開けて悔しき玉手箱のブログ

浮世の世間で ある日 玉手箱を 開けてしまった........。 気づくと そこは......。

マーティン・クーニーに関する最も興味深い事実は、未熟児保育器を使って未熟児を救うために当時まだ病院で認可されていなかった保育器を用い、多くの博覧会で披露したことでしょう。また、彼はニューヨークのコニーアイランドで保育器を用いた未熟児の見世物を行い、見物料は未熟児の治療費の補填に充てられました。この活動により、クーニーは6,500人から7,000人の未熟児を救ったとされています。また彼が亡くなる直前に、病院に保育器が導入されることになりました。

マーティン・アーサー・クーニーMartin Arthur Couney, 出生名: Michael Cohn, 1870年 - 1950年3月1日)は、アメリカ医師。 新生児学の第一人者として知られる。ドイツ系ユダヤ人移民の家に生まれ、母親は医師の家系であった[2][3]。小児科の名医であるピエール=コンスタント・ブーダン英語版の弟子であったと自称しているが、証明はされていない。また、よく訓練された医師ではなかったと信じるに足る証拠も示されている[4]

概要 マーティン・A・クーニーMartin A. Couney, 生誕 ...
マーティン・A・クーニー
Martin A. Couney
生誕 1860年12月31日 あるいは 1870年12月30日
アルザス あるいは ブレスラウ[1]
死没 1950年3月1日
コニーアイランド
国籍   ドイツ
教育 ライプツィヒ
配偶者 アナベル・メイ (Annabelle Maye)
子供 娘: ヒルデガルド・クーニー (Hildegarde Couney)
医学関連経歴
職業 内科医
分野 新生児学
専門 NICU
 
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1909年のシアトル万国博覧会での保育器の展示

概要

クーニーは、当時まだ病院で認可されていなかった新生児保育器を用いて未熟児を救ったことで知られている[5] 。クーニーは保育器を、1896年のベルリン産業博覧会英語版ロンドンアールズ・コート・エキジビション・センター、 1898年にネブラスカ州オマハで行われたトランス・ミシシッピ博覧会英語版、1900年のパリ万博、1901年にニューヨーク州バッファローで行われたパンアメリカン万博英語版などで披露した。最も有名な逸話は、長年にわたってニューヨークコニーアイランドにおいて保育器に入れた未熟児を見世物としていたことである。見物料として25セントを徴収し、未熟児の両親が治療費を払う必要がないように、この収入を維持費に充てていた[6][7]1903年にはルナパークにおいて保育器の展示が行われた (en:Luna Park (Coney Island, 1903)。1950年に彼が亡くなる直前、保育器は病院に導入された[8]。クーニーが命を救った未熟児は6,500人から7,000人であるといわれている[9]

脚注

  1. Silverman, WA (1979 Aug). “Incubator-baby side shows (Dr. Martin A. Couney).”. Pediatrics 64 (2): 127-41. PMID 382078.
  2. “How one man saved a generation of premature babies” (英語). BBC News. (2016年5月23日) 2018年11月18日閲覧。
  3. NPR Staff. Babies On Display: When A Hospital Couldn't Save Them, A Sideshow Did”. NPR. 2015年7月13日閲覧。
  4. “Martin A. Couney, 'Incubator Doctor'”. New York Times. (1950年3月2日). p. 27 2016年3月8日閲覧。
  5. Anderson. No. 2279: Babies in Sideshows”. The Engines of Our Ingenuity. 2015年7月13日閲覧。
  6. “To Heaven by Subway (Fortune Classics, 1938)” (英語). Fortune 2018年11月23日閲覧。

関連項目

関連文献

  • Raffel, Dawn The Strange Case of Dr. Couney: How a Mysterious European Showman Saved Thousands of American Babies (New York: Blue Rider Press, 2018)

外部リンク