登戸研究所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大日本帝国陸軍 | |
---|---|
中央官衙 | |
陸軍省 参謀本部 教育総監部 航空総監部 |
|
主要兵力 | |
総軍 方面軍一覧 軍一覧 師団一覧 連隊等一覧 飛行戦隊一覧 |
|
歴史・伝統 | |
日本陸軍の歴史 日本陸軍の軍服 |
|
その他 | |
階級一覧 兵科・兵種・各部一覧 兵器一覧 通称号 |
|
沿革
設立
1939年(昭和14年)1月、「謀略の岩畔」との異名をとった陸軍省軍務局軍事課長・岩畔豪雄大佐(正確には軍事課長就任は同年2月、大佐昇進は同年3月)によって、特殊電波・特殊科学材料など秘密戦の研究部門として、通称「登戸研究所」が「陸軍科学研究所」の下に設立された。
登戸研究所の前身は1919年(大正8年)4月に「陸軍火薬研究所」が改編して発足した「陸軍科学研究所」のため、当初の正式名称は「陸軍科学研究所登戸出張所」であった。
運用中
所長には篠田鐐大佐が就き、1939年(昭和14年)9月に正式発足した。
1941年(昭和16年)6月に「陸軍科学研究所」が廃止され、「陸軍科学研究所登戸出張所」は「陸軍技術本部第9研究所」に改編。1942年(昭和17年)10月、陸軍兵器行政本部が設けられ、その下の「第9陸軍技術研究所」に改編。1943年(昭和18年)6月、電波兵器部門を多摩陸軍技術研究所へ移管。
1945年1月、「帝国陸海軍作戦計画大綱」が発表され、本土決戦準備のため、登戸研究所は長野県各地、兵庫県丹波に分散移転した[1]。
同年8月15日、敗戦が決定すると、陸軍省軍務課は「特殊研究処理要綱」を通達し、すべての研究資料の破棄を命令した[2]。それらの資料の殆どが処分され、また、ほとんどの関係者が戦後沈黙したため、長らくその研究内容は不明だった。
組織
1944年時。
研究・開発された兵器
原子爆弾、生物兵器、 化学兵器、 特攻兵器、 謀略兵器、 風船爆弾、 缶詰爆弾、 怪力光線、殺人光線、電気投擲砲。
上記の通り、怪力光線などのようにいささか空想じみた研究をしており、実態が不明な点が多いこともあって、各種創作物の中ではオカルトめいた怪しい研究所として描かれることが多い。しかし実際には、どちらかといえば謀略やBC兵器、特攻兵器のような、地味かつあまりイメージの良くない研究が主だった。
中華民国の経済を乱すため、当時として45億円もの中華民国向けの偽札がこの研究所で作られ、30億円もの偽札が中華民国で使用された「杉作戦」が有名である。
その後
帝銀事件
1948年1月26日に発生した帝銀事件では、警視庁は犯行に使われた毒物が登戸研究所が開発したものと推定し、第二科の研究者を中心に捜査が行われた。この中の捜査メモ「甲斐文書」に、関東軍防疫給水部と共同による人体実験の関与を指摘する供述が記録されている[3]。第二科の関係者の多くは、登戸研究所で開発されたアセトン・シアン・ヒドリン(青酸ニトリール)である可能性があると証言している。
関係者
1950年に朝鮮戦争が勃発すると、東側に対抗するため、戦犯免責者の公職復帰が行われた。登戸研究所関係者では第三科の関係者がアメリカ軍に協力し、横須賀基地内の米軍印刷補給所で、偽造印刷の技術を使い、共産圏の各種公文書の偽造を行った[4]。
1952年に研究班の一部がアメリカ本土に移動。入れ替わりでかつて登戸研究所所長を勤めていた篠田が合流した[5]。
跡地
戦後、登戸研究所跡地は慶應義塾大学や北里研究所、川崎国民学校などが使用し、慶應義塾は同地を医学部予科、工学部予科、法学部予科(一年)の登戸仮校舎とした。1949年(昭和24年)秋の日吉校舎の接収解除に伴い、登戸仮校舎は翌年春明治大学に譲渡し、1951年(昭和26年)4月に同大学の生田キャンパスになった(農学部が千葉県誉田村から移転)。
明大への譲渡後も多くの建物は校舎や学生寮となった。老朽化のため建物の大部分は取り壊されたものの、枯葉剤の研究が行われたと見られる「36号棟」のほか、動物慰霊碑や消火栓など当時の施設がまだ幾つか現存している。
2010年3月29日、前述の「36号棟」の建物をそのまま利用する形で資料館が開館した。当時の貴重な資料や解体された棟のドア、柱などの建築部材が展示されている。開館日並びに開館時間は、毎週水曜日から土曜日の10時より16時まで。
脚注
参考文献
- 川崎市中原平和教育学級『私の街から戦争が見えた―謀略秘密基地・登戸研究所の謎を追う』 (教育史料出版会、1989年) ISBN 4876521689
- 熊野三平『「阪田機関」出動ス』 (展天社、1989年) ISBN 4886560539
- 赤穂高校平和ゼミナール・法政二高平和研究会『高校生が追う陸軍登戸研究所』 (教育史料出版会、1991年) ISBN 4876522022
- 木下健蔵『「消された秘密戦研究所』 (信濃毎日新聞社、1994年) ISBN 4-7840-9401-6
- 伴繁雄『陸軍登戸研究所の真実』(芙蓉書房出版、2001年) ISBN 4-8295-0275-4
- 斎藤充功『謀略戦 陸軍登戸研究所』 (学習研究社、2001年) ISBN 4059010928
- 海野福寿・渡辺賢二・山田朗『陸軍登戸研究所―隠蔽された謀略秘密兵器開発』 (青木書店、2003年) ISBN 4250203050
- 新多昭二『秘話 陸軍登戸研究所の青春』 (講談社、2004年) ISBN 4062738201
- 姫田光義・旧陸軍登戸研究所の保存を求める川崎市民の会『フィールドワーク陸軍登戸研究所』 (平和文化、2009年) ISBN 4894880431
- 山田朗・渡辺賢二・齋藤一晴『登戸研究所から考える戦争と平和』 (芙蓉書房出版、2011年) ISBN 9784829505106
- 渡辺賢二『陸軍登戸研究所と謀略戦 科学者たちの戦争』(吉川弘文館、2012年) ISBN 4642057374
- 『陸軍登戸研究所<秘密戦>の世界』山田朗・明治大学平和教育登戸研究所資料館、明治大学出版会(原著2012年3月20日)、初版。ISBN 9784906811007。2013年1月27日閲覧。
- 木下健蔵 『日本の謀略機関 陸軍登戸研究所』 (文芸社、2016年) ISBN 978-4-286-17525-6
- 慶應義塾 『慶應義塾百年史』 中巻(後) 1964年
- 明治大学百年史編纂委員会 『明治大学百年史』 第四巻 通史編Ⅱ 1994年
関連項目
外部リンク
Text is available under the CC BY-SA 4.0 license; additional terms may apply.
Images, videos and audio are available under their respective licenses.