開けて悔しき玉手箱のブログ

浮世の世間で ある日 玉手箱を 開けてしまった........。 気づくと そこは......。

裕福なユダヤ人一家の息子としてパリに生まれる。1924年高等師範学校入学、ここで生涯の友人であり、ライバルとなるジャン=ポール・サルトルに出会う。1930年~1933年、ドイツ留学。ケルン大学、ベルリン大学で学ぶが、この時ナチスの台頭を目の当たりにすることになる。第二次世界大戦勃発後はフランス空軍に参加するも、フランス敗北後はイギリスへ渡り、自由フランス軍の機関紙の編集に携わる。戦後はフランスに戻り、フランス国立行政学院とパリ政治学院、高等研究実習院で教鞭を執った。1955年以降はソルボンヌ大学、1977

レイモン・アロン

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レイモン(レモン)・クロード・フェルディナン・アロン(Raymond Claude Ferdinand Aron、1905年3月14日 - 1983年10月17日)は、フランスの社会学者[1]・哲学者[1]・政治学者[1]・ジャーナリスト。

レイモン・アロン (1966年)

来歴

裕福なユダヤ人一家の息子としてパリに生まれる。1924年高等師範学校入学、ここで生涯の友人であり、ライバルとなるジャン=ポール・サルトルに出会う。1930年~1933年、ドイツ留学。ケルン大学、ベルリン大学で学ぶが、この時ナチスの台頭を目の当たりにすることになる。第二次世界大戦勃発後はフランス空軍に参加するも、フランス敗北後はイギリスへ渡り、自由フランス軍の機関紙の編集に携わる。戦後はフランスに戻り、フランス国立行政学院とパリ政治学院、高等研究実習院で教鞭を執った。1955年以降はソルボンヌ大学、1977年からはコレージュ・ド・フランスで教授を務めた。また、1947年から1977年まで新聞フィガロの論説委員を務め、1977年から亡くなる1983年までは報道週刊誌エクスプレスで筆をふるった。国際政治や戦争論に関する卓越した議論を展開したことでも有名である。

アメリカ芸術科学アカデミー外国人名誉会員(1960年)、エラスムス賞受賞(1983年)。

人物

フランスの学生運動の活動家たちのあいだでは、「アロンとともに正しいよりも、サルトルとともに間違った方がいい」と言われていたことがある[2][3][4]。

ドイツ留学中に現象学に出会い、サルトルに現象学を伝えたことでも知られている[5]。

日本語訳

参考文献

  • 岩城完之『レイモン・アロン-危機の時代における透徹した警世の思想家』 東信堂『シリーズ世界の社会学・日本の社会学』、2001年9月。ISBN 978-4887134010
  • 北川忠明『レイモン・アロンの政治思想』 青木書店、1995年12月。ISBN 978-4250950520
  • 『現代における知識人と自由-レイモン・アロン教授を迎えて』-『日本文化会議 月例懇談会収録集 第19集』斎藤廣編、日本文化会議、1970年11月。
研究

脚注

  1. “レイモン・アロン、フランス国際関係論の源流”. ニューズウィーク日本版. (2019年10月23日) 2020年1月22日閲覧。
  2. 奈良和重「エティエンヌ・バリリィエ著『レ・プティ・カマラード : サルトルとアロンに関する試論』」『法學研究 : 法律・政治・社会』第61巻第7号、慶應義塾大学法学研究会、1988年7月、108頁、ISSN 03890538。
  3. Halimi, Serge (2019年3月1日). “Avoir tort avec Raymond Aron” (フランス語). Le Monde diplomatique. 2020年7月24日閲覧。
  4. Raphaël, Sorin (1995年9月28日). “Sartre-Aron: duels au sommet” (フランス語). LExpress.fr. L'Express. 2020年7月24日閲覧。
  5. 箱石匡行「サルトルにおける現象学的存在論の形成」『岩手大学教育学部研究年報』第37巻、岩手大学教育学部、1977年11月30日、109-150頁、ISSN 0367-7370。

外部リンク

フランス現代思想

20世紀フランスにおける哲学思想の総称、または「あらゆるものに複数の答えがある」「真実は存在せず、すべては解釈である」と主張する相対主義的思想

フランス現代思想(フランスげんだいしそう)は、第一次世界大戦前後から始まる20世紀フランスの哲学ないし思想のこと。19世紀以降のフランスとドイツを中心とする大陸哲学の流れのなかで、20世紀以降のフランスにおける大陸哲学研究、現代思想を特筆する際に、この「フランス現代思想」の語が用いられる。 マルクス主義、フリードリヒ・ニーチェやジークムント・フロイトらのドイツの近代理性批判、エトムント・フッサールやマルティン・ハイデガーの現象学、フェルディナン・ド・ソシュールの記号学や言語哲学などが流れ込んでいる。

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ジャン=ポール・シャルル・エマール・サルトル(仏: Jean-Paul Charles Aymard Sartre [ʒɑ̃pɔl ʃaʁl ɛmaːʁ saʁtʁ]、1905年6月21日 - 1980年4月15日)は、フランスの哲学者、小説家、劇作家。内縁の妻はシモーヌ・ド・ボーヴォワール。右目に強度の斜視があり、1973年にはそれまで読み書きに使っていた左目を失明した。

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ポール・ニザン(Paul Nizan、1905年2月7日 - 1940年5月23日)は、フランスの小説家、ジャーナリスト、政治活動家(共産党員)。 リセから高等師範学校にかけてサルトルとともに学ぶ。1926年に学業・執筆活動を中断して政治家の息子の家庭教師として大英帝国の支配下にあったアデン(イエメン共和国)に滞在し、1931年に帝国主義・植民地主義、資本主義的搾取・疎外、ホモ・エコノミクス、ブルジョワジーを辛辣に批判する『アデン アラビア』を発表した。

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