢賢治を読み日本語を習得した、アメリカ産まれのユダヤ系オーストラリア人で作家・翻訳家・東京工業大学世界文明センター長・東京工業大学名誉教授であるロジャー・パルバース[64]は、2014年に四方田犬彦と出版した「こんにちは、ユダヤ人です」で二回結婚していることを明かした上で、「最初の妻は宣教師の娘だからユダヤとは関係ない。今の妻もユダヤ人じゃないし、子どもにはユダヤ人のことは何も教えていないです。彼らはユダヤ人のことを知らない。それでいい。「ユダヤジン」であることが自分の代で終わるということは、全然構わないんです。」と自身の考えを述べ、「皆さん、見てください。これがあったことをぼくたちはわかっている。それがまた起ころうとしている。だからどうか助けてください」というのがユダヤ人です。いつまでも自己憐憫の気持ちになって、一番ひどい目に遭ったのは自分だと言い続けるのは、ぼくは逆にユダヤ人じゃないと思います。だからイスラエルはユダヤ人じゃない。」とイスラエルを否定している。日本人はユダヤ人=イスラエルとなっているとし、日本について次のように語っている。
1999年03月26日にロシア系ユダヤ人でアメリカのイリノイ大学教授であるデイヴィッド・グッドマンは、「日本人はなぜ、ユダヤ人が「好き」なのか!? 実際に接する機会はほとんどないのに、左翼も右翼も、知識人もジャーナリストもユダヤ人を語りたがる。その馬鹿げた空想の背景にあるのは、深刻な精神荒廃だ!」として『ユダヤ陰謀説』という著書を出版した[66]。
脚注
注釈
- ^ Goodman & Miyazawa 1995, pp. 259-60:「日本の反ユダヤ主義とは近代史の闇の噴出である。日本文化の基本パターンの有害版である。それは自らの不安感やアノミーを和らげるため近代を通して被害的妄想に迎合した、日本の外国人嫌悪者たちの敵意に満ちた政治的蒙昧主義から生じている。それは1930年代において、日本の統制を想定して第二次世界大戦を早めさせた、イデオロギーの不可欠な構成要素である。戦争時のショービニズムのグロテスクな面は、戦争後には隠されたものの、生き残って変化を遂げた。日本の反ユダヤ主義の歴史的根拠を否定することは、日本の民族ナショナリズムの歴史的遺産を無視し、日本の歴史的連続性を否定することである」
- ^ なお、この議定書は、偽造文書であると広く認められているにもかかわらず、ユダヤ人の陰謀の証拠として使用され続けている[4]
- ^ ゲーム会社のタイトー創業者であるロシア系ユダヤ人ミハエル・コーガンも安江らの影響で日本で活躍の場を求めるようになった
- ^ ブライアン・ビクトリアはこう書く。「田中は、ユダヤ人が世界を支配するために社会不安を煽っていると主張した。彼は、人々の道徳感を破壊する計画の一環として、特に学界の中で、ユダヤ人が自由主義を主張したと指摘している…田中のような人物らの助けを借りて、ユダヤ人が殆どいないにもかかわらず、反ユダヤ主義は日本社会全体に急速に広がった。」としている[22]
- ^ ただし、『猶太禍』は山中の著作ではない。陸軍学校のロシア語教授だった樋口艶之助が、1923年に北上梅石というペンネームで刊行した書物が『猶太禍』(内外書房)である[5]。
- ^ これはオリジナル文章の引用ではなく、英語版記事en:Antisemitism in Japan の文を翻訳したもの。『大東の鉄人』原文が英訳され再び日本訳したため、原文とは異なる表現である(以降の枠無し引用箇所も同様)。
- ^ 世界史的に、ユダヤ人とパレスチナ人は折り合いが悪く、ユダヤ人側はパレスチナに親密な思想を反ユダヤ主義とする傾向が強い。その背景や詳細は「パレスチナ問題」を参照。
- ^ 2008年に被害者の遺族は、日本赤軍へのテロリズム支援を1988年に幾度か行なったとして、北朝鮮に訴訟を起こしている[38]
- ^ 翻訳元の英語版en:Antisemitism in Japan では、オウムが仏教団体(Buddhist religious group)と紹介されているが、日本ではいわゆる新興宗教団体を隠れ蓑としたテロリスト組織、という認識である。ここでは単に宗教団体とした。
- ^ これは日本でベストセラーになった預言書(Prophecies)の緩やかな翻訳である
- ^ 教団幹部だった上祐史浩によると、村井が死ぬ間際の言葉は「ユダにやられた」である。ただし、村井がユダヤ陰謀関連の情報を収集していたらしいことも語っている[51]。詳細は村井秀夫刺殺事件#上祐史浩の主張を参照。
出典
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参考文献
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- 松浦寛 『ユダヤ陰謀説の正体』筑摩書房〈ちくま新書〉、1999年。ISBN 4-480-05823-0。
- 宮澤正典「昭和戦時下における新聞の親ナチ・反ユダヤへの傾斜」第10巻、同志社大学一神教学際研究センター、2015年。
- ノーマン・コーン 『ユダヤ人世界征服陰謀の神話―シオン賢者の議定書』内田樹訳、ダイナミックセラーズ、1986年。ISBN 4884932196。 [原著1981年][付録に「シオン賢者の議定書」全文邦訳]
関連文献
- 高尾千津子「アブラハム・カウフマンとハルビン・ユダヤ人社会:日本統治下ユダヤ人社会の一断面」『スラブ・ユーラシア学の構築』研究報告集 (17)、北海道大学スラブ研究センター、2006-09年、47-58頁。(1930-40年代、満州地方での対ユダヤ政策に関する内容)
関連項目
外部リンク
- と学会公式HP
- Review of Jews in the Japanese Mind, David G. GoodmanとMiyazawa Masanoriによる日本人のユダヤ人に対する態度に関する本のレビュー。
- On Ignorance, Respect and Suspicion: Current Japanese Attitudes toward Jews、 ロテム・コーナーによる、 ユダヤ人に対する日本人の見解についての大規模研究。
- The Protocols of the Elders of Zion, Aum, and Antisemitism in Japan (PDF) by David G. Goodman.
- On Symbolic Antisemitism: Motives for the Success of the Protocols in Japan and Its Consequences ロテム・コーナーによる 批判的エッセイ。
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