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日緬関係

日緬関係  

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日緬関係

日本

ミャンマー

本項目における日緬関係(にちめんかんけい、英語Japan–Myanmar relations)は、日本ミャンマー二国間関係である。1989年までのミャンマーの旧称ビルマに基いて、日本とビルマの関係英語Burma–Japan relations)と呼ばれることもある。

両国の比較 

 
ミャンマー
日本
両国の差
人口 5141万人(2014年)[1] 1億2711万人(2015年)[2] 日本はミャンマーの約2.5倍
国土面積 68万 km²[1] 37万7972 km²[3] ミャンマーは日本の約1.8倍
首都 ネピドー 東京  
最大都市 ヤンゴン(旧・ラングーン) 東京  
政体 大統領制 議院内閣制[4]  
公用語 ビルマ語ミャンマー語 日本語事実上  
国教 なし なし  
GDP(名目) 657億7500万米ドル(2015年)[5] 4兆1162億4200万米ドル(2015年)[5] 日本はミャンマーの約62.6倍
防衛費 N/A 409億米ドル(2015年)[6]  

概略 

19世紀末頃からイギリスにより植民地支配されていたビルマでは、第二次世界大戦後半に相当する1942年から1945年にかけてビルマに独立を約束した日本軍が占領して軍政を敷いていた。日本軍がビルマから駆逐された後にはイギリスが支配者として返り咲き、1948年に独立を勝ち取るまで宗主国イギリスの支配下にあった。植民地の中でも「米どころ」として広く知られていたビルマは、独立したばかりの頃には東南アジア諸国の中でも最も将来を嘱望されていた新興国のうちの一国であった[7]。しかし、1962年クーデターで政権を奪取したネ・ウィン将軍が率いる軍事政権が社会主義体制を取ったことによりビルマ経済は停滞し、1987年には国連から最貧国に認定を受けるに至った[8]。こうした慢性的な経済危機にあったビルマにとって、資本主義体制を取る日本との経済協力はイデオロギーの対立を超えて重要なものであり、第二次大戦後の日緬関係は良好なものであり続けた。ビルマに対する戦後処理は、1954年に締結された賠償協定で最終的かつ不可逆的に決着している[9]

政治や経済の繋がりだけでなく、日本では、文学作品『ビルマの竪琴』や同映画作品[10]、ノンフィクション作品『アーロン収容所』(会田雄次[11]などといった文化面でもビルマの名が広く知られている。一方で、ミャンマー1989年に改称された)の軍事政権による統治は国際的な非難を浴びることが多く、日緬関係の情緒的に近しさとは裏腹に、政治や経済の面における両国関係は長らく非常に薄いものであった。しかし、2010年アウンサンスーチー率いる国民民主連盟(NLD)が合法政党化されるなどの民主化が進んでからは、日本企業のミャンマー進出が加速している。

また、上座部仏教が保持されている国としても名高く、タイの仏僧に弟子入りした日本人の柴橋光男(還俗前の法名はアーチャン・カベサコ)のように、西澤卓美(還俗前の法名はウ・コーサッラ)などが、ミャンマーの仏僧に弟子入りしていたこともある[12]

ウー・オッタマ(1879 – 1939)

年表 

経済関係 

ミャンマーの木材であるビルマチークを現地で製材して日本へ直輸入する株式会社藤本(広島県)は、比較的早くからミャンマーに進出して経済制裁の時期にもミャンマーから撤退しなかった日本の民間企業のうちの一つである。当初は株式会社藤本材木店という屋号で、1970年ビルマ農林大臣からの木材購入依頼を受け、同年中にラングーン(後のヤンゴン)で現地駐在員事務所を開設。その後は木材の輸入だけにとどまらず、ビルマ国営木材公社との二人三脚で現地での生産や生産指導などに取り組んで、1993年にはヤンゴン現地法人Kyaw Trade (S) Pte Ltdを設立[26]

1998年ミャンマー建設省住宅局と三井物産の共同開発により、ミンガラドン工業団地が開設された。ヤンゴン市中心部から20km、ヤンゴン港まで24km、ティラワ・コンテナターミナルまで50kmという立地で、工業団地と同名の駅ミンガラドン駅から徒歩20分、ヤンゴン国際空港から7kmの位置にある[27]

外交使節 

ミャンマー日本大使 

駐日ミャンマー大使 

この節の加筆が望まれています。
  • テイン・マウン(1943~1945年)
  • ウ・チ・コー・コー
  • ウ・バ・ツウィン
  • ????(1989~1991年、信任状捧呈は9月22日[28]
  • ????(1991~1994年、信任状捧呈は7月26日[29]
  • ソー・ウィン(1994~1999年、信任状捧呈は12月26日[30]
  • キン・マウン・ティン英語版(1999~2003年、信任状捧呈は12月24日[31]
  • ソウ・フラ・ミン(2003~2005年、信任状捧呈は2004年1月16日[32]
  • フラ・ミン英語版(2005~2010年[33]、信任状捧呈は10月7日[34]
  • キン・マウン・ティン(2011~2015年、信任状捧呈は6月10日[35]
  • トゥレイン・タン・ズィン(2015年~、信任状捧呈は10月21日[36]

出典・脚注 

  1. a b c d e f ミャンマー基礎データ | 外務省
  2. ^ 平成27年国勢調査人口速報集計 結果の概要 - 2016年2月26日
  3. ^ 日本の統計2016 第1章~第29章 | 総務省統計局
  4. ^ 日本国憲法で明確に定められている。
  5. a b Report for Selected Countries and Subjects | International Monetary Fund (英語)
  6. ^ SIPRI Fact Sheet, April 2016Archived 2016年4月20日, at the Wayback Machine(英語) - 2016年4月
  7. ^ 忘れられたアジアの片隅 50年間の日本とビルマの関係 (A Forgotten Corner of Asia: Fifty Years of Burma‐Japan Relations)
  8. a b c d e ビルマの歴史と民主化闘争の軌跡 - 京都精華大学
  9. ^ 日本国とビルマ連邦との間の賠償及び経済協力に関する協定 - 1954年11月5日
  10. a b c d ビルマの竪琴 / 財団法人大阪国際児童文学館 子どもの本100選
  11. a b アーロン収容所|新書|中央公論新社 - 1962年11月17日
  12. ^ 仏教先進国ミャンマーのマインドフルネス 西澤卓美(著/文)(サンガ)| 版元ドットコム
  13. a b c 神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 : 産業経済新聞 1943.3.27-1943.3.31「新生ビルマの全貌 (一〜四・完)」
  14. a b (英語表記)U Ottamaコトバンク
  15. ^ 『葭の影 : 中条葭江遺稿』p126中条精一郎, 1935.7
  16. ^ オッタマ法師を憶ふ『新亜細亜小論』大川周明 (日本評論社, 1944)
  17. ^ 留学生と名古屋大学―史林遍歴(7)名古屋大学大学史資料室ニュース 第14号、2003年3月31日(
  18. a b c d ビルマ獨立論(上) : 太平洋戦争によるビルマの政治的変化について具島兼三郎, 法政研究. 19 (2), pp.1-48, 1951-11-30. 九州大学法政学会
  19. ^ <資料・研究ノート>ビルマ国軍史(その2) | 京都大学 - 1970年12月
  20. a b c d アウンサンスーチー プロフィール - 京都精華大学
  21. a b ミャンマーの大統領就任要件として、ミャンマー憲法ビルマ語版英語版第59条(6)により「本人、両親、配偶者、子供とその配偶者のいずれかが外国政府から恩恵を受けている者、もしくは外国政府の影響下にある者、もしくは外国国民であってはならず、また、外国国民、外国政府の影響下にある者と同等の権利や恩恵を享受することを認められた者であってはならない。」と明確に定められている。
  22. ^ アウンサンスーチーさん : アムネスティ日本 AMNESTY - 2013年7月
  23. ^ ミャンマー・ティラワ経済特別区(SEZ)情報連絡会 | ミャンマー - アジア - 国・地域別に見る - ジェトロ
  24. a b c スーチー氏がロヒンギャを無視する理由 (2/4) | プレジデントオンライン
  25. ^ ロヒンギャ問題対応で日本を批判 国際人権団体 | 全国のニュース | 福井新聞ONLINE
  26. ^ ビルマチークの藤本概要
  27. ^ 松田健『魅惑のミャンマー投資』(カナリア書房、2008年) ISBN 978-4778200664、pp.148-149
  28. ^ 信任状捧呈式(平成元年) - 宮内庁
  29. ^ 信任状捧呈式(平成3年) - 宮内庁
  30. ^ 信任状捧呈式(平成6年) - 宮内庁
  31. ^ 信任状捧呈式(平成11年) - 宮内庁
  32. ^ 新任駐日ミャンマー連邦大使の信任状捧呈について | 外務省 - 2004年1月15日
  33. ^ ご引見(平成22年) - 宮内庁
  34. ^ 外務省: 新任駐日ミャンマー連邦大使の信任状捧呈について - 2005年10月7日
  35. ^ 外務省: 新任駐日ミャンマー連邦共和国大使の信任状捧呈について - 2011年6月10日
  36. ^ 新任駐日ミャンマー大使の信任状捧呈 | 外務省 - 2015年10月21日

関連項目 

外部リンク 

 

ロボトミー 

ロボトミー   

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ロボトミー
 
「ウォルター・フリーマン博士は去り、ジェームズ・ワッツ博士は精神外科手術の前にレントゲンを研究しています。精神外科は新しいパターンを形成するために脳を切り開き、妄想、強迫観念、神経質な緊張などを取り除きました。」Waldemar Kaempffert、「心をひっくり返す」、土曜日の夜のポスト、1941年5月24日。[1]
他の名前 白血球摘出術、白血球摘出術
ICD-9-CM 01.32
メッシュ D011612

ロボトミー、またはleucotomyは、の形ですpsychosurgery脳神経外科治療精神障害、脳の中の接続切断が含ま前頭前皮質を[2]前頭前皮質、すなわち脳の前頭葉の前方部分との間の接続の大部分は切断されている。精神科に使用されました   西欧諸国では20年以上にわたって主流の手順として時折他の条件。これは頻繁で深刻な副作用の一般的な認識にもかかわらずでした。何人かの人々は手術で症状の改善を経験しましたが、改善は他の減損を引き起こすことを犠牲にして達成されました。この手続は、利益とリスクのバランスから、当初の使用からは物議を醸していました。今日では、ロボトミーは失望した手技、医学的な野蛮行為の代名詞、そして患者の権利の医学的踏みつけの典型的な例となっています。[3]

手順の発信、ポルトガル語神経エガス・モニスは、共有生理学医学ノーベル賞、「特定の精神病でleucotomyの治療的価値の発見」の1949年の[N 1]賞の授与は、対象となってきたものの論争へ。[5]

この処置の使用は1940年代初頭から1950年代にかけて劇的に増加した。1951年までに、米国だけで約2万のロボトミーが行われ、それに比例して英国でも行われました。[6] lobotomiesの大多数は女性で行いました。アメリカの病院の1951年の研究では、ロボトミー患者の60%近くが女性であることがわかりました。限られたデータによると、1948年から1952年までの間にオンタリオ州で行われたロボトミーの74%が女性に対して行われていました。[7] [8] [9] 1950年代以降、ロボトミーは放棄され始めた[10]。最初はソビエト連邦[11]およびヨーロッパで。[12]用語が由来するギリシャ語λοβόςロボスを「ローブ」と「ロースト」と「カット、スライス」。

効果 

私は、この手術が彼女の精神状態にほとんど影響を及ぼさないであろうことを十分に理解していますが、彼女がより快適でより手入れがしやすくなることを期待してそれをしても構わないと思っています。

"Helaine Strauss"、[n 2] "エリート私立病院の患者"に対するロボトミー手術の同意書にコメントが追加されました。[13]

手術の目的は精神障害の症状を軽減することであり、これは人の人格と知性を犠牲にして達成されたと認識されていました。300人の患者の追跡調査を実施したイギリスの精神科医Maurice Partridgeは、この治療は「精神的生活の複雑さを軽減する」ことによってその効果を達成したと述べた。手術後、自発性、反応性、自己認識および自制心は低下した。活動は慣性によって置き換えられました、そして、人々は感情的に鈍くされて、彼らの知的範囲で制限されたままにされました。[14]

操作の結果は「混合」として説明されています。[15]一部の患者は手術の結果として死亡し、他の患者は後で自殺した。一部は深刻な脳損傷を受けた。他の人たちは病院を出ることができたか、または病院内でより扱いやすくなった。[15]少数の人々は、他の極端な人々で厳しいと無効化の障害が残った一方で、責任ある仕事に戻ることができました。[16]ほとんどの人は中間的なグループに陥り、自分たちの症状はいくらか改善されただけでなく、それを改善または悪化させた感情的および知的障害も残しました。[16] 1940年代の平均で、死亡率はおよそ5パーセントでした。[16]

ロボトミー手術は、患者の人格および独立して機能する能力に深刻な悪影響を及ぼす可能性があります。[17]ロボトミー患者では、主導性および抑制性が著しく低下することがよくあります。[18]彼らはまた、難易ため、社会から減少認知と剥離の他人の立場に自分を置くことを示すことができます。[19]

手術直後、患者はしばしば愚かで混乱し、そして失禁していました。いくつかは巨大な食欲を開発し、かなりの体重を増やしました。発作は手術のもう一つの一般的な合併症でした。手術後数週間から数ヶ月の間に患者の訓練に重点が置かれました。[20]

Walter Freemanは「外科的に誘発された小児期」という用語を作り出し、ロボトミーの結果を指すためにそれを絶えず使用しました。手術は人々に「幼児の性格」を残しました。フリーマンによれば、成熟期はそれから回復につながるでしょう。未発表の回顧録の中で、彼は、「彼が存在すると思われる社会的圧力にもっと従順にすることを期待して、患者の性格が何らかの形で変化した」ことを説明した。彼は、1人の29歳の女性が、ロボトミーに続いて、Freemanの名前を思い出せず、空の鍋からコーヒーを注ぎ込むことができなかった「笑顔で、怠惰で満足のいくカキの人格を持つ患者」であると述べた。彼女の両親が彼女の行動に対処するのが困難だったとき、[21]

歴史 

20世紀初頭には、精神病院に居住する患者数が大幅に増加しましたが[3]、効果的な治療法はほとんど利用できませんでした。[n 4] [27]現時点でヨーロッパで開発された一連の根治的かつ侵襲的な理学療法の1つであり、19世紀後半から普及してきた治療的ニヒリズムの精神的文化の破綻を示唆していた。[28]新しい「ヒロイックこの実験時代に考案」物理療法、[29]を含むマラリアの治療のために狂気の一般的な麻痺(1917)、[30] ディープスリープ療法(1920)、インスリンショック療法(1933)、カルジアゾールショック療法(1934)、および電気けいれん療法(1938)、[31]その時は治療的に瀕死で失神した精神科職業に失神の治癒力の新たな楽観的感覚を与えるのに役立ったそして彼らの工芸品の効力。[32]ショック療法が成功したことは、患者にかなりのリスクを与えたにもかかわらず、ロボトミーを含むさらに劇的な形態の医学的介入に精神科医を適応させるのにも役立った。[29]

臨床家で歴史のあるJoel Braslow氏は、マラリア治療からロボトミー理学療法は「脳の内部に近づくにつれて徐々に螺旋状になる」と主張し、この臓器はますます「中心的病期と治癒の場としての中心的段階」をとるようになる。[33]のためにロイ・ポーター病歴の長老一度、[34] 1930年代と1940年代に開発され、多くの場合、暴力的で、侵襲性精神介入は苦しみを緩和するいくつかの医療手段を見つけるための精神科医の善意の願望の両方の指標となります精神病院では膨大な数の患者がおり、また、亡命医のますます過激で無謀な介入にさえ抵抗する同じ患者の社会的力の相対的な欠如。当時の多くの医師、患者、家族は、破滅的な結果を招く可能性があるにもかかわらず、ロボトミーの結果は多くの例で明らかに肯定的であると考えられていた。制度化。ロボトミーは常に物議をかもしていますが、医療の主流の時代の間、それがなければ絶望的であると見なされた患者のカテゴリーのための必死の救済策でさえ模倣されていました。[36]今日、ロボトミーは失望した手技、医学的な野蛮さのための傍観者、および患者の権利の医学的踏みつけの典型的な例となっている。[3]

初期の精神外科 

ゴットリーブ・ブルクハルト(1836-1907)

1930年代以前は、個々の医者はめったにめちゃくちゃと思われるそれらの脳の新しい外科手術を実験しました。最も顕著なのは1888年、スイスの精神科医Gottlieb Burckhardtが、現代の人間の精神外科における最初の体系的な試みと一般に考えられていることを始めました。[37]彼は、スイスのPréfargierAsylumで治療を受けている6人の慢性患者を手術し、大脳皮質の一部を切除した。Burckhardtの手術の決断は、精神疾患の性質とその脳との関係についての3つの広範な見解によって知らされました。まず、精神疾患は本質的に器質的であり、根底にある脳の病理を反映しているという信念。次に、神経系は 入力または求心性システム(知覚センター)、情報処理が行われた接続システム(関連センター)、および出力または遠心性システム(運動センター)を含む関連モデル。そして最後に、個別の精神機能が脳の特定の領域に結び付けられているという、モジュール化された脳の概念。[38] Burckhardtの仮説は、関連の中心として識別された脳の領域に故意に病変を作り出すことによって、行動の変化が起こるかもしれないというものだった。[38]彼のモデルによると、精神障害者は脳の知覚領域で「質、量および強度に異常な興奮」を経験する可能性があり、そしてこの異常な刺激は運動領域に伝達されて精神病理学を引き起こします。[39]しかしながら、彼は、感覚帯または運動帯のいずれかから物質を除去することが「重大な機能障害」を引き起こす可能性があると推論した。[39]の代わりに、関連施設を標的にしてのモータ領域の周りに「溝」を作成することにより、側頭葉、彼はコミュニケーションの彼らのラインを破るため、精神症状や精神的苦痛の経験の両方を軽減することを望みました。[40]

ルートヴィヒ・プセップc。1920年

暴力や難治条件を持つもので症状を改善するのではなく硬化をもたらすために意図、[41]ブルクハルトは、1888年12月に患者に操業を開始した、[42]が、両方の彼の手術法および器械は、粗であり、手続きの結果がで混合し、ベスト。[39]彼は合計6人の患者を手術し、自分の評価によれば、2人は変化なし、2人はより静かになり、1人の患者はてんかん性痙攣を経験し、手術後数日で死亡し、1人の患者は改善した。[n 5]合併症には、運動失調、てんかん、感覚失語症および「難聴」が含まれていました。[44]成功率50%を主張する、[45]彼はベルリン医学会議で結果を発表し、報告を発表したが、彼の医学的同僚からの反応は敵対的であり、彼はそれ以上の手術はしなかった。[46]

1912年に基づき、2人の医師サンクトペテルブルク、ロシアの主要神経科ウラジーミル・ベヒテレフと彼の若いエストニアの同僚、神経外科医ルドビグ・パウセップは精神障害者に対して行われていた外科的介入の範囲を検討する論文を発表しました。[47]これらの努力を一般的に好意的に扱う一方で、精神外科を考慮して、彼らは1888年のBurckhardtの外科的実験のための絶え間ない侮辱を留保し、訓練された医師がそのような卑劣な手技を引き受けることは驚くべきことであると述べた。[48]

「我々だけでなく、どのように根拠を示すために、このデータを引用しているだけでなく、これらの操作があったか危ない。私たちは、医学の学位の方法を自分の著者、ホルダーを説明することができない、それらを実行するために自分自身をもたらす可能性が...」[49]

著者は1910年にPuusepp自身が、3人の精神障害患者の脳の手術を行っていたこと、しかし、言及するのを怠っ[N 6] [51]切片皮質間の前頭葉頭頂葉を[52]彼は不十分な結果のためにこれらの試みを放棄した、そしてこの経験はおそらく1912年の記事でBurckhardtに向けられた探求を促した。[48] 1937年、Puuseppは、ブルクハルトの彼の以前の批判にもかかわらず、ますますpsychosurgeryは、精神障害のために有効な医療介入することができることを説得されました。[n 7] [54]1930年代後半、彼はトリノ近郊のRacconigi病院の脳神経外科チームと緊密に協力して、イタリアで白血球除去術を採用するための初期の有力なセンターとしてそれを確立しました。[55]

開発 

エガス・モニス

Leucotomyは、最初の指示の下で1935年に行われたポルトガルの 神経(及び長期の発明psychosurgeryエガス・モニス[N 8] [59]まず、1930年代初頭における精神疾患とその体細胞治療への関心を開発[60]モニスは明らかに精神疾患の治療薬として脳に外科的介入の開発に認識のための新しい機会を考案しました。[41]

前頭葉 

精神外科を危険にさらすというMonizの決定のためのインスピレーションの源は、Monizと他の人が同時にかつ遡及的に行った矛盾する記述によって曇ってきました。[61]伝統的な物語は、Monizがなぜエールの神経科学者John Fultonの作品、そして最も劇的には、第2回国際会議で彼の後輩の同僚Carlyle Jacobsenと一緒に行われた発表に言及して前頭葉を狙ったのかという問題を扱う。1935年にロンドンで開催された神経学の[62]研究のフルトンの主なエリアは、霊長類の皮質機能にあった、彼は1930年代初頭にエールでアメリカ初の霊長類の神経生理学研究所を設立しました。[63]1935年大会では、出席のモニスで、[N 9]フルトンとヤコブセンは2匹の提示チンパンジー前頭lobectomiesと行動や知的機能で、その後の変化を持っていたベッキーとルーシーという名前を、。[64]議会のフルトンのアカウントによると、彼らは手術前に、両方の動物、特にベッキー、2、展示「frustrational行動」のより感情的であると説明-つまり、床に転がり含んでも癇癪を持っており、排便 - 一連の実験的作業におけるパフォーマンスが低いために、それらが報われなかった場合。[65]前頭葉を外科的に除去した後、両霊長類の行動は著しく変化し、Beckyは、Jacobsenがあたかも彼女が「幸せカルト」に加わったかのようにそれを言ったように平和化した。[64]紙の質問と回答のセクションの間に、モニス、それは言われて、フルトンは、この手順は、精神的な病気に苦しんでヒト被験者に拡張する可能性がある場合は問い合わせて「びっくり」。フルトンは、理論的には可能ではあるがそれは確かに「強すぎる」人間への使用のための介入であると彼が答えたと述べた。[66]

脳のアニメーション:左前頭葉が赤で強調表示されます。Monizは、彼が1933年に最初に考案した白血球切開術で前頭葉を標的にしました。

そのMonizは、議会がフルトンとヤコブセンの発表と前頭葉を手術するというポルトガル神経科医の決意との間の明白な因果関係を強化したちょうど3ヵ月後に白血球切開術で彼の実験を始めました。[67]は、時々 、ロボトミーの父として主張されているこのアカウントフルトン、の著者として、技術は彼の研究室でその真の発信があったことを記録して以降のことができました。[68]1949年、ハーバード大学神経内科医スタンレーコブは、このような事件を支持して、アメリカ神経学会の大統領演説の中で、「医学の歴史の中でめったに実験室観察を受けたことはめったになかった」と述べた。記述された事件から10年後にペンが付けられたFultonの報告は、しかしながら、歴史的記録における確証がなく、彼が議会について書いた以前の未発表の説明とほとんど類似していない。この前の物語で彼はMonizとの付随的な、私用交換について述べたが、彼が公布した彼らの公の会話の公式版は根拠がないことはありそうです。[69]実際には、モニスは、彼は自信に彼の後輩の同僚、若い言われた、1935年にロンドンへの彼の旅の前に、操作のいくつかの時間を考えていたと述べた神経外科医、彼psychosurgicalアイデアのペドロ・アルメイダリマ、早ければ1933。[70]伝統的な説明は、前頭葉手術を開始するというMonizの決定に対するFultonとJacobsenの重要性を誇張しており、現時点で出現した詳細な一連の神経学的研究がMonizおよび他の神経内科医と脳神経外科医にこの手術を示唆したという事実を省略する脳の一部は精神障害者に著しい人格変化をもたらすかもしれません。[71]

前頭葉は19世紀後半から科学的な調査と投機の対象となっていたので、Fultonの貢献は知的支援の源として機能したかもしれないが、それ自体は不要であり、Monizがこのセクションを操作する決意の説明としては不十分である。脳の [72]哺乳類の脳、特に前頭葉のような、最近の発達に関連した領域は、より複雑な認知機能を担っていると考えられてきた。[73]しかしながら、19世紀の実験では、外科的除去または前頭葉の電気刺激後の動物の行動に有意な変化は見られなかったため、この理論的定式化は実験室での支持をほとんど見いださなかった。[73]いわゆる「沈黙の葉」のこの絵は、第一次世界大戦後の時代に脳外傷を受けた元軍人の臨床報告の作成によって変化した。脳神経外科的技術の改良はまた、脳腫瘍を除去し、ヒトにおける局所てんかんを治療する試みの増加を促進し、そして動物実験におけるより正確な実験的脳神経外科手術をもたらした。[73]罹患または損傷した脳組織を外科的に除去した後に精神症状が軽減した症例が報告された。[52]前頭葉の損傷後の行動変化に関する医学的事例研究の蓄積は、苦しんでいる特定の嗜好性と幼稚性を特徴とする神経学的状態を示すWitzelsuchtの概念の定式化をもたらした。[73]これらの研究から明らかになった前頭葉機能の写真は、反対側の葉が無傷のままであれば、単一葉への損傷に伴う神経学的欠損が補われる可能性があるという観察によって複雑になった。[73] 1922年、イタリアの神経科レオナルド・ビアンキ前頭葉が知的機能に不可欠であり、それらの除去が被験者の性格の崩壊につながったという主張を支持する動物の両側性肺葉切除の結果に関する詳細な報告を発表しました。[74]この研究は、影響力があるが、実験計画法の欠陥のために批評家なしではなかった。[73]

アメリカの神経外科医によって行われたヒト被験体の最初の両側肺葉切除ウォルターダンディ 1930年に[N 10] [75]リチャードBricknerは1932年にこのような場合に報告された神経科医、[76]患者A」として知られている受信者を、関連「影響の平坦化を経験している間、知的機能の明らかな減少を被ることはなく、少なくとも普通の観察者には、完全に正常に見えた。[77] Bricknerは「前頭葉は知性のための『センター』ではありません」というこの証拠から結論しました。[78]これらの臨床結果は、1934年に神経外科医のRoy Glenwood Spurlingによって行われた同様の手術で再現された。 神経精神科医のSpafford Ackerlyによって報告されています。[79] 1930年代半ばによっては、前頭葉の機能への関心が高水位マークに達しました。これは、ホストされたロンドンの1935神経学会議に反映されていた[79]を審議の一環として、[79]前頭葉の機能に著しいシンポジウム...。」[80]パネルが議長を務めたアンリ・クロード「深く被験者の人格を変更する前頭葉を変更する」、前頭葉の研究の状態を確認して、セッションを開始し、フランスのneuropsychiatrist、と結論づけ。[78]このパラレルシンポジウムには、神経内科医、脳神経外科医、心理学者による多数の論文が含まれていました。これらの中には、Monizに非常に感銘を与えたBricknerによるもの[77]もあり、それは再び "患者A"の場合を詳述した。[79]フルトンと実験生理学上の会議の別のセッションで提示ヤコブセンの論文では、前頭葉の機能に動物とヒトの研究をリンクで顕著でした。[79]このように、1935年大会の時に、モニスはよくフルトンやヤコブセンの観測を超えて延長前頭葉の役割に関する研究の増加ボディ彼に利用可能でした。[81]

1930年代にMonizが前頭葉を直接対象とした治療法を検討した唯一の開業医でもなかった。[82]結局のところ脳手術をあまりにも多くのリスクを負うものとして割り引いたが、ウィリアムメイヨー、ティエリードゥマルテル、リチャードブリックナー、そしてレオダビドフのような医師や神経科医は、1935年以前にこの提案を楽しんだ。[n 11] [84] Julius Wagner-Jaureggによる精神異常の全身麻痺の治療のためのマラリア治療の開発に触発された フランスの医師MauriceDucostéは、1932年に、頭蓋骨にあけられた穴を通して100人以上の麻痺患者の前頭葉に5mlのマラリア血を直接注入したと報告しました。[82]彼は、注入されたpareticsは「uncontestable精神的、肉体的改善」の兆候を示していると主張し、処置を受ける精神病患者のための結果は、また、「奨励」されたこと。[85]また、フランスではエットーレMariotti、イタリアのM. SciuttiとFerdièreCoulloudonの作品で、1930年代の間に複製された前頭葉マラリア血を誘導発熱の実験的な注入。[86]スイスでは、Monizの白血球除去プログラムの開始とほぼ同時に、脳神経外科医FrançoisOdyが緊張型統合失調症患者の右前頭葉全体を切除した。[87]ルーマニアでは、ODYの手順は、ブカレストの中央病院の外に作業ディミトリBagdasarとConstantinescoで採択されました。[83]数年前から彼自身の結果を公表遅れODYは、後の「永続的な寛解」があったかどうかを判断するために待つことなくleucotomyを通じて患者を治していると主張するためモニスを叱責しました。[88]

神経学的モデル 

Monizの精神外科手術の理論的基礎は、彼の患者の脳から物質を切除するというBurckhardtの決定を知らせていた19世紀の精神外科手術とほぼ釣り合っていました。彼の後の著作でモニスは、ニューロンの理論の両方の参照がラモン・Yカハール条件反射イワン・パブロフ[89]を本質的に彼は単に古い心理学理論の観点から、この新しい神経学的な研究を解釈アソシエーショニズム[61]しかし、精神障害者の脳に有機的な病理があるとは思わなかったという点で、彼はBurckhardtとはかなり異なっていました。むしろ、それらの神経経路が固定的で破壊的な回路に引っかかって「優勢な強迫観念」をもたらしました。[n 12] [91] Monizが1936年に書いたように:

精神的な問題は...多かれ少なかれ固定的になるセルロース結合グループの形成との関係を持たなければなりません。細胞体は完全に正常なままであり得、それらの円柱はいかなる解剖学的変化も有さないであろう。しかし、普通の人々では非常に変わりやすいそれらの複数の連絡は、多少なりとも固定された取り決めを持っているかもしれず、それはある病的精神病状態で永続的な考えとせん妄と関係があるでしょう。[92]

モニスは、「これらの患者を治すために、」それ「は、脳内に存在するセルラ接続の多かれ少なかれ固定された配置を破壊し、前頭葉に関連した特に」する必要があった[93]このように、それらの固定を除去病的脳回路 Monizは、脳がそのような傷害に機能的に適応すると信じていました。[94]このアプローチの重要な利点は、Burckhardtが採用した立場とは異なり、身体的な脳の病理と精神疾患との間に既知の相関関係がないため彼の論文を否定できないため当時の知識と技術によれば変更不可能であることである。 。[95]

最初の白血球切開術 

手続きの根底にある仮説が疑問視されるかもしれません。外科的介入は非常に大胆であると考えられるかもしれません。しかし、そのような議論は、これらの手術が患者の身体的または精神的生活のいずれにも害を及ぼさないこと、そしてこのようにして回復または改善が頻繁に得られることが今や確認できるので二次的立場を占める

Egas Moniz(1937)[96]

1935年11月12日にリスボンのサンタマルタ病院で、モニスは精神障害者の脳に対する一連の手術の最初の手術を開始しました。[97]操作のために選択された初期の患者は、リスボンのミゲル・ボンバーダ精神病院、ホセ・デ・マトスソブラルシドの医療ディレクターによって提供されました。[98]Monizが脳神経外科の訓練を受けておらず、彼の手が痛風から不自由になったため、この手順は以前Monizに脳血管造影の研究を支援していたPedro Almeida Limaによる全身麻酔下で行われた。[n 13] [100]その意図は、前頭葉を他の主要な脳の中心につなげていたいくつかの長い線維を取り除くことでした。[101]この目的のために、リマは頭蓋骨の側面にトレフィンし、次に「前頭前野皮質下白質[96]にエタノールを注入して、結合している繊維または結合路を破壊することにしました[102]。そしてMonizが「正面の障壁」と呼んだものを作り出す。[n 14] [103]最初の手術が完了した後、Monizはそれを成功と見なし、そして実際には精神病院から退院したことはなかったが、患者の鬱病が軽減されたことに気づいて、彼は彼女を「治癒した」と宣言した。[104]        MonizとLimaは次の7人の患者のために前頭葉にアルコールを注入するこの方法を固執しました、しかし、彼らが好ましい結果と考えたものを引き出すために何度も何人かの患者を注入しなければなりませんでした。ローブ [104] 9人目の患者のために、彼らは白血球切片と呼ばれる手術器具を紹介した。これは、長さ11センチメートル(4.3インチ)、直径2センチメートル(0.79インチ)のカニューレでした。それは、回転すると前頭葉の白質に直径1センチメートル(0.39インチ)の円形の損傷を生じた、一端に格納式ワイヤループを有していた。[105]通常、6つの病変が各葉に切り込まれていますが、結果に不満がある場合、Limaはいくつかの手順を実行する可能性があり、それぞれ左右の前頭葉に複数の病変が生じます。[104]

1936年2月のこの最初の白血球切開術の終わりまでに、MonizとLimaは20人の患者に手術を行い、各処置の間の平均期間は1週間でした。Monizは、同じ年の3月に彼の調査結果を非常に早急に発表しました。[106]患者の年齢は27〜62歳であった。12人が女性、8人が男性でした。患者のうち9人はうつ病、6人は統合失調症、2人はパニック障害、1人は躁病緊張うつ病に罹患していると診断された 最も顕著な症状は不安と動揺です。手技前の病気の持続期間は、4週間を除くすべてが少なくとも1年間は病気だったが、4週間という短い期間から22年間という長い期間まで様々であった。[107]患者は通常、Monizの診療所に到着した日に手術を受け、10日以内にMiguel Bombarda Mental Hospitalに戻った。[108]術後1〜10週の時点で、術後の経過観察の評価が行われた。[109]各白血球除去術患者に合併症が観察され、以下のようなものが含まれていた:「体温の上昇、嘔吐、膀胱および腸の失禁、下痢、ならびに眼瞼下垂などの眼の疾患 そして、眼振、ならびに無関心、などの心理的影響無動、無気力、タイミングや地元の見当識障害、盗癖、および「飢餓の異常な感覚。[110]モニスは、これらの効果は一時的だったと主張し、[110]彼の公表の評価に応じてこれらの最初の20人の患者の結果は、35%または7例が有意に改善され、さらに35%がいくらか改善され、残りの30%(6例)は変化がなかったということでした。 leucotomy次悪化した。[111]

受信 

1936年、Monizは速やかに彼の結果をメディカルプレスの記事とモノグラフを通して広めた。[103]しかしながら、当初、医療界は新しい手順に敵対するように見えた。[112] 1936年7月26日に、彼のアシスタントのいずれか、ディオゴファータドは、リマによってleucotomised患者の第二のコホートの結果にソシエテメディコ-Psychologiqueのパリ会議で発表を行いました。[103]はリスボンに自分の病院からleucotomyために、患者の最初のセットでモニスを供給していたソブラルシドは、彼は前頭葉手術を非難し、会議、出席した[112]宣言をその彼のケアポストに返却されていた患者 - 手術的には「減少」し、「性格の低下」を被った。[113]彼はまた、Monizが患者に観察した変化は、より適切にはショックと脳外傷によるものであると主張し、Monizが「脳神話」として新しい手法を支持するために構築した理論的構造を否定した。[113]同じ会議で、パリの精神科医Paul Courbonは、臨床観察よりも理論的考察によってのみ支持されていた外科技術を支持することはできないと述べた。[114]彼はまた、臓器の切除は、その機能とleucotomyによって引き起こされる髄膜炎てんかんや脳膿瘍の後の開発を危険にさらしたとして、このような脳の傷を向上させることができなかったことを意見を述べました。[115]それにもかかわらず、Monizは、20人中14人の患者の外科的治療が成功したと報告し、1930年代にブラジル、キューバ、イタリア、ルーマニアおよび米国などの国々の臨床医による実験的手法による急速な採用につながった。[116]

イタリアの白血球切開術 

現在の状況では、治療への注意の欠如について何人かが批判的であるならば、一方で、無意識のまま、折り返した手で、症状の細部や精神病の珍品について学んだ隆起を含む内容、あるいはさらにはさらに悪いことに

アマロフィアンベルティ[117]

1930年代の残りの部分を通して、そのテクニックが採用された大部分の国で行われた白血球切開術の数はかなり低いままでした。後でleucotomyのための主要な中心地であったイギリスでは、[N 15]のみ6の操作が1942年前に行われていた[119]一般的に、手続きをしようとした医療従事者は、慎重なアプローチを採用し、数人の患者は、1940年代の前にleucotomisedました。イタリアの神経精神科医は、典型的には早期で熱狂的な白血球摘出術を採用していましたが、このような段階的な経過を回避するのに非常に優れていました。[55]

白血球摘出術は1936年にイタリアの医療新聞で最初に報告され、Monizは翌年のテクニックに関するイタリア語の記事を発表しました。[55] 1937年に、彼は手順を説明するためにイタリアに招待し、2週間の期間のために、その年の6月に、彼は医療センターを訪問しましたトリエステフェラーラ、および1件の近いトリノ -彼が彼を指示-ラッコニージ病院白血球摘出術に関するイタリアの精神神経科の同僚、またいくつかの手術を監督しました。[55]白血球摘出術は1937年のイタリアの2つの精神科カンファレンスで取り上げられ、その後の2年間で、ラニコニ、トリエステナポリジェノバミラノピサカターニアロヴィーゴにある医療機関を拠点とするMonizの精神外科に関する医学記事が発表されました。。[55]イタリアの白血球除去術の主要な中心地は、経験豊富な神経外科医ルドヴィ・プセップが指導の手を差し伸べるラコニギ病院であった。[n 16] [55] Emilio Rizzattiの医療監督の下、この病院の医療関係者は1939年までに少なくとも200人の白血球切開術を完了していた。[121]他のイタリアの施設を拠点とする臨床医からの報告では、白血球除去手術の数が著しく少ないことが詳述されていた。[55]

Monizの手術の実験的な修正は、イタリアの医療従事者によって少し遅れて導入されました。[122]は最も顕著なのは、1937年にアマロ・ファイエンバーティ、における精神機関の医療ディレクターヴァレーズは[123]前頭葉の眼窩を介してアクセスされたことにより、第一transorbital手順を考案しました。[122] Fiambertiの方法は、薄い層穿刺することであった軌道ソケットの上部に骨をし、この開口部を通って前頭葉の白質中にアルコール又はホルマリンを注入します。[124]この方法を使用しながら、白血球切片を代用することもあります皮下注射針の場合、彼は第二次世界大戦の勃発までの期間に約100人の患者を白血球切除したと推定されている。[123] FiambertiのMonizの方法の革新は、後にWalter Freemanの眼窩下ロボトミー開発にインスピレーションを与えるだろう。[124]

アメリカの白血球切開術 

Freeman and Wattsによって開発された標準的な前頭前側ロボトミー/白血球除去手術のためのボアホールの場所

米国で最初の前頭前leucotomyはによって1936年9月14日にジョージ・ワシントン大学病院で行われた神経学者 ウォルター・フリーマンと彼の友人や同僚、神経外科医、ジェームス・W・ワッツ[125]フリーマンは最初、彼は脳血管造影上のポルトガル語神経科医の仕事のポスター展示を提示していた1935年に神経学のロンドンでホストされた第二の国際会議でモニスに遭遇していました。[126]は偶然モニス、フリーマンの隣にブースを占め、彼らの偶然の出会いに喜ん、後に彼「全くの天才」によりリマーク、モニスの非常に好感を形成しました。[126]Freemanによると、もし彼らが直接会っていなければ、彼が前頭葉の精神外科の領域に進出したであろうことは非常にありそうもない。[127]精神科でのフリーマンの関心はセントエリザベスのよう口語知られるワシントンでの非常識のための政府の病院の研究所の医療ディレクターとして1924年に就任の自然な成長でした。[128]精神疾患の因果関係の有機的モデルを好んだ野心的で驚異的な研究者であるFreemanは、今後数年間徹底的に、しかし最終的には無駄に過ごし、狂気の神経病理学的根拠を調査した。[129]1936年春のMonizによる白血球摘出に関する予備的な連絡を受けて、Freemanはその年の5月に通信を始めた。彼は以前に精神科の脳外科手術を検討していたと書いて、彼はMonizに、「私が先に進むことを期待しているあなたの権限を持っている」と伝えた。[130] Monizは見返りに、彼に白血球切開術に関する彼の今後のモノグラフのコピーを送ることを約束し、彼にフランスの供給業者から白血球切片を購入するように促した。[131]

Monizのモノグラフを受け取ったFreemanは、Archives of Neurology and Psychiatryのために匿名でそれを見直しました。[131]「重要性はほとんど過大評価することはできない」1などのテキストを賞賛、[131]は、彼は事実に基づいて手続きのためにモニスの根拠を要約している脳の細胞体の物理的な異常は精神障害で観察されなかった一方で、その細胞相互接続は「セルのさまざまなグループ間の関係の特定のパターンの固定」とこれが強迫観念、妄想と精神的な罹患率をもたらしたことを抱くかもしれません。[132]Monizの論文が不適切であることを認識している間、Freemanのためにそれは代わりに問題が問題のある精神を切断することによって救済が得られるかもしれない脳の内部配線の機能的な問題であることを示唆することによって回路 [132]

1937年、FreemanとWattsは、LimaとMonizの外科手術を適応させ、Freeman-Wattsの標準的な前頭前頭骨切開とも呼ばれるFreeman-Wattsの手法を開発しました[133] 

経眼窩ロボトミー 

眼窩破骨細胞、経眼窩切開術で使用されます[n 17]

Freeman-Wattsの前頭前大葉切開術は依然として頭皮に穴を開ける必要があったため、手術室で訓練を受けた脳神経外科医が手術を行わなければならなかった。Walter Freeman氏は、手術室、外科医、麻酔がなく、予算が限られていた州立精神病院の患者さんには、この手術は必要ないと考えている人には利用できないと考えていました。フリーマンは、精神科病院の精神科医によって実行されることができるように手順を単純化したかったです。[135]

イタリアの精神科医Amarro Fiambertiの作品に触発されたFreemanは、頭蓋骨にあけられた穴を通してではなく、目の穴を通して前頭葉に近づくことを思いついた。1945年に彼は自分のキッチンからアイスピック[n 18]を取り、グレープフルーツのアイデア[n 19]死体のテストを始めました。この新しい「経眼窩」ロボトミーは、上まぶたを持ち上げて、細い外科用器具(しばしば眼窩と呼ばれる)の先端を置くことを含みましたまぶたの下やアイソケットの上部に対して、上記のワイヤーループ白血球とはかなり異なります。木槌を使用して、鼻の橋の平面に沿って、半球間裂溝に向かって約15度、骨の薄層を通って脳内に眼窩破骨細胞を追いやった。眼窩破骨細胞を5センチメートル(2インチ)前頭葉に突き合わせ、次に眼窩の穿孔で40度旋回させて先端を頭の反対側(鼻の方向)に向かって切った。器具はさらに2センチメートル(中立位置に戻して送られた4 / 5 左右に約28度回転する前に、外側に、そして内側に切ります。(記載された最後の切断の終わりにおけるより根本的な変化において、眼窩破骨細胞の突合せは上向きに強制されたので、ツールは半球間裂の皮質の側面を垂直に切断した;「深部前頭切断」)。前頭前野の皮質組織と視床をつなぐ白い線維性物質を横切るように設計されています。次いで、白血球切片を撤回し、そして反対側で手順を繰り返した。要出典 ]

フリーマンは、1946年に生きている患者に最初の眼窩後方切開術を行った。その単純さは、より初期の、より複雑な手術に必要な手術施設を欠いている精神病院でそれを実行する可能性を示唆した。フリーマンは、従来の麻酔が利用できない場合、患者を意識不明にするために電気けいれん療法を使用することを提案した。[137] 1947年、フリーマンとワッツのパートナーシップはフリーマンの外科手術によるロボトミーの修正によって嫌悪され、終了した。簡単な「オフィス」手順に。[138]1940年から1944年の間に、684回のロボトミーアメリカ合衆国で行われました。しかし、FreemanとWattsによるこの技術の熱心な宣伝のため、これらの数は10年の終わりに向かって急激に増加しました。米国でのロボトミーのピーク年である1949年に、5,074件の手続が行われ、1951年までに18,608人を超える個人がロボトミ化されました。[139]

有病率 

米国では、約4万人がロボット化されました。イギリスでは、17,000のロボトミーが行われ、フィンランドノルウェースウェーデンの3つの北欧諸国では、合計約9,300のロボトミーが行われました。[140]北欧の病院は、米国の病院として一人当たりの多くの人と2.5倍にlobotomized。[141]スウェーデンは1944年から1966年の間に少なくとも4,500人の人々、主に女性をロボット化した。この数字は幼い子供たちを含んでいます。[142]ノルウェーでは、2,005公知lobotomiesがありました。[143]デンマークでは、4,500公知lobotomiesがありました。[144]日本では、大半のロボトミーは行動に問題のある子供に対して行われました。ソビエト連邦は道徳的な理由で1950年にその慣行を禁止し、日本とドイツはすぐにそれに従った。1970年代後半までに、ロボトミーの実践は一般的に中止されましたが、フランスでは1980年代になっても続きました。[145]

批判 

1944年という早い時期に、『Journal of Nervous and Mental Disease』の著者は次のように述べています:「前頭前野ロボトミーの歴史は短くて荒れています。そのコースには暴力的な反対と棄権のない疑いのない受け入れが点在しています」。1947年に始まったスウェーデン精神科医Snorre Wohlfahrtは初期の試験を評価し、精神分裂病の慢性的な事件に対して一般的な攻撃に立ち向かうには、「精神分裂病の白人化は明らかに危険である」と「心理外科はまだその正確な適応症と禁忌を発見することに失敗しており、その方法は残念ながら依然として多くの点でかなり粗雑で危険と見なされなければならない」とさらに述べている。  サイバネティックスの作者であるNorbert Wiener :あるいは動物と機械の制御とコミュニケーションは、次のように述べています: "[P]反論的ロボトミー...は最近、ある特定の流行を持っています。多くの患者の世話をより簡単にすることができます。[147]

ロボトミーに対する懸念は着実に高まりました。ソビエト精神科医Vasily Gilyarovskyは、ロボトミーおよびロボトミーを実施するための機械的な脳局在化の仮定を批判した:「前頭葉の白い物質の切断は視床とのそれらの関係を損ない、それから生じる刺激を受ける可能性を排除するこの説明は機械論的なものであり、アメリカの精神科医に特徴的な狭いローカリゼーション主義の話に戻り、そこから白血球摘出術が取り入れられた。」[148] USSRは正式に1950年に手順を禁止[149] Gilyarovskyの主導で。[150]ソビエト連邦の医者たちは、その手続きは「人道の原則に反している」および「「ロボトミーを通して」非常識な人間は馬鹿に変わった」と結論づけた。[151]いくつかの米国の州を持っていたとして、1970年代には、多くの国々は、手順を禁止していました。[152]

1977年に、米国議会は、ジミー・カーター大統領の間に、ロボトミー技術を含む精神外科が少数派の統制と個人の権利の抑制のために使用されたという主張を調査するために、生物医学および行動研究の人間対象保護委員会を設立した。委員会は、極端に限定的で適切に実行された心理外科手術にはプラスの効果があるかもしれないと結論を下しました。[153]

21世紀初頭にノーベル財団は、ロボトミーを起こしたことに対してモニズに授与された賞を取り消すよう求められてきました。その決定は当時の驚くべき判断の誤りであり、精神医学はまだ学ぶ必要があるかもしれません。しかし財団は行動をとることを断り、手続きの結果を擁護する記事を引き続き主催しています。[154] [5]

注目すべき事例 

文学的および映画的な描写 

ロボトミーは、手順に対する社会の姿勢を反映し、時にはそれを変えた、いくつかの文学的および映画的なプレゼンテーションで紹介されています。作家や映画製作者は、この手続きに反対する否定的な世論の形成において中心的な役割を果たしてきました。[5]

また見なさい 

ノート 

引用 

出典 

 

とは

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カサンドラ症候群 

カサンドラ症候群  

出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

 

カッサンドラー(イーヴリン・ド・モーガン画)

カサンドラ症候群カサンドラしょうこうぐん、Cassandra affective disorder)、カサンドラ情動剥奪障害カサンドラじょうどうはくだつしょうがい、Cassandra affective deprivation disorder)」とは、アスペルガー症候群[注釈 1]の夫または妻(あるいはパートナー)と情緒的な相互関係が築けないために配偶者やパートナーに生じる、身体的・精神的症状を表す言葉である[1]

概要 

アスペルガー症候群の伴侶を持った配偶者は、コミュニケーションがうまくいかず、わかってもらえないことから自信を失ってしまう。また、世間的には問題なく見えるアスペルガーの伴侶への不満を口にしても、人々から信じてもらえない。その葛藤から精神的、身体的苦痛が生じる[2]という仮説である。現在のDSM精神障害の診断と統計マニュアル)その他には認められていない概念である。また、カサンドラ症候群の場合、夫婦間においてどちらか一方が悪く、どちらが正しいか、という問題ではないことに留意すべきである。

症状としては偏頭痛、体重の増加または減少、自己評価の低下、パニック障害抑うつ無気力などがある。近年、カサンドラ症候群を訴える者のブログも見られ、アスペルガー症候群の伴侶を持つ者の二次障害として問題となっている[2]。パートナーが(診断の有無にかかわらず)アスペルガー症候群の兆候を示すカップルは、日常生活においてさまざまな問題にぶつかる。そんな人々を支援するための書籍やカウンセリングがますます必要とされ[3]、夫婦間のケアの重要性が指摘されている[4]

夫との情緒的交流がうまくいかない妻は、何が何だか理由はわからないけれど苦しい、周囲は苦しんでいることを理解してくれないという二重の苦しみの状態にある。本人が問題の本質がわからないこと、周囲が問題の存在さえ理解してくれないこと、この二つの要素が現在のカサンドラを巡る問題の本質になっている[5]

アスペルガー症候群 (AS)は男性が女性の4倍ほど多い[6]ため、カサンドラ症候群は妻の病気として書かれることが多い。アスペルガー症候群が女性である場合は、アスペルガー症候群男性をアスペルガー症候群女性に置き換えて読む必要がある[7]

ここでは一部の記述において、男性をアスペルガー症候群、女性を非アスペルガー症候群として説明する。

カサンドラ症候群について理解を深めることは、決してアスペルガー症候群の人を否定したり差別を助長したりするためではない。アスペルガー症候群-非アスペルガー症候群夫婦間に生じる問題の原因に向き合い、適切な支援を受け、パートナーのお互いがより良い生き方を模索するために必要なことである。

カサンドラ症候群は妻だけでなく、家族、友人、会社の同僚にも起こるとされている[8]カサンドラ症候群を知ることは、定型-非定型間のコミュニケーションのあり方を認識することであり、つまりは、アスペルガー症候群の社会的認知度を高める手助けにもなると考えられる。

カサンドラ」の名称 

語源 

カサンドラというのは、ギリシア神話に登場するトロイの王女の名前である。太陽神アポロンに愛されたカサンドラは、アポロンから予知能力を授かる。しかし、その能力でアポロンに捨てられる未来を予知したカサンドラは、アポロンの愛を拒絶したので、怒ったアポロンに「カサンドラの予言を誰も信じない」という呪いをかけられた。カサンドラは真実を知って伝えても、人々から決して信じてもらえなかった[9]

歴史 

カサンドラの比喩は、心理学、環境保護主義、政治、科学、映画、企業世界、哲学など様々な文脈で使われてきた。少なくとも1949年には、フランスの心理学者ガストン・バシュラールが「カサンドラ・コンプレックス」の用語を作り出し、以後広まってきた。ただしここでいうカサンドラコンプレックスは発達障害との関連の意味はない。

アスペルガー症候群の配偶者や家族がアスペルガー症候群の行動の影響を受ける状態は、もともとは「鏡症候群」[10]と言われていた。これは、1997年にアメリカのFAAAS(アスペルガー症候群の影響を受ける成人の家族の会)が考え出したものである。特に、診断されていない成人の発達障害の場合に生じるとされる。非アスペルガー症候群の家族は、常に一緒に生活するアスペルガー症候群が表すペルソナ(外的人格)を、少しずつ長い時間をかけて映し出すようになる。孤立し、誰からも正当性を認められない[8]

「鏡症候群」は数年後には「カサンドラ現象」[11]に変更され、2003年にFAAASの会議で「カサンドラ情動障害」[12]として初めて公表された[13]

最近では「カサンドラ情動剥奪障害」(CADD[14]、AfDD)「カサンドラ愛情剥奪症候群」(CAD[15][16]と言われるようになった。これらの言葉は、非アスペルガー症候群の人が、アスペルガー症候群の人との関係において経験することを示してきた。彼女たちの多くが、パートナーとの関係において情緒的な相互関係が欠如しているために、身体的・精神的な不安反応を示している[1]

予言者カサンドラは、真実を知る力を与えられながらも、呪いにより誰からも信じてもらえなかった。この様子が、アスペルガー症候群と非アスペルガー症候群間の関係の状態を表していると言われる。彼らは自分たちの関係が典型的なものではないとわかっているが、他の人たちはその関係の真実を受け入れたがらないのである[1]

なお、「カサンドラ症候群」の名称はアメリカ精神医学会の診断基準に含まれておらず、正式病名ではない。

これらの症状はアスペルガー症候群のパートナーを持ったことにより起こるので、関係性による「障害」であり、病名がつかないため「状態」や「現象」と呼ぶのが現在のところはいいとされる[17]

症状 

カサンドラの状態 

カサンドラ症候群は二次障害である。人と人との関係における認識の欠如の結果であり、苦痛を訴える当事者はパーソナリティ障害とは異なるが、診断にさいしては慎重な態度を要する。

情緒的な相互関係と愛と所属は、人間の本質的なニーズであり、これらが満たされず、そしてその理由が解らないとなれば、心身の健康は影響を受ける可能性がある[18]

カトリン・ベントリー[19]は、アスペルガー症候群パートナーとのコミュニケーションにおける情動剥奪について、ジェイムズ・レッドフィールド[20]のエネルギー理論の哲学をもとに説明している[21]。人間は感情的エネルギーを必要としていて、それは日常生活で幸福を見つけるために欠かせない源である。アスペルガー症候群との結婚において感情的エネルギーで自分を満たすことは難しい。支え合うというエネルギーの交換が起こらない。非アスペルガー症候群女性はエネルギーを差し出すが、アスペルガー症候群のパートナーから受け取るものはほとんどなく、常に消耗する。

カサンドラ症候群は、パートナーのお互いが原因を理解し受け入れることによってのみ、克服あるいは軽減することができる[18]。つまり、女性がアスペルガー症候群の知識を持ち、男性がアスペルガー症候群を自覚していることが前提となる。
お互いの違いを理解し、コミュニケーションや感情表現・愛情の示し方のより良い方法を見つけるために、パートナーの両方がお互いのために勉強して協力するならば、二人の関係はうまくいくことがある[22]
しかし、男性本人も周囲もアスペルガー症候群に気づかないまま大人になっている場合も多く[23]、そのことがカサンドラ症候群の克服を難しいものにしている。

診断基準 

カサンドラ症候群は次の3つの要素から成る、とされている[24]

  1. パートナーの少なくとも一人[注釈 2][22]が、低い心の知能指数/共感指数、あるいはアレキシサイミア(失感情症[注釈 3][25]
  2. 人間関係の相互作用や経験を害する
  3. 精神的および身体的(またはどちらか一方)なマイナスの症状

具体的には、以下の各カテゴリーに1つ以上該当すること。

  1. 少なくともパートナーの一人が次の診断基準の1つ以上に該当する
    • 低い感情知能
    • アレキシサイミア
    • 低い共感指数
  2. 人間関係の面で次の1つ以上に該当する
    • 激しい対立関係
    • 家庭内虐待(精神および身体、またはどちらか一方)
    • 人間関係の満足感の低下
    • 人間関係の質の低下
  3. 起こりうる精神的または身体的症状

そのほか、カサンドラ症候群の症状として「アスペルガー的行動」が生じる場合もある[26]

「進行中の心的外傷体験」 

アスペルガー症候群の夫とその妻との間に起こる葛藤の多くは、自閉症スペクトラム障害(ASD)の人が持つ、社会性の未熟さ、コミュニケーションの苦手さ、想像することの苦手さという特徴からくる葛藤だ。それは夫のコミュニケーションがうまくいかない、気持ちが伝わらない、子育ての不安や悩みなどを共有してもらえない、夫の言動に傷つくなど、妻にとっては日常的で継続的なものだ。アスペルガー症候群のパートナー、特に夫がアスペルガー症候群で妻がそうでない場合、夫との情緒的交流がうまくいかないことが、妻の無力感、孤独感、絶望感につながり、抑うつ状態を引き起こしていることが知られるようになってきた[27]

アスペルガー症候群によって影響を受ける成人家族の会(Families of Adults Affected by Asperger’s Syndrome:FAAAS)は、カサンドラ症候群を心的外傷状態と理解し、「進行中の心的外傷体験に関連した症候群」(Ongoing Traumatic Relationship Syndrome)と説明している。
心的外傷体験というと、PTSD心的外傷後ストレス障害)という言葉がよく知られている。災害や事故、被害といった、人生や生命に強い衝撃的な出来事に遭遇することを「外傷(トラウマ)体験」と呼び、その体験後の精神的変調を「トラウマ反応」と呼び、時にそれが精神的後遺症と呼べるほどの状態に至った場合、PTSDと診断される。
カサンドラ症候群PTSDと異なるのは、過去のトラウマ体験に今も苦しむということではなく、継続進行している日々の体験に苦しみ続けるということだ。FAAASは、このトラウマ体験が何十年にもわたり潜行する可能性を示唆している。
児童精神科医臨床心理士田中康雄は、「進行中の心的外傷体験」は虐待され続けている子どもの心理状況と若干重なると述べ、虐待を受け続けた子どもの心の特徴がカサンドラ症候群と重なる点を次のように挙げている[28]

  • 人に対して不信感、被害感を強く持ち、攻撃的になることもある。
  • 自分を悪い人と認識(誤解)してしまいやすい。
  • 満たされない愛情欲求に苦しみ、相手との距離が適切にとれず困っているのに、周囲に援助を求めることもできない。
  • 素直に自己表現ができず、感情コントロールが難しい。
  • 配偶者に現実的でない期待を抱きやすい。

「進行中の心的外傷体験」に苦しむ現状に「カサンドラ症候群」と名前をつけることで、状況の外在化をはかることは得策であるとしている。

アスペルガー症候群と非アスペルガー症候群の関係 

異なる文化背景 

アスペルガー症候群の人との結婚は、異なる文化的背景をもつ二人の人間の関係に例えられる[29]。どちらの文化にも良い面があるが、言葉と行動に関しては違いがある。アスペルガー症候群の人との結婚でパートナーが苦しむ理由は、文化的ストレスと呼ばれる状態にある。自分のよく知っているコミュニケーション方法から切り離されたとき、文化的ストレスは生じるという。別の方法を正しいとする新しい環境に直面したときに、アイデンティティと自尊心が影響を受ける可能性がある。

外国で暮らすとき、人はふつう言葉と行動の違いは覚悟している。それに対して、アスペルガー症候群の人と結婚するときに文化的な違いには気づかない。(「#アスペルガー症候群と非アスペルガー症候群のカップルに問題が生じる理由」、「#第三者が理解しにくい理由」参照)

アスペルガー症候群は病気ではないので、治療法はない。それは1つの文化であり、尊重すべきものである。誰が間違っていて誰が正しいか、ということではない。認知にはかなりの違いがあり、パートナーたちはお互いを理解するためには努力が必要なのである[30]

マクシーン・アストン(Maxine Aston)[注釈 4][31]は、「自分のパートナーなら当然理解できるだろうとか、私の気持ちをわかってくれている、と推測するのはやめるべきだ。アスペルガー症候群のパートナーが自分の考えを理解していると期待するのは、目の見えない人になんのヒントも与えず、『私が手に持っているものを当てなさい』、と言っているようなものだ。」[32]と指摘している。

たとえ話 

アスペルガー症候群男性とその妻(以下、(非アスペルガー症候群)女性)の関係は、よくたとえ話で説明される。

マクシーン・アストンはアスペルガー症候群男性をワシ、非アスペルガー症候群女性をシマウマに例えている[33]

ワシとシマウマは食べるものも生き残る環境も違うので、つながってもうまくいかない。生活を共にしたいなら、ワシは構造化されていない予測不可能なシマウマの環境で生きていかなければならない。しかし、その環境で生きられる時間は限られるため、ワシはときどき山に帰って一人で過ごし、生命維持に必要な食べ物を食べて元気を取り戻さなければならない。その理由がわからないシマウマは、ワシの関心が自分から逸れると深く傷つく。二人の間に波風が立つようになり、関係は非常に不安定になる。シマウマは拒否されている、価値がないと見なされていると思い、ワシは間違ったことをしていると責められていると思う。

マクシーン・アストンはまた、認知の違いを次のように説明している。

夫婦が同じ時、同じ場所にいても、こんなにも異なる視点であるということを理解するには、2人の人が山の頂上で背中合わせに立っているのを想像してほしい。1人は定型発達者、もう1人はアスペルガー症候群である。アスペルガー症候群の見ている景色は都会で、ビル、電車、車や工場から成っている。定型発達者の見ている景色は田園地帯で、川や野生動物、色彩豊かな牧草地が見える。2人とも同じ時、同じ場所に立っているが、非常に異なる景色を見ている。同じ場所に対するそれぞれの感じ方は、根本的に異なっているのだ。あとで話し合った時、彼らはその経験記憶がお互いに異なっていることに驚き、あっけにとられる。そして、それぞれの認知がなぜそんなに異なるのか、理解しようともがくのだ[34]

カトリン・ベントリーはアスペルガー症候群男性をサボテン、非アスペルガー症候群女性をバラに例えて詩に表現している[35]
アスペルガー症候群男性に惹かれて結婚し、アスペルガー症候群を知らぬまま苦しみながら生活を送り、やがてアスペルガー症候群に気づいて理解し、違いを受け入れていく様子が描かれる。

(詩の要約)

サボテンを気に入ったバラだが、サボテンに合わせて砂漠に住むのは難しかった。生きていくために水がほしかったが、少しずつしおれ、やがて何も感じなくなった。サボテンの愛し方を知らず、バラに変えようと一生懸命だった。サボテンはバラのように振る舞ったが、一人のほうが心地よく、孤独に戻っていった。しおれたバラを、ほかのバラたちは仲間はずれにした。やがて、サボテンには別の愛情の示し方があると知り、サボテンは変種のバラではないと気づいた。二人が同じ植物になるより、違いを受け入れ、お互いを大切にし合おう。二人の子供は、バラの野生・繊細さ・色鮮やかさと、サボテンの頼もしさ・強さ・人を惹きつける魅力を併せ持つだろう。

ルディ・シモン(Rudy Simone)[注釈 5]アスペルガー症候群男性を岩、非アスペルガー症候群女性を水に例えている[36]

アスペルガー症候群男性は岩で、彼を愛する女性は岩に向かって流れる水。岩が水によって形づくられるように、彼も彼女からの影響を受ける。ただし、とてもゆっくりした速度で。女性は優しく、根気強く接した方がよい。もし波のように強く流れると、微動だにしない彼に当たって砕け散ってしまうからだ。何度もそれを繰り返していると、やがて彼女には何も残らなくなる。

専門家の見解 

アスペルガー症候群男性と非アスペルガー症候群女性の関係については、医師らによる次のような指摘がある。

トラブルや不和 

大人の発達障害の人は、自分のパートナーや家族、会社の上司や同僚、友人たちにとって、本人には悪意がないにもかかわらずトラブルメーカーになったり、周囲をイライラさせたりする[37]。仕事でミスを繰り返したり、家庭内でもコミュニケーションがうまく取れていなかったりして、人間関係も悪循環に陥っていることが多い[38]。(星野仁彦[注釈 6]

大人の発達障害の家族、つまり夫や妻、恋人、同居している親・兄弟・子どもたちは、多かれ少なかれ発達障害の人の言動や行動に振り回されている。極端な場合、夫婦間不和、暴力(DV)、児童虐待などが見られるケースも少なくない。そのほとんどの場合、大人の発達障害というハンディがあるということに本人も家族も気づいてはおらず、「本人のわがままで自己中心的な性格の問題」として片付けられている。 家族は「夫(妻)の言動にうんざりしている」「夫(妻)は私のことを理解してくれない」「物事をいつも自分流に行って、人の意見に聞く耳を持っていない」など強い不満を抱いている。発達障害の人自身も、自分の問題点に気づかず、自分の家族がなぜそんなに自分に不満を持っているのかさえ、気づいていないことがある。気づいていたとしても、自分ではどうすることもできない。発達障害の人がいる家庭では、夫婦関係や親子関係が悪化して、暴力や虐待に走ったり、離婚に至ることも少なくない[39]

発達障害の人とそのパートナーは、さんざんケンカを繰り返し、「口やかましい人と聞く耳を持たない人」という関係になっていることが多い[40]発達障害の人がいると、家族は次のような両極端のパターンになりがちだ。一つは、発達障害者に巻き込まれ、彼らの乱雑さや突発的な行動に家族全体が振り回され、その後始末に追われる。家族のニーズは後回しにされるため、家族の不満がたまるというパターンである。もう一つは、家族全員が発達障害者のことをあきらめて、無視や放任状態になるパターンである[41]。(星野仁彦)

家庭内では、自閉的特性を持った人のしつこさや自己主張の強さが原因となったトラブルや、家庭不和の問題がある。本人には自分勝手にしているつもりはなくても、結果的にそれで不和が生まれることにもなる。 自閉的な特性が強い夫にはヒステリックな妻、というパターンが多く見受けられる。自閉的な特性を持っている人と、気分感情の波が激しい人は、惹かれあう部分があるのか。あるいは、配偶者が自閉的であると、気分感情の波が激しくなる傾向があるのか。いずれにしても、このような場合、たいていは夫の社会的適応は比較的よく、家庭内の問題が強いために、妻主導で受診することが多く、夫は問題を自覚していないことが多い。幼少期から周囲とは異なっているという感覚は持っているが、知的レベルの高い人が多く、本人の努力で一定以上の社会適応性を身に付けている。その反面、家庭では本来の自分をさらけ出し、妻が迷惑を被るというパターンが多い[42]。(林寧哲)[注釈 7]

2人の間にある問題がASDである場合、残念ながら、社会性の発達のギャップが埋まることはない。生活能力はトレーニングによって向上するが、相手を気遣いケアする気持ちは、訓練で得られるものではない。職場では「ちょっと変わった人」くらいで済んでも、日々共に暮らすパートナーにとっては、情緒的な問題以外でも深刻な問題を引き起こすことがある[43]。(服巻智子)[注釈 8]

結婚を境に変化するアスペルガー症候群 

アスペルガー症候群男性は結婚すると大きく2つに分かれる。ひとつは、関係性が変化することを受け入れられず、恋人同士のままのパターン。もう一つは、正式な夫婦になると、それまでとは全く違う態度をとるパターン。どちらも、パートナーをどのように捉えたかで決まる。

恋人同士のままの場合は、パートナーを恋人として認識したことが変化しないので、子どもができると問題が生じる。夫にとって妻は恋人であり、子どもの母親ではないのである。夫は恋人を子どもに取られたことにショックを受け、妻に裏切りを感じ、子どもをライバル視する。妻が子どもに愛情を向けることを制限したり、子育ての手伝いは全くしてくれず、妻は1人で子育てをしているような孤独な気持ちになる。

一方、夫婦となった途端に態度が変わる夫は、結婚後は妻を他者として認識しなくなるようだ。これまで妻にしてきたこと、言ってきたことを全くしなくなる。もはや妻の気持ちを配慮する必要はないのだ。そのため会話もなくなり、むしろ独りでいたがり、妻は孤独に陥る。妻からの否定は裏切りになる。

周囲からは「自分が選んだのだから」「そこが好きだったのでしょう」と言われがちだ。しかし、これほど気持ちがすれ違い、一緒にいるのに孤独になることなど誰にもわからなかったのだ[44]。(滝口のぞみ)[注釈 9]

一般に他者に共感するということは、社会の特別な要請でもなく、目的化することでもない。しかし、暗黙に社会から必要とされることだ。アスペルガー症候群の人たちには目的にならなければ積極的に行動を起こすための動機にならないというところがある。社会から要請される目標や課題はアスペルガー症候群にとって理解しやすいが、妻との間で必要になる配慮は、結婚した後には目的や課題にはなりにくい[45]。 たとえば、アスペルガー症候群の男性が子育てをするためには、社会的にそのことが評価されることが重要である。アスペルガー症候群の男性は無意味なこと、無目的なことをすることが苦手だ。妻が喜ぶ顔だけではなかなか子育ての動機づけにならない。子育てを継続的に行うには、自分でやる方が得だといった経済的なメリットを確信していることや、病院や学校で医師や教師から評価される必要がある[46]。(宮尾益知、滝口のぞみ)

受診 

妻からの気づきから受診を促す場合は、かえってそれが夫婦の問題になったり、夫が仕事の意欲をなくすこともある。受診した医療機関が大人の発達障害に詳しくない場合など、診断に至らないことがある。社会的に適応していれば、妻からは特性が認められるのに、診断に至らない場合が少なくない。受診を促したこと自体を、パートナーが被害的に受けとることもある。しかし、パートナーの特性で悩んでいるなら、発達障害に詳しい専門機関に相談するのは重要なことである。妻からの情報で、パートナーにアスペルガー症候群の傾向があると認められ、それが妻の精神的身体的ダメージに繋がっているとしたら、それはカサンドラの状態であると考えられる[47]。(滝口のぞみ)

診断がついた場合、非アスペルガー症候群女性は嬉しさを感じる一方で、喪失や怒りを感じるかもしれない。診断により、二人の関係に多くの問題をもたらしてきた原因が理解でき、安堵を感じる。しかし、診断がつく前には存在すると思っていた2人の関係は、もはや同じようにそこにはない。アスペルガー症候群であるパートナーとはこの感情を分かち合えないので、とりわけ孤独に感じることになる。 また、自分たちは「ごくふつう」の関係を築いていると思っていたのに、そうではなかったと騙されたような気になって怒りを覚えたり、何年も無駄な努力をしてきたのかと失望したりする。パートナーに怒りが向けられるかもしれないが、それは双方にとって非建設的で否定的な行為である。怒りの段階にある間は、急いで物事を決めないことだ。性急な決断は、短絡的で否定的なものになる。怒りは時間とともに燃え尽きる。そのときになって、何をするべきか、そこからどこへ向かうべきか決め始めるのが良策だ[48]。(マクシーン・アストン)

さまざまな形 

アスペルガー症候群の特性がさまざまな形で現れていても、夫婦間の根底にあるのは共感性の問題である。そこには「想像すること」「人との関わり」「コミュニケーション」や「こだわり」、あるいは「感覚」という問題があるが、個人差が大きい。しかし、共通するのは「想像すること」の苦手さと、共感性の問題である[49]
一方で、発達障害の特性が人によってさまざまなように、カサンドラの女性が抱える苦悩も一人ひとり違う。夫からの言葉による暴力により、長年の生活で人格を否定されるような精神的苦痛を抱えている人もいれば、夫は優秀で会社でも家でも優しく何でも受け入れてくれるが、妻が深い情緒的な交流がまったくないことにいつも孤独を感じていることもある。 後者の場合は夫が社会的にも優秀な評価をされており、カサンドラ自身が悩むことに罪悪感を持ってしまう。その罪悪感を自分でも受け入れられず、何が起きているかわからないまま抑うつ状態になってしまう。後者の方が言葉の暴力より被害が少ないともいえるが、後者であってもその苦しさは決して軽いものではない。カサンドラの悩みは一つひとつ違い、それぞれ異なる種類の深刻さを持っている[50]。(宮尾益知、滝口のぞみ)

改善のために 

離れる 

アスペルガー症候群の人は「一見ちょっと変わっているけどいい人」である。実際にパートナーに持たなければわからない理不尽さやストレスが、いつしかパートナーの精神に変調をきたしてしまう。それはやがて、数々の肉体的な症状にも発展していく。 改善するには対症療法的に、うつ状態や精神不安を解消する薬を服用する。あとは、アスペルガー症候群のパートナーと離れるしかない。アスペルガー症候群の人は自分のパートナーの重篤な精神状態を察することができないため、離れる必要も理解されにくいかもしれないが、カサンドラ症候群の症状が顕著であれば、離れることを考えるべきだと思われる[51]。(宮尾益知)[注釈 10]

一方が発達障害を抱えている夫婦では、共依存的な関係が習慣になってしまう危険性がある。それぞれの自立や責任を犠牲にしてまで、相手に関心を注いでいる状態だ。 例えば、発達障害の人は自分が起こした問題をすぐにパートナーのせいにしたり、状況のせいにしたりする。一方、パートナーはすべて自分の責任と思い込み、トラブルの後始末も一人で引き受けるのが習慣になっている。このような関係になっている場合は、単身赴任や一時的な別居で、物理的、心理的距離を置くと効果的だ。お互いに干渉しすぎず、自立する方向へ促す[52]。(星野仁彦)

コミュニケーションの方法 

パートナーがコミュニケーション方法を変えるだけでも、関係は変えることができる。 アスペルガー症候群の夫とカサンドラとの問題は、夫が家庭の中での役割を知らないことや、コミュニケーションの問題だと言える。アスペルガー症候群のパートナーには家庭生活でしてほしいことを伝えると同時に、「してほしいことを妻に伝えてほしい」と伝えることが大切だ。私たちのコミュニケーションは7割以上が非言語的な態度や表情、しぐさなどで成り立っているが、アスペルガー症候群の人たちはそのような非言語的な情報の処理が苦手で、ほぼすべて言語的なコミュニケーションによっている。喜怒哀楽といった基本的な感情の理解にはまったく問題なくても、複雑な気持ちを表情から読み取ることに労力を要する。 アスペルガー症候群の男性と心を通わせるには、結果の見通しを明確に伝えることが重要で、言語化や情報化がポイントになる。話の内容を把握し、将来の見通しをつけることは、物事を正確にとらえ、突然を嫌うアスペルガー症候群男性には大切なことだ。 もう1つ重要なことは、絶対にアスペルガー症候群男性を責めないことだ。アスペルガー症候群男性は自分が周囲からマイナスに評価され、否定されたと受け取る傾向がある。妻からの要求や意見は否定的な評価や非難に受け取られる。妻が意図していなくても、妻から夫に要求するという形になりがちなので、感情を含まない無機質の情報として伝えることがカギになる。どのような行動をするのが望ましいのか、一般論として伝えることが有効だ[53]アスペルガー症候群の人に対して「どうしてやってくれないの?何回も言ったでしょ」とプライドを傷つけるような責め方をしたり、「なんであなたはそうなの?」と曖昧な表現をするのは逆効果になる[54]。(宮尾益知、滝口のぞみ / 服巻智子)

回復過程 

カサンドラの心の回復の第一歩は、まず自分が悪いのではないと気づくことから始まる。夫がアスペルガー症候群であることが夫婦の問題の原因だと知ることは、症状の改善に役立つ。ただし、原因が自分ではなく相手であると喜ぶわけではない。長年の苦悩の理由が、アスペルガー症候群の特性とどのように関連があるのかを丁寧に読み解くことで、夫の不思議な行動の原因が見えてくる。それが理解されて初めて、その原因が自分ではないことに合理的な確信が持てるのだ。 しかし、「自分が悪いわけではない」と思えるだけでカサンドラの状態を完全に脱することはできない。回復に最も役立つのは周囲の理解である。夫婦の間に問題があることを信じてもらえないことがカサンドラの本質だからだ[55]

また、カサンドラ状態から抜け出るときには、副作用がある。それは、常に合理的な説明を心がけるようになることや、アスペルガー症候群男性の自己主張に対抗するために、自分の気持ちを譲らずしっかりと自己主張していくことから生まれる。物事を合理的に考えていくようになると、カサンドラの思考パターンも常に目的を持つことを意識するようになり、無駄なことには価値が見出せなくなることがある。本当の自分の上にアスペルガー症候群としての特性が出てくるのだ。そのため、アスペルガー症候群以外の人間関係におけるコミュニケーションに影響が出て、自分が周囲から浮いているとか、以前より嫌な人間になったと感じることがある[56]

夫の奇妙な行動には理由があるのだと知り、二人の関係性の改善が見られたとしても、やはり本質的な寂しさは変わらない。アスペルガー症候群の夫との分かり合えない本当のつらさは、夫の言動やお金の問題よりも、むしろ夫と笑いのツボが違うといった、ごく当たり前のことにあるとも言えるからだ[57]。(宮尾益知、滝口のぞみ)

カサンドラ症候群は、疾患ではなく「現象」である。その結果、身体症状が出たり、本当に病気になってしまうこともあるが、カサンドラ症候群自体は薬では治せない。 カサンドラ症候群を超えていくには、いい意味での「開き直り」と「距離感」が必要になる。線引きをして、自分の中で折り合いをつけていくことが大切だ。妻でも母でもなく、「私」としての考えを持って、何を選ぶか自分で選択していくことを求められる。「相手がこう言ったから」とか「子どものために」ではなく、自ら選択し、「これは自分のためにやっている」と思えたとき、カサンドラ症候群を乗り越えているのだ[58]。(服巻智子)

カウンセリング 

専門家がカップルに介入することは、気持ちが伝わらない苦しさの中にある「お互いの言葉と感情の意味」を整理し、翻訳することに似ている。夫と妻は、自分の理屈では何も間違っていないので、自分は正しいと確信があり、どちらが正しいのかで争うことになりがちだ。しかし、問題は気持ちの伝わらなさであり、正しいかどうかではない。専門家が間に入り、何が「今ここで」起きているか、どんな「意味」がやりとりされているか、そのズレや誤解に気づくこと、そして新しい共通の意味を見いだしていくこと、それがカップルをセラピーすることの意義である[59]。(滝口のぞみ)

支援者へ 

カサンドラ症候群とおぼしき人は、わかろうとすればするほど相手の欠点を暴き出してしまい、相手を愛している自分さえも時に信じられなくなるほどの痛みが生まれる。それを単にうつとかパニック障害という言葉で括らずに、周囲の評価や自分自身の評価・価値観が根底から揺らぎ、崩壊しそうにあるほどの危機的状態であると理解する。カサンドラ症候群といった状態があるという事実を知っておくことで、支援者は、当事者や配偶者を過度に励ましてしまい結果的に追い詰める、傷つけるという過ちをしないで済む[60]。(田中康雄

カサンドラの状態になるのは、誰が悪いわけでもない。特性を持っている人が悪いわけでも、それを見抜けなかった人が悪いわけでもない。もちろん、それらを理解できない人が悪いわけでもない。ただ「特性が影響している」ということだけをまずニュートラルに理解することが必要だ。そうでなければ夫と妻の双方が不幸になるからだ。 しかし、カサンドラ状態に至るまでには極端に共感性を欠く夫の言動があることも事実であり、モラルハラスメントとして認めることもできる。 専門家はこの点をよく認識しておく必要がある。なぜなら、アスペルガー症候群の特性の理解を優先してしまうと、妻がそれによって受けた心の傷と抱えてきた怒りを軽く見積もってしまうことになりやすいからだ[61]

また、大切なことは、妻が夫の極端な言動を特性として理解し、たとえこれからの暮らしの中で夫の言動に備えることができるとしても、これまでにその言動でカサンドラが傷ついたことは事実であるということだ。専門家や周囲の人々がその傷の深さを忘れてはならない[62]。(宮尾益知、滝口のぞみ)

アスペルガー症候群と非アスペルガー症候群カップルに問題が生じる理由 

以下はアスペルガー症候群の人の結婚でよく見られる例であるが、アスペルガー症候群の人は行動が独特なので、必ずしも他の人の例が当てはまるとは限らない[7]

女性にアスペルガー症候群の知識がない(なかった) 

精神科医療の中でアスペルガー症候群が表面化したのは1981年で[63]、日本でアスペルガー症候群が注目を浴びるようになったのは2006年頃からである[64]。子供のアスペルガー症候群は研究も進み、専門書も多く発行されている。しかし、大人のアスペルガー症候群について研究されるようになったのは、つい最近のことである[64]。パートナーがアスペルガー症候群だと気づくチャンスもなく、「ちょっと変わっている人」「正直でまじめすぎる人」「自己中心的で困った人」[64]というように、性格だと思い込んでいることが多い。

何十年も悩み続け、還暦を過ぎて初めて診察に訪れる妻もいる[65]。カトリン・ベントリーの場合も、夫がアスペルガー症候群だと初めて気づいたのは結婚17年後だった[66]

アスペルガー症候群パートナーの行動を「普通の辞書」で解釈しようとしてもうまくいかない。幸せな結婚生活を送るためには、何がパートナーを幸せにするか学び、できるだけうまく相手の要求に応えるよう努める必要がある[67]。しかし、通常は夫婦二人の間に、先生と生徒、親と子供というような立場の違いはない。相手は指導する、育てるという任務の対象でもない。対等な大人同士の関係のはずである[68]アスペルガー症候群について知らないまま結婚した女性には、なぜコミュニケーションがうまくいかないのかわからない。

カトリン・ベントリーは著書『一緒にいてもひとり』の中で、「何年間も自分たちの結婚はうまくいっていないと感じていたが、その理由を説明できなかった」、「困っていることは誰にも話さなかった」「もし一言話せばこんな言葉が返ってきただろう。『男だから』『うちの夫も同じよ』『自立しなさい』…」「相談できる人も、わかってくれる人もいなかった」「すべて自分一人で抱え込み、万事うまくいっているふりをした」と述べている[69]
外界から自分を閉ざしたアスペルガー症候群パートナーと一緒にいると、姿は見えるのに存在が感じられず、一緒にいても一人ぼっちのように感じられる。しかし、外から見ると全て普通である[70]。むしろ他の人には、アスペルガー症候群パートナーの行動に悩む妻は、あれこれ指図するえらそうな妻に見える[71]

夫婦という立場からアスペルガー症候群当事者をとらえた本『旦那(アキラ)さんはアスペルガー』の著者である野波ツナは、アスペルガー症候群パートナーとの関係を「言葉では表しにくい正体不明の違和感」と表現している[72]

アスペルガー症候群かもしれないということに本人より家族が気づく場合も多く[73]アスペルガー症候群専門外来への相談が急増している[65]
ただし、アスペルガー症候群統合失調症社会不安障害など様々な病気と重なる特性が多々あるため[74]、大半は別の病気であったり、あるいは夫婦間にコミュニケーションがないだけだったりするという[65]昭和大学付属烏山病院院長の加藤進昌によると、2008年に成人のアスペルガー症候群の専門外来を開いた同病院の場合、アスペルガー症候群の人は初診全体の約2割にとどまるという[65]

コミュニケーションが取れない 

コミュニケーションのほとんどは非言語コミュニケーションで、言語コミュニケーションはごく一部にすぎない言われている。自閉的特性の濃厚な人は、非言語コミュニケーションに属する「暗黙の了解」が不十分であると考えられる。そのため、コミュニケーション全体が不十分で、スムーズではなくなる[75]

逃げる 

アスペルガー症候群男性は間違ったことを言って人と衝突することを恐れるため、パートナーとコミュニケーションを取らない、あるいは意見を言わない。アスペルガー症候群男性は、パートナーとの衝突を避けるためなら、問題があることすら否定したり、二人の違いを無視したりする。パートナーの考えを理解できない人もいる。愛されず、受け止めてくれないことに女性が傷つき、それが苛立ちや怒りの原因になっていることがわからない。 女性も、アスペルガー症候群の人が感情を読み取ることが難しい、ということがわからない場合もある[76]

このような状態では、話し合いはうまくいかない。女性の感情的な要求が高まるほど、アスペルガー症候群男性は距離を置くようになる。衝突を回避し、問題を未解決のままにする。その「先送りすること」こそ問題の原因であり、問題をさらに深刻なものにしていく[76]

衝突する 

アスペルガー症候群の人は自分の視点からしか考えられないので、自分とは違う意見を受け入れることができず、自分が悪いと認めない。言い争いは、健康的な生活を送るために必要な自信と強さを失わせ、女性は感情的に消耗する[77]。感情について話し合えず、関係は表面的なレベルにとどまり、二人の間には距離が生じる[78]

アスペルガー症候群の人の行動は一見薄情に見えるが、心の理論(Theory of Mind)[79][注釈 11][16]がないだけである。言い換えれば、他の人の考えや気持ちがわからない。自分の視点からしか状況を判断できない。悪意があるわけではなく、相手が傷つくことがわからない[80]

アスペルガー症候群の人にとって感情の世界は入り組んでいるので、他の人の気分の変化に対処するためには、論理的に感情を扱わなくてはならない。直感の助けがないので、他の人とのやりとりがとても難しいものになる[81]

三者が理解しにくい理由 

カサンドラ症候群の者は悩みを他者に理解してもらうことが難しい。第三者は以下のような疑問を抱くためである。

なぜ気づかないのか 

アスペルガー症候群の配偶者との関係は必ずしも初めから悪いわけではなく、コミュニケーションが困難であることの積み重ねによって悪化していく[82]

マクシーン・アストンの調査によると、妻がカサンドラ症候群の場合であれば、初めは女性がアスペルガー症候群男性を助ける役割を担うことが多い[83]アスペルガー症候群男性の子供のような無邪気さと、穏やかで受動的な性質に惹かれた女性は、やがてアスペルガー症候群男性がいつまでたっても感情を表さないことに気づく。原因は子供時代にあるのではないかと考え、感情表現と愛情を注いで彼を助けよう、気持ちの表し方を教えてあげようとする。これは無意識のうちに行われる。しかし、時間の経過とともに、簡単に変えられる性質ではないことがわかってくる。気づくまでに何年もかかることもある。女性がどんなに努力しても、彼は気持ちを表さないので、「私のことを好きではない」と思い、苛立ちと憤りがつのっていく。そうなると、夫が何をしてもしなくても妻の気に障り、怒りっぽくなる。一方、夫はいったい何が起きているのかわからない。

カトリン・ベントリーは、結婚生活の維持を車のメンテナンスに例えて説明している[82]

初めは運転しやすいが、時には部品が壊れることもある。でも、走れないわけではないし、順調なふりもできる。しかし、良い状態に保つためには壊れた部品を交換しなければならない。問題を未解決のままにすれば、修理では済まないほど事態は悪化し、いつかだめになる。

夫婦の場合、結婚や子供の誕生など環境の変化をきっかけに問題が顕在化することがある[65]。(「#結婚を境に変化するアスペルガー症候群」参照)

カサンドラも結婚当初は、男女の違いや生家の文化の違いがあるから仕方がないとか、あるいはちょっと変わっている人として夫をとらえているので、コミュニケーションの問題はそれほど意識されない。 妻がカサンドラ症候群の場合であれば、暮らしていくうちに、妻が「普通」に期待する、人を気遣ったり心配したり、思いやったりする言葉があまりないことに遭遇する。妻が意図したこととまったく違う意味で物事を考えていることが、小さな驚きとともに妻の心に積もっていく。 結婚してしばらくすると、夫婦として一緒に考えなければならないライフイベント(転居や出産など、人生で起こる変化や出来事)が起こる。これをきっかけに、二人の気持ちの擦れ違いや、コミュニケーションの難しさが顕在化する。夫婦の間に共通の枠組み(妻から見ての「常識」)がないことに気づく瞬間だと言える[84]

普通の夫婦との違い 

どこの夫婦も、多かれ少なかれコミュニケーションが取れないものではないのか?

サイモン・バロン=コーエンは、自閉症スペクトラムの男性の脳は究極の「男性脳」であると述べている[85]
一般的に、他者との相互作用やコミュニケーションにおいて、男性は論理的で率直になりやすい一方、女性は感情的かつ記述的な言葉を多用する傾向がある[85]
そのため、カサンドラ症候群の女性が悩みを口にしても、他の人たちは非アスペルガー症候群夫婦間の愚痴との違いがわからず、「どこの夫婦も同じ」「うちもそうよ」などと答えがちである。実際、アスペルガー症候群との生活のエピソードの一つ一つを見れば「誰にでもあるようなこと」と言える。しかし、それがあらゆる形で一人の人に日々起こり続けるのがアスペルガー症候群である[86]カサンドラ症候群の女性は悩みを理解してもらえず、孤独感に陥る。

パートナーとの関係がいまくいかない時期はどんなカップルにもあるが、一方がアスペルガー症候群カップルは、両者ともアスペルガー症候群ではないカップルのような対処ができない[87]
「論理脳」を持つアスペルガー症候群は、感情的な話になると、非論理的・無秩序・無構造な情報を解読処理しようとして、脳が負荷過剰(オーバーロードメルトダウン)になってしまう。他の情報を処理する余裕がなくなり、記憶や解釈の違いがコミュニケーションに支障をきたす[88]
オーバーロード状態になると、アスペルガー症候群男性は会話を正確に思い出せないことがある。
女性は、アスペルガー症候群男性の脳の情報処理の仕方の違いや、複数の回路を同時に使えないことを受け入れ、覚えておいてほしいことは紙に書き、大切なことはタイミングをよく見計らって伝えなければならない[85]アスペルガー症候群男性との共通理解を得るためには、女性は考えや感情を説明する方法を身につけなければならない[89]

オーバーロード状態では、アスペルガー症候群男性は話し合いを避け、二人の間のコミュニケーションは途絶えてしまう。処理しきれない情報を脳が整理する時間が必要なため、アスペルガー症候群男性には引きこもることが必要になる[90]
自分たちがどう感じているかを伝えるのはアスペルガー症候群の結婚にとって大事である。「違う」ということは、パートナーの気持ちを理解できるとは限らないということなので、誤解を避けるために話し合い、何が必要か説明しなければならない[91]

わがままなのか 

人によってアスペルガー症候群の症状はさまざまである。穏やかな人もいれば、感情が激しやすい人もいる。一生懸命やっても仕事がうまくいかない人もいれば[92]、有名大学卒や大企業に勤務する人もいる[65]
アスペルガー症候群の人は極めて論理的な思考の持ち主なので、構造化された環境で適職に就いた場合は、その力を発揮できる可能性がある[93]
あるいは、アスペルガー症候群の人はむしろ知的には高いことも多いので、周囲が障害に気づかず、「ちょっと変わった人だな」と思われるだけで済んでいることもある[94]

一方で、決まりきった日常と予想可能性が必要な[95]アスペルガー症候群男性にとって、予想不可能な事柄が多い家庭生活では困難なことが多い。生活上で困ったことが起きると、神経系への過剰な負担となって、アスペルガー症候群男性は頑固になりストレスが高じてくる。オーバーロード状態になり、女性はパートナーに支えてもらえない。さらに、アスペルガー症候群男性の存在自体が問題をさらに難しくする。ストレスで冷静さを失ったアスペルガー症候群男性は、問題に立ち向かうのを拒否する[96]からである。

どんぐり発達クリニック(東京都世田谷区)の宮尾益知院長は「アスペルガーの人は会社など外では問題がない場合もあり、パートナーの苦しみが周囲に理解されづらい。実際に一緒に暮らしてみないと分からない問題がある」と指摘する。外で気を張っている分、家庭内で緊張感がなくなり、より特徴が強く出てしまうことがあるという[4]

社会的にはどんな好条件の相手であっても、夫婦になってからの情緒的な関わりの乏しさは妻を孤独にする。人が羨む生活に見えることが、アスペルガー症候群エピソードを持つ夫との葛藤をかえって見えにくくしている[97]

家族支援の取り組み 

同じ苦しみを抱えている家族同士の交流は、考えや気持ちを共有できるので有意義である[98]。例えば、大人のアスペルガー症候群の専門外来を開いた昭和大学付属烏山病院では、定期的に家族会を開いている[65]。 とはいえ、アスペルガー症候群が広く知られるようになってまだ歴史が浅いため、アスペルガー症候群当事者の支援も発展途上であり、家族支援まで十分に行き届いていないのが現状である。

日本 

カサンドラ症候群当事者による自助会がボランティアで運営されている[注釈 12]。(欧字五十音順)

日本国内の「発達障害者支援センター」も相談を受け付けている。本人および家族に対する福祉の相談支援として、来所相談・電話相談・メール相談などを行っているが、現状として、発達障害にかかわる支援資源・サービス等については十分に整備されているとはいえず、また地域により状況が異なることもある[99]

ウェブサイト 

支援が進んでいる英語圏のサイトでは情報が整理・体系化されているところが多い[100](アルファベット順)。

脚注 

注釈 

  1. ^ 2013年5月にアメリカで刊行されたアメリカ精神医学会診断基準DSM-5』(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders, 5th Edition、日本語版なし)では、アスペルガー症候群に代わり「自閉症スペクトラム障害」(autistic spectrum disorder:ASD)という診断名が採用されているが、ここでは今でも一般的によく使われている「アスペルガー症候群」(AS)を用いた。
  2. ^ カサンドラ症候群は、パートナーの一人または両方が、低い感情知能アレキシサイミアであることによって生じる従属的関係の状態、とされる。
  3. ^ アレキシサイミアとは、ギリシャ語で「感情に対する言葉がない」という意味。自閉症スペクトラムのおよそ85%がアレキシサイミア(失感情症)だと言われている。アスペルガー症候群の人が感情表現に戸惑う大きな原因にもなっている。
  4. ^ マクシーン・アストンは、アスペルガー症候群によって生じる人間関係の研究と支援をリードする心理学者である。イギリスコベントリークリニックを開き、個人、カップル、家族のためにカウンセリングをしている。著書に『Asperger's in love』(Jessica Kingsley Publishers Ltd、2003)、『The other half of Asperger Syndrome』(Jessica Kingsley Pub、2014)、『アスペルガーの男性が女性について知っておきたいこと』(東京書籍、2013)、他。
  5. ^ ニューヨーク州在住の文筆家。アスペルガー症候群の教育者。
  6. ^ 心療内科医・医学博士。福島学院大学大学院教授。専門は、児童精神医学、スクールカウンセリング、精神薬理学など。
  7. ^ 精神科医。ランディック日本橋クリニック院長。大人の発達障害を中心に活躍中。
  8. ^ 臨床発達心理士。TEACCHⓇ上級コンサルタント。米国ノースカロライナ大学TEACCH部、英国バーミンガム大学自閉症学科で学ぶ。発達障害者とその家族の支援を長年続けている。
  9. ^ 東京生まれ。臨床心理士特別支援教育士。どんぐり発達クリニックで心理療法士も務める。青山学院大学卒、白百合女子大学大学院、博士(心理学)。青山学院等で非常勤講師を務めるほか、私立小、中、高校にてスクールカウンセラーを務める。夫婦関係の心理を専門に研究、発達障害の保護者およびパートナーのカウンセリングを行っている。
  10. ^ どんぐり発達クリニック院長。独立行政法人国立成育医療センターこころの診療部発達心理科医長を経て、2014年より現職。専門は発達行動小児科学、小児精神神経学、神経生理学、特に発達障害の分野では第一人者。
  11. ^ 他者の心の状態や動きを類推することによって、その人の言動を解釈したり予想したりする心の働き・機能、および、他者には自分と異なる考えや信念があることを理解する心の働き・機能のこと。自閉症スペクトラムの人たちは、この心の理論の発達に障害があり、人とのやりとりが苦手になったり、コミュニケーションスキルが不十分になったりすると言われている。
  12. ^ 〈〉内は各自助会のサイトのタイトルによる。

出典 

  1. a b c Simons, Harriet and Thompson, Jason “Affective Deprivation Disorder”-Historical and Theoretical Antecedents of AfDD
  2. a b 野波ツナ『旦那(アキラ)さんはアスペルガー しあわせのさがし方』宮尾益知(国立成育医療センター こころの診療部 発達心理科医長) 監修、コスミック出版、2012年10月18日、59頁。ISBN 978-4774790879
  3. ^ マクシーン・アストン 2016, p. 9.
  4. a b 油原聡子「夫と意思疎通ができずに妻が陥る『カサンドラ症候群発達障害の夫に悩み、鬱にも」『産経新聞』2015年8月25日付朝刊、第15版、第21面。
  5. ^ 宮尾益知、滝口のぞみ『夫がアスペルガーと思ったときに妻が読む本』河出書房新社、2016年7月27日、27-28頁、ISBN 978-4309247649
  6. ^ 加藤進昌『大人のアスペルガー症候群講談社講談社プラスアルファ文庫〉、2012年6月21日、106頁。ISBN 978-4062814775
  7. a b カトリン・ベントリー 2008, p. 8.
  8. a b FAAAS (Families of Adults Affected by Asperger’s Syndrome) HP -OTRS/CP
  9. ^ 西城サラヨ『マンガでわかるアスペルガー症候群&カサンドラ愛情剥奪症候群』星和書店、2014年8月27日、21頁。ISBN 978-4791108824
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  16. a b ルディ・シモン『アスペルガーのパートナーのいる女性が知っておくべき22の心得』牧野恵訳、スペクトラム出版社、2010年11月26日、136頁。ISBN 978-4902082104
  17. ^ 野波ツナ『旦那(アキラ)さんはアスペルガー 奥(ツナ)さんはカサンドラ』宮尾益知監修、滝口のぞみ解説、コスミック出版、2014年12月19日、107頁。ISBN 978-4774791173
  18. a b Maxine Aston HP
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  22. a b Simons, Harriet and Thompson, Jason “Affective Deprivation Disorder”-Top
  23. ^ 加藤進昌『大人のアスペルガー症候群』 12,15頁。
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  26. ^ Aston, Maxine (2009-1-30). The Asperger Couple's Workbook:Practical Advice and Activities for Couples and Counsellors. p.124.
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  28. ^ 西城サラヨ『カサンドラ妻の体験記 ‐心の傷からの回復‐』 田中康雄寄稿、星和書店、2015年11月24日、246-254頁。ISBN 978-4791109180
  29. ^ カトリン・ベントリー 2008, pp. 192-193.
  30. ^ カトリン・ベントリー 2008, p. 179.
  31. ^ カトリン・ベントリー 2008, p. 218.
  32. ^ マクシーン・アストン 2016, pp. 73-74.
  33. ^ マクシーン・アストン 2013, pp. 61-63.
  34. ^ Aston, Maxine (2009-1-30). The Asperger Couple's Workbook:Practical Advice and Activities for Couples and Counsellors. p.21.
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  42. ^ 林寧哲『発達障害かもしれない大人たち』 PHP研究所、2011年5月12日、124-125頁。ISBN 978-4569709086
  43. ^ 『季刊[ビィ]Be!』117号 (pp.37-43「《続》カサンドラ症候群―講演 バラとサボテン【服巻智子】」)、アスク・ヒューマン・ケア、2014年12月10日、39頁。ISBN 978-4901030939
  44. ^ 野波ツナ『旦那(アキラ)さんはアスペルガー 奥(ツナ)さんはカサンドラ』 40頁。
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  46. ^ 宮尾益知、滝口のぞみ『夫がアスペルガーと思ったときに妻が読む本』 95-96頁。
  47. ^ 野波ツナ『旦那(アキラ)さんはアスペルガー 奥(ツナ)さんはカサンドラ』 89頁。
  48. ^ マクシーン・アストン 2016, pp. 42-44.
  49. ^ 宮尾益知、滝口のぞみ『夫がアスペルガーと思ったときに妻が読む本』 32頁
  50. ^ 宮尾益知、滝口のぞみ『夫がアスペルガーと思ったときに妻が読む本』 29-30頁
  51. ^ 野波ツナ『旦那(アキラ)さんはアスペルガー 4年目の自立!?』宮尾益知(どんぐり発達クリニック院長)監修、コスミック出版、2014年5月、129頁。ISBN 978-4774791128
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  59. ^ 野波ツナ『アスペルガーカサンドラ (旦那(アキラ)さんはアスペルガー)』宮尾益知監修、コスミック出版、2015年6月18日、130頁。ISBN 978-4774791265
  60. ^ 西城サラヨ『カサンドラ妻の体験記 ‐心の傷からの回復‐』254-255頁。
  61. ^ 宮尾益知、滝口のぞみ『夫がアスペルガーと思ったときに妻が読む本』 145-148頁
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  64. a b c 野波ツナ『旦那(アキラ)さんはアスペルガー』宮尾益知監修、コスミック出版、2011年1月、109頁。ISBN 978-4774790534
  65. a b c d e f g 堀内京子「通わぬ心 結婚17年目の診断――アスペルガーの夫持つ妻語る」『朝日新聞』2013年3月28日付朝刊、第12版▲、第30面。
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  76. a