日本ドリーム観光株式会社(にっぽんドリームかんこう) は、かつて大阪市に存在し、レジャー事業・エンターテイメント事業を手掛けた総合観光企業である。 「昭和の興行師」こと松尾國三が経営にあたり、大阪証券取引所1部(現在の東京証券取引所プライム及びスタンダード)に上場していたが、松尾の死後に経営権争奪戦が起こり、1993年に中内㓛率いるダイエーに吸収合併された。
沿革
創設期
松竹時代
- 1923年(大正12年)
- 1928年(昭和3年) - 大阪府建築条例に基づき、「楽天地」の年末までの解体命令を受ける[38]。
- 1930年(昭和5年)
- 1931年(昭和6年)
- 1932年(昭和7年)
- 1933年(昭和8年)
- 1934年(昭和9年)8月1日 - 千日前・大阪劇場(大劇)[注 4]を開場し、松竹映画の上映と大阪松竹少女歌劇団(OSSK)の本拠地とする[46]。
- 1936年(昭和11年) - 松尾國三が松竹演劇部の顧問に就任[47]。
- 1937年(昭和12年)
- 1938年(昭和13年)
- 1939年(昭和14年)
- 1942年(昭和17年)
- 1944年(昭和19年)
- 1945年(昭和20年)
- 1月1日 - 松竹歌劇団が「大阪劇場」で映画の合間に公演を再開[58]。
- 3月13日 - 大阪大空襲で「大阪歌舞伎座」・「大阪劇場」・「あしべ劇場」が被災[58]。
- 4月28日 - 松竹歌劇団が「大阪松竹座」で公演を再開[58]。
- 5月12日 - 「戦力増強劇場」を「大阪歌舞伎座」に戻して再開場し、歌謡劇や歌舞伎の興行を再開[59]。
- 7月 - 「大阪劇場」が再開[58]。
- 7月26日 - 松竹歌劇団が「大阪劇場」で公演を再開[58]。
- 9月19日 - 大阪松竹少女歌劇団(OSSK)の復興第1回「秋のおどり」を開演[60]。
- 9月27日 - 大阪府知事からの命令により進駐軍向けキャバレー、「キャバレー歌舞伎」の運営を開始[61]。
- 9月 - 京都府からの命令により進駐軍向けキャバレー[62]、京都市河原町で「キャバレー歌舞伎」の運営を開始[63]。
- 1946年(昭和21年)
- 1947年(昭和22年)
- 1948年(昭和23年)
- 1949年(昭和24年)
- 1950年(昭和25年)
- 10月 - 白井信太郎の追放が解除され、社長に復帰。
- 12月 - 接収解除された「京都スケート場」を改修し、米国映画ロードショー館として新装開業[44]。
- 1951年(昭和26年)
- 1953年(昭和28年)
雅叙園・松尾國三時代
- 1954年(昭和29年)
- 3月 - 「松竹」との間で直営全館についての共同運営に関する協議が成立[73]。
- 4月21日 - 労働組合に対し、14,500円から平均2,040円の賃金引下げを通告[74]。
- 6月24日 - 251名で第2労働組合結成[75]。
- 6月28日 - 無期限ストライキを開始[75]。
- 8月28日 - 白井信太郎以下役員が辞任し、雅叙園観光株式会社社長・松尾國三が代表取締役に就任[76]。
- 9月23日 - 大阪劇場(大劇)にシネマスコープを設置し、大阪松竹少女歌劇団(OSSK)の本拠地から映画上映主体へ業態転換[77]。
- 9月29日 - 「芦辺劇場」・「アシベ小劇場」などを建て替え、「あしべ劇場」を開場[77]。
- 12月15日 - 千土地興行労組、全面ストライキを決行[78]。これは翌年1月まで続き、年末興行が中止されたほか正月興行も遅れた。
- 1955年(昭和30年)
- 1957年(昭和32年)
- 1958年(昭和33年)
- 1960年(昭和35年)9月22日 - 株式会社ドリームランドを設立[87]。
- 1961年(昭和36年)7月1日 - 奈良ドリームランドを開園[88][87]。
- 1962年(昭和37年)
- 1963年(昭和38年)
- 1964年(昭和39年)
- 1965年(昭和40年)
- 1966年(昭和41年)
- 5月2日 - 「ドリーム交通株式会社」が大船駅と横浜ドリームランドを結ぶモノレールを開業[99]。
- 6月1日 - 下記の各営業部門に対する分社化を実施。株式会社新歌舞伎座(資本金300万円・大阪新歌舞伎座)、株式会社奈良ドリームランド(資本金300万円・奈良ドリームランド)、株式会社横浜ドリームランド(資本金300万円・横浜ドリームランド・横浜ドリームランド文化センター・ホテルエンパイア)、千日興行株式会社(資本金300万円・大阪劇場・千日劇場・アシベ劇場・大劇名画座・京都劇場・京洛劇場・八千代館・京都名画座・京劇ダンスホール)、株式会社ニューポートホテル(資本金300万円・神戸ニューポートホテル)、千日ツーリスト株式会社(資本金100万円・旅行代理店)の現業会社を設立[100]。同時に本社の業態を大きく変更し、自社が保有する不動産や設備などの資産を各営業子会社に賃貸し、賃貸料収入を経営の柱とする「不動産施設賃貸業」に変更 [101]。
- 8月 - 千土地観光株式会社(資本金100万円・大劇アルバイトサロン・アルバイトサロン「ユメノクニ」・クラブニューポート・クラブ香港)を含めた上記7社を営業子会社として本社経営から分離独立。各子会社の社長に松尾國三が就任[100]。
- 1967年(昭和42年)
- 3月1日 - 千日デパート4階に「ニチイ千日前店」が出店[79]。
- 3月 - 「京洛劇場」跡にアルバイトサロン「花束」を開業[102]。
- 5月16日 - 千日デパート7階に千土地観光がアルバイトサロン「チャイナサロン・プレイタウン」を開業[86]。
- 6月 - 大阪劇場(大劇)を閉鎖・改装して「大劇レジャービル」へ業態転換し、「日本歌劇団」が「近鉄あやめ池遊園」の「円形劇場」へ本拠地を移転[103]。
- 7月5日[104] - 「神戸ニューポートホテル」6階にアルバイトサロン「しゅんそう」を開業[102]。
- 9月24日 - 「ドリームランドモノレール」を全面運休[105]。
- 10月1日 - 「ニチイ千日前店」が千日デパート3階にも営業エリアを拡大[79]。
- 1969年(昭和44年)
- 1970年(昭和45年)
- 1971年(昭和46年)
- 1972年(昭和47年)5月13日 - 千日デパート火災発生[113]。
- 1975年(昭和50年)12月26日 - 当社を含む4社と「千日デパート火災遺族の会」の間で総額約18億5千万円を保証することで和解が成立[114]。
- 1976年(昭和51年)7月 - 「ドリーム遊技株式会社」を設立[107]。