開けて悔しき玉手箱のブログ

浮世の世間で ある日 玉手箱を 開けてしまった........。 気づくと そこは......。

天照皇大神宮教では、「世界平和は己の心の平和から」と捉え、心が清らかで正しい人間になることが、まず大切であると説いている。 そして、個人の心の平和から、家庭の平和、学校の平和、職場の平和、地域の平和へと拡充していくことを目指している、という。

天照皇大神宮教  

 

宗教法人天照皇大神宮教
設立 1947年(昭和22年)1月
設立者 北村サヨ
(在任期間:1945年8月12日 - 1967年12月28日
種類 宗教法人
法人番号 9250005006991 ウィキデータを編集
本部
日本の旗
日本
742-1502
山口県熊毛郡田布施町大字波野10123
北緯33度57分41秒 東経132度2分16秒
公用語 日本語
教主 北村清和(2代教主)
(在任期間:
1968年1月2日 - 2006年6月7日
北村明和(3代教主)
(在任期間:
2009年1月2日 - )
代表役員 北村義人
(在任期間:
1947年1月2日 - 2007年7月14日
北村哲正
(在任期間:
2009年1月2日 - )
ウェブサイト なし
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北村サヨ、1945年~1950年頃
教団の「無我の舞」、1948年9月

天照皇大神宮教(てんしょうこうたいじんぐうきょう)は、宗教法人格を有す新宗教団体の一つ。文化庁宗教年鑑』の分類では「諸教」となっている。

 

概要 

信者数は国内で約49万人(2018年現在)。本部は、山口県熊毛郡田布施町大字波野10123。山口道場は、山口県山口市平井188。東京道場は、東京都千代田区九段北4丁目3-18。

教祖は熊毛郡田布施町の農婦、北村サヨ(大神様、1900年1月1日-1967年12月28日)(出生地:山口県玖珂郡日積村大里(現在の柳井市日積))。二代目教主はサヨの孫娘(サヨの長男北村義人(若神様、宗教法人天照皇大神宮教代表役員)の娘)、北村清和(姫神様、1950年4月27日-2006年6月7日)。三代目教主は清和の娘・北村明和(明和様、1990年1月9日-)。

サヨは農家の嫁であったが、1942年に自宅の納屋などが放火に遭い犯人捜しのために祈祷師に勧められた丑の刻参り水行修行を始めた。そして1944年に肚(はら)で自分以外の何者かがサヨに話しかけるようになり、サヨの口を使って人々に教えを説き始め開教した。1945年8月12日に宇宙絶対神天照皇大神)が降臨したとしている。

1946年、教団ではこの年を「神の国の紀元元年」と呼び、独自の年号「紀元」を使用し始めた。

なお、教団の名称は、第二次大戦終結前の国粋主義的な歴史教育[1]を受けた人々に対して、宇宙の最高神の教えであることを示すべく、教祖の肚に入った神によって呼称されたものである。内実としては、神道皇大神宮伊勢神宮)とも他の既成宗教や新興宗教ともまったく関係がない。とりわけ、『日本書紀』や『古事記』で書かれているような日本神話の神々とは、無関係である。

すなわち、天照皇大神宮教の神とは、仏教でいう本仏キリスト教でいう天なる神と同じ、宇宙絶対神であるとしている。

このことに該当する記述は、教団が出版している『生書』(「せいしょ」)第一巻によると、次のとおりである。「夜はまた夜で肚のもの(=教祖の肚に入った神―当編者補足)は、思いもよらぬことを教祖に話して聞かせるのである。『おサヨ、天照皇大神宮というのは、日本小島の守護神と思うなよ。宇宙を支配する神は一つしかありゃしない。キリストの天なる神、仏教の本仏というのもみな一つものぞ』と」[2]

 

神の国 

天照皇大神宮教では、「世界平和は己の心の平和から」と捉え、心が清らかで正しい人間になることが、まず大切であると説いている。

そして、個人の心の平和から、家庭の平和、学校の平和、職場の平和、地域の平和へと拡充していくことを目指している、という。

教祖の肚に入った神の目的は、地上神の国建設であり、教祖が説く教えを中心に、神行(しんこう)の日々を送る同志の世界ができたことで、「神の国ができた」としている。そして、この世界が広がることが、地上神の国建設である、と説明している。

 

教祖 

教祖の北村サヨは、小学校6年間を経たのち、嫁いだ農家の主婦であったが、放火の疑いのある自宅の火事を機に、丑の刻参りや水行を始めた。そして、1944年昭和19年)5月4日、肚で何者かがものを言うようになり、人々に教えを説き始めた、という[3]

『生書』第一巻によると、教祖は、神から「世界が一目に見えるめがね」を授かり、宇宙一切のもの、そして、人の過去の行状から前世にいたるまで、見ることができたという[4]

その後、教祖は国内はもとより、世界各国に何度も巡教し、その教えを広めた。その様子は、『生書』の第一巻から第四巻までに記されている。

そして、昭和19年5月から死去するまでの24年間にわたり、教祖は日々、教えを説き続けたという。

 

教勢 

文化庁宗教年鑑 令和3年版』によると公称信者数は490,870人で、生長の家(41万219人)、円応教(44万9,727人)、カトリック(44万0,893人)、金光教(40万9,387人)などを上回っている。山口県からの移民が多かったアメリカ合衆国ハワイ州にはサヨ自ら巡教に訪れており、日系人を中心に一定数の信者がいる[5]ほか、1976年には道場も開設されている[6]

 

脚注 

  1. ^ 天皇を現人神―あらひとがみ―とし、アマテラスオオミカミ(またの読みとしてはアマテラスメオオカミ)を天皇家の祖先すなわち最高神であるとする教育。
  2. ^ 『生書』第一巻、第11版、76-77頁
  3. ^ 『生書』第一巻、第11版、48頁
  4. ^ 『生書』第一巻、第11版、151頁
  5. ^ 西山茂・藤井健志(N・ヘイブンス訳)「ハワイ日系人社会における天照皇大神宮教の伝播と展開」『國學院大學日本文化研究所紀要』64所収、390頁-430頁 1989年 國學院大學日本文化研究所
  6. ^ 天照皇大神宮教天照皇大神宮教ハワイ道場竣工記念』1976年 天照皇大神宮教
 

参考文献