開けて悔しき玉手箱のブログ

浮世の世間で ある日 玉手箱を 開けてしまった........。 気づくと そこは......。

欧米のメディアは、本事件について「assassination(暗殺)」という表現を用いて報じた。

安倍晋三銃撃事件  

 

 

安倍晋三 > 安倍晋三銃撃事件
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このページ名「安倍晋三銃撃事件」は暫定的なものです。議論はノートを参照してください。(2022年7月)
安倍晋三銃撃事件
The vicinity of Kintetsu Yamato-Saidaiji station northern entrance on 8th July 2022.jpg
 
事件現場(2022年7月8日午後6時頃撮影)[注 1]
場所
日本の旗
日本 奈良県奈良市
近畿日本鉄道大和西大寺駅北(奈良市西大寺東町二丁目1番63号先東側路上)[1]
座標
標的 安倍晋三
日付 2022年(令和4年)7月8日
11時31分頃 (JST)
概要 選挙演説中に発生した元内閣総理大臣への銃撃事件
原因 世界平和統一家庭連合(旧統一教会[注 2]」と「標的」が強い関係性を持っていたと被疑者が考えたため
攻撃手段 銃撃
攻撃側人数 1人
凶器 手製銃
死亡者 1人(安倍晋三
容疑 殺人
動機 世界平和統一家庭連合」への恨み[8][10][6][2][3]
対処 被疑者を現行犯逮捕
影響 影響 節参照
管轄 奈良県警察奈良西警察署
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安倍晋三銃撃事件(あべしんぞうじゅうげきじけん)は、2022年令和4年)7月8日11時31分頃、奈良県奈良市近鉄大和西大寺駅北口付近にて、元内閣総理大臣安倍晋三選挙演説中に銃撃され死亡した事件[14][15]

 

概説 

街頭演説の背景 

事件当日は第26回参議院議員通常選挙(2022年6月22日公示[16]7月10日投開票[17])の選挙期間中で、安倍は連日、自由民主党(以下、自民党)公認の立候補者の応援演説を行っていた[18]

安倍は7月8日夕方に長野駅前で、長野県選挙区に出馬した自民党の新人・松山三四六の応援に入る予定であった[19][20]。ところが、6日に松山の女性問題や金銭トラブルを週刊誌2誌が電子版で記事にした[21][22]ことから、7日、応援演説は取り止めとなった。終盤の情勢調査で立憲民主党日本維新の会の候補との接戦が報じられていた奈良県選挙区が選ばれ、安倍の遊説先は長野から奈良に変更された[23][24]。7日12時50分頃、自民党奈良県[注 3]は、奈良県警にその旨を伝えた[1][26]

奈良県選挙区に立候補していた自民党の現職・佐藤啓は8日午前、近鉄学園前駅の界隈を選挙カーで回る計画だったが、奈良1区の小林茂樹のスタッフと話し合い、場所を近鉄大和西大寺駅北口に差し替えた[23][24]。関係者はのちに「平日の昼間でも人が集まる場所。それがどこかと考えれば、大和西大寺駅北口しかなかった」「安倍さんクラスが来るのに、聴衆が少ないのは避けたかった」と証言している[24]

安倍が選挙期間中に奈良県に入るのは2度目で、6月28日大和西大寺駅南口と、近鉄生駒駅前の2か所で演説を行っていた[27][28]読売新聞の報道によれば、安倍派に所属する佐藤から会長の安倍に直接応援要請があったとも言われている[29]

京都府選挙区新人の吉井章選挙対策本部長を務めていた安倍派の西田昌司も、かねてより安倍の来援を要請していた。奈良入りに次いで、京都にも応援に入ることが決まった[30][31][32]。吉井は7日15時48分、Twitterを更新。「安倍晋三元首相来る! 7月8日12時30分、四条河原町にて」と書かれた画像を掲載した[31]。安倍は8日夕刻に、参議院比例区から出馬している自派閥の現職・山谷えり子の応援演説を大宮駅西口で行うことが以前から決まっていたが[33]、この予定は変更されず据え置かれた。こうして、8日の安倍の遊説先は奈良、京都、埼玉の3府県に確定した[34][35][36]

7日16時半頃、自民党県連は、大和西大寺駅北口で街頭演説を行う旨を奈良県警に伝えた[1]

佐藤陣営の選挙カーは車上から演説できる構造になっていなかったため、陣営は勘案した結果、交差点中央のガードレールで囲まれた約50平方メートルの安全地帯で演説することを決めた[23]。ここは自民党幹事長茂木敏充が6月25日に応援演説した場所でもあった[30][37]。7日17時過ぎ、自民系の地元議員に、安倍来訪の案内をファックスで一斉に送信[38]自民党は特設ウェブサイトにおいて党役員の演説会スケジュールを随時更新しており、安倍の8日の予定もほどなく公表された[39][35][注 4]

大和西大寺駅周辺を管轄する奈良西警察署はその頃、署内で発生した不祥事の対応に追われていた[41][注 5]。知らせを受けた7日、奈良西警察署は、翌8日の不祥事事案の報道発表に向けて、県警本部と調整を行っていた。不祥事事案の業務と並行して、急いで演説会の警護警備計画の策定に取り掛かり、陣営スタッフとともに現場を訪れ、安倍が立つ位置などを確認した。当初、奈良県警が警備警護計画の策定に取り掛かったのは「夕方から」とされていたが[41][23]、8月25日に警察庁がまとめた検証結果の報告書によって「19時頃から」に修正された。すなわち自民党奈良県連が「演説場所を駅北口の交差点中央のガードレールで囲まれた安全地帯とする」旨を県警に伝えたのはその日の19時頃であったためであり、これらは警察庁の報告書により初めて明らかとされた[1]

立憲民主党代表の泉健太が同年4月に同じ場所で演説したいと申し出たときは、県警は「後方の警備が難しい」と指摘し、あわせて、車の上で演説することや、車を防弾パネルで覆うことなどを要請した。そのため泉はやむを得ず少し離れた場所で演説を行った[45]。県警の警備課は、6月25日に茂木が演説した際に策定された「警護警備実施計画」を基に、配置する警察官をわずかに増やして、計画書を作成した。演説会当日7月8日の執務時間が始まった直後に、警護の統括責任者である警備部参事官に「警護警備実施計画」を提出。警備部長、鬼塚友章本部長の順に決裁された[46][23][26]

事件発生 

安倍(紫色)と被疑者(青色)の位置関係
映像外部リンク
 事件発生時の映像(1分44秒)
Wall Street Journalによるアップロード動画

7月8日10時5分、安倍は羽田発の航空便で伊丹空港に到着した[47]

11時10分、佐藤の街頭演説会が開始[48]。演説会は大和西大寺駅北口から東に50メートルほど離れた、交差点中央のガードレールで囲まれた安全地帯(ゼブラゾーン)で行われた。安全地帯の真南には県道104号谷田奈良線が通っていた。駐車スペースがないため、選挙カーは安全地帯から北に約20メートル離れた場所に止められた[23]。実行犯の男は、演壇の右斜め後ろ(南東)約15メートルの歩道に立っていた[49]

演説台のそばでは、警視庁警備部警護課のSP1人を含む4人の警察官が警護に当たっていた。そのうち3人(県警の警察官2人とSP1人)はガードレールの内側におり、1人はガードレールの南東の外側で後方を警戒していた[50][51]。県警の長年の前例を踏襲し、現場には制服警察官は配置されなかった[52]自民党県連は聴衆の整理のため、スタッフ15人を配置していた[36]。また佐藤陣営は、県道104号谷田奈良線の交通量が多いため、5人の警備員を雇って交通整理に当たっていた[52]

11時18分14秒頃、安倍は警察官とともにガードレールの内側に到着[1][53]。安倍が姿を現すと、前方の聴衆が増え始める。

11時23分25秒頃、佐藤自身による演説が開始。ガードレール内にいた県警の警察官は、後方の警戒を担当していた警察官に対し、11時26分頃までにガードレール内に入るよう指示[1]。後方担当の警察官は聴衆が増えてきた前方右手(東側)の警戒を主に行った[54]。他の場所にいた統括役の警察官には、この変更は無線で伝えられなかった。そして後方だけを警戒する警察官がいなくなった[55][50]

11時28分42秒頃、安倍は佐藤とグータッチを交わしたあと、高さ約40センチメートルの台の上で、駅のロータリーを背に応援演説を開始[1][56]。被疑者の男はその直前に歩道と車道の切れ目あたりに移動した。

11時29分51秒頃、被疑者の男は歩道角で周囲を見渡していたが、午前11時30分0秒頃から、バスロータリー沿いの歩道を、徒歩でゆっくりと南進し始めた。

11時30分18秒、安倍の真後ろにいた選挙スタッフの男性が演壇の右方向(東方向)に移動し、脇から安倍をカメラで撮影。このため安倍の後ろががら空きになった[57][49][15]

11時30分43秒頃、自転車に乗った男性が車道を東進し、ゼブラゾーンにさしかかる。男性は同51秒頃、ゼブラゾーン上に一時停車し、その後、再び低速で東進した。また、台車を押す男性が車道を東進し、ゼブラゾーンに到達。同58秒頃、自転車の男性の南側を追い抜いて通行した。後方担当の警察官は、この男性2人の姿に気を取られ、目で追っていたために、斜め後ろから被疑者が近づいてきたことに気付かなかった[1][57][58]

11時30分56秒頃までに被疑者はロータリーに侵入[56]。11時31分頃、被疑者は左右を確認することなく、車道を横断し、車道のセンターラインを超えたあたりで立ち止まった[59]

11時31分3秒頃[56]、被疑者は演壇に近づきながら、たすきがけの黒いカバンから、筒状の銃身を粘着テープで巻いた手製の銃[注 6]を取り出した。11時31分5秒頃、安倍に照準を合わせた[1]

11時31分6秒頃[56]、安倍が「彼(佐藤)はできない理由を考えるのではなく…」と語った瞬間、被疑者は1発目を発射した[62]。安倍と被疑者の距離は約7メートルであった[59][63]。1発目は誰にも当たらなかったが、爆破音のような大きな音とともに白煙が上がり[64]、安倍は左後方へ振り返った[53][65][66]

被疑者は1発目の発射から約2.7秒後の11時31分8秒頃[56]、警察官が止めに入る前に更に安倍に近づいて2発目を発射。この時点で安倍と男の距離は約5メートルであった[63]。2発目は、安倍のの右前部と左上腕部に着弾する[67][68]。安倍はその場に倒れ込み[69]、意識を失い、心肺停止状態になった[68][70][71]

警察の調べでは、被疑者が車道に歩き出してから1回目の発射までの間隔は「9.1秒」とされた[72]警察庁がまとめた報告書により、1発目と2発目の間隔は「2.7秒」とされた[1]

被疑者は奈良県警に取り押さえられ、11時32分に殺人未遂現行犯逮捕された[73]

死亡確認 

のちに奈良市消防局が公開した救急隊員らの活動報告書によると、同日11時32分に救急車の出動要請があり、程なくして救急車2台、ドクターカー1台を含む車両計7台が出動した[74][75]。その間、現場に居合わせた看護師らが救命措置を施し[75][76]、11時37分に先発の救急隊が到着[77]、11時41分には次の隊が到着した[74]。安倍は道路に仰向けの状態で倒れており、自動体外式除細動器AED)を用いるなどして救命措置が行われていたが、この時点で心肺停止の状態であることを確認していた[注 7][74]。その後、11時43分、救急車が安倍を収容し[78][79]、11時54分[77]に現場からドクターヘリの着陸先である平城宮跡歴史公園に向かった。この時点で消防は右首の銃創、左胸の皮下出血を確認した[80]。12時9分に安倍がドクターヘリに収容され[77]、12時13分、ドクターヘリが離陸[78]。12時20分、安倍は橿原市内の奈良県立医科大学附属病院高度救命救急センターへ搬送され[81][82][83]100 単位以上[注 8]にわたる輸血と、止血術蘇生的開胸術などの蘇生措置が行われた[85][86]

16時55分、一報を受けて東京都渋谷区富ヶ谷の安倍の私邸を出た昭恵奈良県立医大附属病院に到着[87][88]。医師が輸血を大量に行うなど蘇生措置を実施したことおよび容態を告げ、最終的に「蘇生は難しい」と昭恵が判断[89]。17時3分に死亡が確認された[90][91][89]

内閣総理大臣経験者の襲撃による死亡は、第二次世界大戦後では初めてで、戦前も含めれば1936年2月26日二・二六事件での高橋是清[注 9]斎藤実[注 10]以来7人目[92]日本国憲法下において他殺された現職国会議員は、浅沼稲次郎丹羽兵助11代目山村新治郎石井紘基に続いて5人目である。またG7首脳経験者では、イタリアの元首相アルド・モーロ1978年に殺害されて以来となった。内閣総理大臣経験者の60歳代での死去は池田勇人小渕恵三橋本龍太郎に次ぐ戦後4人目である。

奈良県警捜査1課により公表された安倍の検視結果によると、左肩に銃創1か所、右前頸部に楕円形の銃創2か所が確認されている[93][94]警察庁刑事局により公表された司法解剖の結果によると、死因は左上腕部射創による左右鎖骨下動脈損傷に基づく失血死である[95]警察庁は、銃弾が身体を貫かずに体内でとどまっている盲管銃創が確認されたと説明している[96]。当初、奈良県立医大附属病院は右前頸部に銃創2か所が確認され、首から心臓に向かう弾道であり、大血管心室に損傷を与えたことによる失血死と説明していた。左上腕部の銃創は、射出口の一つとみられるとしていたことから、首から心臓への弾道は不可解とされ、正面からの狙撃や倒れ込んだ際に誰かに銃撃された可能性がささやかれていた[94]

7月29日、体に2発受けたとみられる銃弾のうち1発が見つかっていないことが報じられた。司法解剖などで医師が調べた際にはすでに体内から見つかっておらず、蘇生措置などの際に体の外に出た可能性が考えられるという[94][97]。事件から5日後の13日に現場検証が行われ、この時点でも銃弾は見つかっていないが、奈良県警捜査本部は「遺体の状況や2発受けたとみられる銃弾のうち1発は確認できており、事実関係の立証に支障はない」としている[98][99]警察庁も「銃弾については丸薬のような形状であり、貫通していないが、体内には残っていなかった」と説明している[94][96]

政府の対応 

本事件を受け、政府は8日11時45分[100]首相官邸危機管理センター官邸対策室を設置した[101]。また、警察庁警備局長の櫻澤健一をトップとする対策本部を設置した[102]

12時50分頃[100]内閣官房長官松野博一首相官邸で記者団の取材に応じ、安倍の容体は不明とした上で、参院選に伴う各地での応援演説が予定されていた内閣総理大臣岸田文雄が、緊急で官邸に戻ることを明らかにした[103]。また、「応援演説などで各地にいる閣僚については、直ちに東京に戻るよう指示を出した」と述べた[103]

岸田は、正午頃に山形県寒河江市にある道の駅寒河江にて応援演説を行う予定であり、演説前に「ただいま安倍元総理が負傷されるという不確定ですが情報が入りました」とのアナウンスが入った後に岸田が約13分間の演説を行った。演説後、自民党選挙対策委員長遠藤利明が岸田へ「総裁、急用ができましたのですぐ解散いたします。ご了解いただきたいと思います」と伝えた後、支援者と触れ合うことなく車に乗り込み、同県東根市陸上自衛隊神町駐屯地へと向かった[104]。その後航空自衛隊松島基地羽田空港を経由し陸上自衛隊ヘリコプターで午後2時29分に首相官邸へと戻った[105]首相官邸へ戻ると共に、G20会合のためインドネシアを訪問中だった外務大臣林芳正を除く全閣僚に対して速やかに選挙応援を中止し帰京するよう改めて指示を出した[106][107]。14時46分、岸田は記者団の取材に応じ、犯行を「卑劣な蛮行」と非難した上で、「今(容体が)深刻な状況にあると聞いている。今現在、懸命の救急措置が行われている。まずは安倍元首相が何とか一命を取り留めていただくよう、心から祈りたい」と声を震わせながら語った[108]

16時30分、緊急の関係閣僚会議が行われた[100]が、組織的犯行ではないとの一報が奈良県警を通じて警察庁国家公安委員会を経由し、首相官邸に報告されたことから、国家安全保障会議NSC)を緊急に招集することはなかった[109][110]国家公安委員長二之湯智は会議後、記者団に対し「首相から閣僚らへの警護・警備を一層、強化し、選挙を公平に実施できるように要請があった」と述べた[111]。また、二之湯から、警察庁に警護および警備の強化を指示したことを明らかにした[111]総務大臣金子恭之は「このような蛮行があっても、しっかり選挙を行う体制を整える」と述べ、総務省の選挙担当部署に対策強化の指示を出す考えを示した[112]

18時55分[100]、岸田が記者会見し、「偉大な政治家をこうした形で失い、残念でならない」などと述べ、安倍の死去を伝えた[113]

11日にはこれまでの功績を受ける形で、死去した8日付をもって、安倍を従一位に叙するとともに大勲位菊花大綬章及び大勲位菊花章頸飾を追贈することを持ち回り閣議に於いて決定した。戦後の首相経験者で最高位の勲章である大勲位菊花章頸飾が授与されるのは中曽根康弘2019年11月死去)以来4人目[注 11][114][115][116]

遺体搬送・弔問 

8日午後、衆議院第一議員会館にある安倍事務所には、経済産業大臣萩生田光一が入り、安倍事務所の秘書らと情報収集に当たったほか、安倍内閣内閣官房参与などを務めた元参議院議員荒井広幸首相補佐官などを務めた内閣官房参与今井尚哉らも入った[117]。また、奈良県立医大附属病院には安倍派会長代理の塩谷立、同事務総長の西村康稔安倍内閣首相秘書官内閣情報官国家安全保障局長を務めた北村滋、前内閣総理大臣菅義偉らが入った[118][119]。のちに北村は内閣官房参与の今井から事件の一報を受けて、同病院に急行したと明かしている[119]。また、菅も参院選の応援演説のため沖縄県に向かう予定であったが、事件の一報を受けて演説の予定がなくなったため、同病院に急行したと明かしている[120]。その後、同病院に内閣官房長官の松野が入った[121]

安倍の遺体は司法解剖に付された後、妻の昭恵とともに翌9日5時55分、奈良県立医大附属病院を出発した[122]。遺体を乗せた車の前後に5台の関係車両がつき、そのうち1台には元防衛大臣稲田朋美の姿もあった。同日13時35分、東京都内の私邸に無言の帰宅を果たした。到着時には自民党政務調査会長高市早苗自民党総務会長福田達夫[123]、前国家安全保障局長の北村、警視総監大石吉彦外務審議官鈴木浩[117]、親交が深かったフジサンケイグループ会長の日枝久らが出迎え、その後、選挙応援の合間を縫う形で岸田のほか、元内閣総理大臣森喜朗小泉純一郎衆議院議長細田博之参議院議長山東昭子、元自民党幹事長二階俊博、側近で経済産業大臣の萩生田、国土交通大臣斉藤鉄夫公明党所属)、東京都知事小池百合子らが弔問に訪れた[124]

10日は、自民党幹事長茂木敏充や、元衆議院議員亀井静香楽天グループ会長兼社長の三木谷浩史らが安倍の私邸を弔問した[125][126]。また、駐日アメリカ大使ラーム・エマニュエルは家族や大使館関係者を連れて、弔問に訪れた[127]

15日は、奈良県警察本部長の鬼塚友章や捜査1課長らが事件現場を訪れ、銃撃地点からおよそ90メートル離れた立体駐車場の壁に見つかった銃弾の痕跡を確認し、献花台で手を合わせた[128]

事件現場では、連日献花に訪れる参列者で長蛇の列を成した[129][130]。また、11日から15日にかけて、自民党本部でも追悼の献花と記帳を受け付けることとなり、自民党幹事長の茂木は19日の記者会見で、5日間で約18,000人が訪れたと述べた[131][132]。さらに、同記者会見で茂木は、自民党本部にて、100を超える国や地域の要人の献花や記帳があったとしている[132]

  • 現場近くに設けられた献花台(2022年7月11日)
    現場近くに設けられた献花台(2022年7月11日)

通夜・葬儀 

安倍の葬儀が行われた増上寺の三解脱門
増上寺からの出棺を待つ人々(2022年7月12日)

11日、通夜が東京都港区増上寺において関係者のみで執り行われた。喪主は妻の昭恵[133]天皇皇后香典にあたる祭粢料、御供物の品と1対を賜い、名代として侍従焼香した[134]。また、岸田や前内閣総理大臣の菅、自民党副総裁麻生太郎、駐日アメリカ大使のエマニュエル、アメリカ財務長官ジャネット・イエレン日本銀行総裁の黒田東彦立憲民主党代表の泉健太国民民主党代表の玉木雄一郎フジサンケイグループ代表の日枝、楽天グループ会長兼社長の三木谷、トヨタ自動車社長の豊田章男セガサミーホールディングス会長の里見治ら、国会議員や各国大使、ゆかりのある経済人や文化人約2,500人が焼香に訪れた[135]

12日葬儀・告別式が行われ、この日までに159の国、機関から約1,700件の弔意のメッセージが届けられた[136]。葬儀では自民党副総裁で、安倍内閣では副総理財務大臣外務大臣などを務めた元内閣総理大臣の麻生が「友人代表」として弔辞を述べた[137][注 12]。葬儀後に安倍のを載せた霊柩車自民党本部、議員会館首相官邸国会議事堂を回り、岸田や自民党幹部をはじめとする国会議員、官邸職員など関係者のほか、沿道で多数の一般市民が見送り、桐ヶ谷斎場に到着し荼毘に付された[136][139]

後日、東京都内と出身地の山口県内でお別れの会が実施される予定であり[135]山口県知事の村岡嗣政が県や県議会、市長会などが主催する形で「県民葬」を実施する意向であることを明らかにしている[140]

国葬の実施決定 

安倍が死去して以降、各国から弔問を希望する連絡が外務省へ相次ぎ、さらに自民党内や保守層から弔問希望を求める声が高まったことから[141]、政府は14日、2022年秋に安倍の国葬を行う方針を固め[142]、当日の岸田の記者会見にて発表した[143]。岸田は記者会見に於いて安倍について「卓越したリーダーシップと実行力で首相の重責を担った」と説明した。また、国葬を以て安倍を遇する理由として、東日本大震災からの復興、経済再生、日米関係を基軸とした外交の3点を挙げ、「大きな実績を様々な分野で残した」と述べた。安倍は各国首脳ら国際社会から「極めて高い評価を受けている」とし、国葬を執り行うことにより「日本は暴力に屈せず民主主義を断固として守り抜くという決意を示す」とした[144]22日、政府は、国葬日本武道館で同年9月27日に行うことを決定した[145]。葬儀委員長は岸田、友人代表は前内閣総理大臣の菅が務めた。

内閣総理大臣経験者の国葬が行われるのは、1967年に死去した吉田茂以来となり、戦後2人目となる[注 13][146][144]

現場となった大和西大寺駅北口では、整備計画を一部修正して慰霊碑を設置する案もあったが、交通安全上の理由などから慰霊碑設置に慎重な意見が多いことから、奈良市仲川げん市長は、慰霊碑を設置せず車道として整備し、近くに花壇を設ける方針であると10月4日に発表している[147]

 

検証 

大和西大寺駅北口周辺は道路改良工事が頻繁に行われており[1]、事件当日はバス・タクシーロータリーの工事中であった(2022年7月11日撮影)[注 1]

事件当日は奈良県警警備部参事官をトップとするチームが警護に当たった。弁士の演説は交差点中央のガードレールで囲まれたエリアで行われた。演説台のそばに配置された警察官は、警視庁警備部警護課SP1人を含む4人。「演説会場の選択」「当日の警察官の対応」の2つの側面で、それぞれに問題点があったことが指摘されている。

(1)演説会場の選択
  • 近鉄大和西大寺駅北口のガードレールで囲まれた台形のゼブラゾーンは360度を見渡せる場所で、背後には県道104号谷田奈良線が通っていた。参院選公示後の2022年6月25日、自民党幹事長茂木敏充はここで応援演説していた[30][37]警察庁は事件検証の中間報告で、6月25日の警護警備計画が「安易に踏襲」されたと述べた[50]
  • 立憲民主党代表の泉健太が2022年4月に同じ場所で演説したいと申し出たとき、県警は「車や人通りが多く、後方の警備が難しい。泉代表の真後ろに警護員を立たせてほしい」「防弾マットや鉄板などで、選挙カーの手すり部分より下を覆うことはできないか」「銃撃され、地面に伏せた際、身を守れるような装備を準備してほしい」など細かく提案した[148]。このため、泉は少し離れた場所で演説を行わざるを得なかった[45]日本維新の会は公示後、ゼブラゾーンから北約150メートルの路上で街頭演説を複数回行った。緊急時に使える車も用意された。公明党は、「選挙カーを近くに置けない」という理由で、南口で演説会を行った。日本共産党は、公示前の6月11日に党副委員長の市田忠義が同じ場所で演説したが、市の許可を得てガードレールを一部動かし、エリア内に選挙カーを入れて車上で行った。佐藤の陣営関係者は7月8日に関し、「警察から安全上の問題があるとは指摘されなかった」と取材に答えている[23]
  • 2022年7月22日、共同通信は「現場周辺の道路環境が今春の市の駅前整備工事で変わり、要人警護面での襲撃リスクが増していた」と報道。車両や歩行者を360度警戒する必要性が生じていたと強調した。野党関係者は「あんなところで演説をさせたのが間違いだった」と述べた[149]
  • 2022年の参院選で、安倍は20都道府県で47回、応援演説に立った。そのほとんどが(A)選挙カーの上、(B)屋内会場、(C)後方に壁や車両がある場所、のいずれかで行われた[18][150]。例外は事件のあった大和西大寺駅北口と、山口県長門市の漁港(6月25日)の2か所のみであった。長門市の漁港での応援演説は後方に人の往来はなく、安倍の後ろに立って周囲を警戒する警護員がいたことから、日本経済新聞は「全47回の演説のうち、屋外の市街地で選挙カーを使わず、かつ背後の警備が手薄だったのは今回だけ。『たった1回』の警備態勢の明らかな不備を、安倍氏をつけ回していた容疑者に狙われた」と調査記事の中でまとめた[18]
特徴 回数 都道府県
選挙カーの上 24回 東京都(4)、大分県(3)、大阪府(2)、新潟県(2)、千葉県(2)、兵庫県(2)、石川県(2)、
埼玉県(1)、福岡県(1)、愛知県(1)、三重県(1)、北海道(1)、宮城県(1)、神奈川県(1)
屋内会場 12回 東京都(3)、兵庫県(2)、三重県(2)、山口県(1)、福井県(1)、大分県(1)、北海道(1)、岡山県(1)
後方に壁や車両がある 9回 福島県(3)、奈良県(2)、愛媛県(2)、宮城県(1)、神奈川県(1)
その他 2回 奈良県奈良市(1)、山口県長門市(1)
(2)当日の警察官の対応
  • 安倍の背後は、事実上「がら空き」の状態になっていた。ロナルド・レーガン米大統領(当時)などの国賓警備警護、サミット警備などに従事した元警視庁警備部特殊部隊員(SAT)伊藤鋼一は「背後を警備していないのはあり得ない」「現場に警備本部が見当たらないが、安倍元首相は警察庁指定の警護対象者で、本来ならそんなことはあり得ない」「背広姿の警護員しかおらず、制服警察官の姿が見えなかったことにも非常な違和感を覚えた」「安倍元首相のほうに覆いかぶさっている警護官がいないというのは、非常に訓練不足と感じる。全体的に動きも鈍い」「公安刑事が配置されていれば、必ず男をマークした。ましてや、車道に出て警護対象者に近づきはじめた時点で、本来であれば制圧排除すべきだった」などと指摘[59][151]
  • 男が車道に進み出て、安倍の約7メートル後ろで立ち止まり、最初の発砲をするまでに「9.1秒」の時間があった[72]。その9.1秒の間、警察官らが男の動きに気づかなかったことが問題視された。TBSは「悲劇を防げた『空白の5秒間[注 14]』」と報じた[59]。元警視総監米村敏朗は「ほかの人とは明らかに異なる動きをしながら歩いて向かってくる時点で不審者と見込まれるため、警察官がすぐに制止する必要があった」と指摘した[152]
  • 警察庁が各都道府県警察本部の警護担当者に「身辺警護員の警護体系の基本」として指導している「五人体形」が事件当日は徹底されていなかった。事件後、現役警護員は安倍の首相秘書官を務めた一人に対し、「マニュアルの『警護体系の基本』で指示されているのは、『警護対象者』の右手前方に『五番員』とよぶ『身辺警護員』1名、真横の左右に『二番員』と『三番員』の2名、後方の左手と右手に『身辺警護の長』である『四番員』と『一番員』の2名を配置すること。それで左右前後の防衛力が効果的に発揮される」と明かした[153]
  • 演説台のそばに配置された4人の警察官のうち、3人はガードレールの内側におり、1人はガードレールの南東の外側で後方を警戒していた[50]。ガードレール内にいた警察官は、安倍が演説を始める直前、後方の警戒を担当していた警察官に、ガードレールの中に入って前方の警戒を主に行うよう指示。当該警察官は指示どおりにガードレールの内側に入った。他の場所にいた統括役の警察官には、この変更は無線で伝えられなかった。そして後方だけを警戒する警察官がいなくなった[55][50]
  • ガードレールの内側に入った後方担当の警官は、前方を見るとともに、道路を通り過ぎる自転車などを注視していた[154]。11時30分43秒頃、自転車に乗った男性が車道を東進し、ゼブラゾーンに到着。同52秒頃、台車を押す男性が車道を東進し、ゼブラゾーンに到達。警官はこの男性2人の姿に気を取られ、目で追っていた。その隙をぬって男は車道を渡り、11時31分6秒頃、安倍に向けて1発目を発射した[1][57][58]
  • 現場には制服警察官は配置されなかった。警察庁は、仮に交通整理などで制服警察官が投入されていれば、男の接近の阻止や犯行の抑止につながった可能性があると述べた[52]
  • 最初の発砲から2発目までの「2.7秒」の間に[1]、身をていして安倍の被弾を防ぐ警察官の姿が確認できない[155]。外国の日本大使館での警護を担当した元警視庁の警察官は「警護の対象人物に覆いかぶさるか、タックルで寝転がして、標的を小さくする対処方法は要人警護の基本であるが、この基本が守られていない」「安倍元首相を寝転がしていれば、被弾したとしても、致命傷にはならなかったと思う」とコメントした[156]。警視庁のSP関係者は「警視庁は年に数回、公開訓練を行うが、基本中の基本である『大きな音がしたときに警護対象者に近づき、対象者の楯になるようガードする』訓練の模様は、動画でも公開されている」「都道府県警で要人警護を担当する警察官は、警視庁警護課で1年研修することになっており、基本を学んでいないとは考えにくい。なぜ今回のような事態になったのか理解できない」とコメントした[157]中東南西アジア外交官らの警護を担当したアメリカ人の警備コンサルタントは銃撃の映像を見て「(2発目までの)反応が少し遅いように見える」とコメントした[158]
  • ガードレール内にいた4人の警察官はいずれも、1発目の発砲音について「花火やタイヤの破裂音だと思った」と証言し、銃声と認識することができなかった。複数のメディアから分析の依頼を受けた銃器研究者は音を可視化したグラフなども用いて、「手製銃の方を目視していない状況では、この音を聞いても銃声とは思わないと思う」と述べた[148]

当局幹部の対応・発言 

鬼塚友章奈良県警察本部長から事件当時の警護警備の状況等の説明を受ける二之湯智国家公安委員会委員長(2022年7月17日)

7月9日夕方、奈良県警察本部長の鬼塚友章は会見し「警護、警備に問題があったことは否定できない。本部長として痛恨の極みで、27年余の警察官人生で最大の悔恨だ」と謝罪した。安倍の警護計画書については自らが事件当日に承認したと説明し、「警護の態勢か配置状況なのか、個々の警護員の能力なのか、さまざまな問題点を早急に確認し、対策の見直しをはかっていく必要がある」と述べ、警察庁と連携して検証する考えを明らかにした[27]

同月11日、内閣官房長官松野博一は「重大な結果を招いたことについて政府として大変重く受け止めている」との見方を示し、「警察庁からは、地元の警察の現場での対応のみならず、全国の警察を指導する立場にある警察庁の関与のあり方も含め、今回の警護、警備に問題があったとの報告を受けている」と述べた[159]

同月12日、警察庁長官中村格は会見で「警察としての責任を果たせなかったことを極めて重く受け止めている」とした上で、「警察庁の関与のあり方にも問題があった。長官として慚愧(ざんき)に堪えない。責任は誠に重いと考えている」と述べ、警護体制の責任を認める発言をした[160]

同日、国家公安委員会委員長二之湯智は会見で「警護警備に責任を有する警察を主管する大臣として非常に重く受け止めている」とした上で、警護警備に関する検証・見直しのための委員会を立ち上げるように指示したことを明らかにした[161]。二之湯の指示を受けて、警察庁は同日、警察庁次長露木康浩をトップとする警護警備に関する検証・見直しチームを立ち上げ、奈良県警や警視庁警護課の関係者から聞き取り調査を行い、現場の警護警備の体制や配置のほか、都道府県警察の警護計画などに対する警察庁の関与の在り方についても問題点の洗い出しを進め、8月中に警備上支障のない範囲で検証結果を公表するとした[162]

同月14日、内閣総理大臣岸田文雄は会見で、本事件について「率直に言って、警備体制に問題があったと考えている」と述べ、警察当局に対し、「世界各国の要人警護の在り方などとも照らしながら、全面的に点検し、正すべきことは早急に正してもらいたい」と求めた[163]。同日、警察庁の警護警備検証チームを奈良県警に派遣し、現地入りした警備局警備企画課長らが奈良県警本部長の鬼塚をはじめ、警護計画の策定に係わった警察官や現場で警護に当たった警察官から当時の状況について聞き取り調査を行った。聴取では、背後の警戒を含めた具体的な配置、役割分担、認識など実際の現場状況について確認したほか、聴取内容と事件当日に聴衆が撮影した映像や防犯カメラを照らし合わせるなど事実関係の把握を進めた[164]

同月18日、警護・警備に関する警察庁の検証チーム長を務める露木が事件現場を確認し、「360度開かれ、警護上は難しい現場だが、我々は与えられた条件で警護するのが仕事だ。そういったことを踏まえ、今後の警護のあり方も考えていきたい」と述べた[165]

事件発生から49日後の8月25日警察庁の検証チームが本事件について警護計画の不十分な対応や現場の警護員間の意思疎通の不徹底など複合的要因があったとする検証結果を取りまとめた[166]。これを受けて警察庁長官の中村が辞意を表明した[167]。中村と櫻澤健一警備局長の辞任は翌26日閣議で了承された[168]警察庁長官が個別の事件で引責辞任することは極めて異例のことで、過去にほぼ例がなく、銃撃によって首相経験者が死亡するという重大な結果を重く見たものとみられる[169][170]。また奈良県警は本部長の鬼塚に減給3か月、警備部長に減給1か月、警備部参事官と現場指揮官だった本部警備課長を減給1か月、ほかの2人を戒告としたほか、管轄の奈良西署長と同署警備課長ら3人を本部長訓戒、本部長注意の懲戒処分を課すと発表したが[171]、同日、鬼塚並びに警備部長、警備部参事官も辞意を表明[171]

本事件の検証結果を踏まえて、警察庁では『警護要則』の改正に踏み切り、これまで「都道府県任せ」(同庁幹部)だった要人警護を主導に転換することとした[172][173]。具体的には警察庁が「警護対象者・場所・聴衆の規模」などの情報について収集・分析を行い、「警護計画の基準」に従って各都道府県警が警護計画を作成し、警察庁が事前審査を行うことで国の関与を強化する[174][173]ドローン3D技術、AIによる異常行動検知システム、警護対象者の周囲に設置する防弾や防弾衝立、防弾ブランケット、防弾シェルターなど銃撃から警護対象者を守るための装備資機材を新たに導入するほか、交通規制のための制服警察官の配置、警察庁主導で銃器や突発事案に対処する高度な訓練や、アメリカイギリスドイツフランスの警護機関での研修を充実させることで、海外の知識や装備を取り入れて警護の高度化を図る方針を固めた[1][174]。また、特定のテロ組織に属さない個人がインターネット上で銃器や爆発物の製造に関する情報を容易に入手できたという問題点を踏まえて、警察庁では本事件のようなローンウルフ型テロを「新たな脅威」と位置づけ、銃器対策やネット上の情報収集を強化する方針も固めた[172][175]

 

捜査 

実行犯 

実行犯の男は事件当時41歳で、奈良市集合住宅に住んでいた[176]

男は1980年昭和55年)9月10日[177]京都大学工学部出身の父と地元の公立大を卒業した母との間に三重県で生まれ、母親の実家は建設会社を営む裕福な家庭だった[178][179]。男には兄と妹がいた[180]。男が4歳だった1984年(昭和59年)12月[178]に、建設会社の役員を務めていた男の父は当時住んでいた東大阪市でマンションから飛び降り自殺し、その後一家は母親の実家がある奈良市内へ転居した[177][181][182][183]1985年(昭和60年)には母親がその建設会社の取締役に就任している[184]。男の同級生によれば小中学校時代の成績は優秀で、奈良県内有数の進学校である県立高校に進学した[180]。中学時代はバスケットボール部の主力メンバーで、高校では応援部に所属していた[185]

男の伯父によれば、男の父の自殺と同時期に男の兄が小児がんを患っており[186]、こうしたことが起因し[186]、男の母親は世界基督教統一神霊協会(旧・統一教会、現・世界平和統一家庭連合〈略称「家庭連合」〉。以下、旧統一教会)に入信した[187][6][2][5]。伯父によれば母親は弟を交通事故で亡くしており、1982年(昭和57年)頃に母親の実母が亡くなったことにもショックを受けていたという[188]。入信時期は、男の伯父が男の母親から聞いた話として、1991年平成3年)だとしている[189][183]。一方、旧統一教会側の発表によれば、1998年(平成10年)頃に正会員となったとされる[190][注 15]。食い違いの理由として、旧統一教会スポーツニッポンの取材に対し、「入会の記録は、入会願書が受理されたタイミング。基本的には、ご紹介者を契機とした関係の構築や企画への参加というプロセスがあるため、入会以前に関わりがあった可能性はある」としている[189]。また、男の父親が自殺した1984年から2020年令和2年)頃までは、伯父が男の家族の支援をしていた[186]。1998年10月に母親は奈良市内2か所にある宅地を母方の祖父[183]から相続するが[72]、それらの土地と男ら3人の子供と一緒に住んでいた住宅を1999年(平成11年)6月までに売却。統一教会に対し土地などの売却で得た資金や、夫(男の父親)の生命保険金5,000万円など合わせて約1億円を献金した[194][195]。男の伯父によると、男の母親は1991年の統一教会入会直後に2,000万円、その数日後に3,000万円の献金を行い、1994年(平成6年)頃に1,000万円、1998年以降に4,000万円を献金し、徐々に家計を圧迫したが、旧統一教会側は母親の献金の金額や時期について「確認できていない」としている[196][189][注 16]。男と旧統一教会との交流は、男が高校生の頃から始まった。1998年、母親が通う旧統一教会セミナーを受けた[197]。男の母親が通う奈良市内の旧統一教会教会長を務めていた男性によると、男は母親が信仰する旧統一教会とはどのようなものなのかを確かめるために参加したように映ったとしている[197]。 1999年3月、男は県立高校を卒業[198]2002年(平成14年)8月、1億円の献金が原因で母親は自己破産した[194][199]

男は大学に進学せず[200]、2002年8月に任期制自衛官として海上自衛隊佐世保教育隊に入隊。4か月後、呉基地に移り、護衛艦まつゆき」で艦載兵器を取り扱う砲雷科に配属される[201]江田島市第1術科学校の総務課に移り[179]2005年平成17年)に任期満了で退職した[176][202][203]。男の伯父によると、男は海上自衛隊に所属していた2005年に自殺未遂を起こした[204]。生命保険の受取人を母親から自身に変えた上で[197]、旧統一教会への献金によって生活が困窮した兄と妹に、自身の死亡保険金を渡すことが目的だったとしている[204]奈良市内の旧統一教会教会長(当時)は、広島で入院していた男を訪ね、「何でこのようなことしたのか」と尋ねると、「少しでも妹の生活の足しになるかと思って」と述べたという[197]。この頃、男の一家の窮状を知った教会長を窓口に、男の親族側と旧統一教会側との献金の返金協議が開始され、男もこの協議に参加していたとされる[197]。その後、旧統一教会側は2005年から2014年平成26年)にかけて、計5,000万円を返金したとしているが[196]、親族によればその5,000万円も母親が再び献金したと説明した[205]。返金は月に30万から40万円ほど、現金による手渡しで行われたとされる[197]

2005年頃、男は一人暮らしを始め、アルバイト派遣社員で生計を立てるようになったが、人間関係がうまくいかず、職を転々とした[197]自衛官退官後から事件までの17年間の勤務先は10社以上で、人間関係で嫌気がさすと次の仕事が決まっていないのに辞める、ということを繰り返しており、無職期間は少なくとも通算約7年に及んだ[206]。退官後最初にした仕事は2006年(平成18年)12月に始めた測量会社のアルバイトであったが、翌年6月に退職[206]。その後の2年半は無職で、この間に測量士補の資格を取得し、宅地建物取引士ファイナンシャルプランナーの資格も取った[198][206]2009年(平成21年)には母親が1998年に親族から経営を引き継いだ[207]建設会社が解散した[208]。男は事件までの10年ほどは職場を移りつつ、派遣社員としてフォークリフトを使った仕事に従事していた[198]。闘病していた男の兄は2015年平成27年)に自殺した[181][209][197]。2020年10月には大阪府内の人材派遣会社に登録し[198]、同月から京都府内の工場に派遣社員として勤務した[180]。この工場では当初は仕事を的確にこなし、評価も高かったが、2021年(令和3年)春頃からは職場の先輩や社外のトラックドライバーと口論するなどのトラブルも起こしていたが[210]、職場の社長によると「誰彼かまわずかみつくタイプ」ではないとし、「フォークリフト操縦は衝突や破損事故が頻繁に起きるが、仕事を完璧にこなそうとするタイプの彼については事故報告が1件もなかった。そのため、同僚から意見されるとおまえに言われたくないと反発する。進学校を出ている彼の中には自分はこんなところで働く人間ではないといういら立ちが強くあったのでは」と語っている[211]

統一教会への恨み 

男は事件後の取り調べで「母親が旧統一教会に入会し、多額のお金を振り込んだ影響で破産したことがそもそもの元凶」「家庭生活がめちゃくちゃになり、(同団体を)絶対成敗しないといけないと思った」と供述した[212]。母親は2009年頃に教会と距離を置き始め、活動を離脱していたが、2019年平成31年・令和元年)に教会員と再び連絡を取り始め、2022年初めごろからは月1回ほど教会のイベントに参加していた[209]。男は事件直後の供述で、「最近も母親と電話で連絡を取っていた」と述べており、母親の宗教活動再開を把握していたとみられる[209]

2019年(令和元年)10月5日、旧統一教会創設者の文鮮明の妻で、総裁の韓鶴子韓国在住)が来日。同日に名古屋市内で開かれた「ジャパンサミット&リーダーシップカンファレンス」に出席するためと、翌6日常滑市愛知県国際展示場で開催された「孝情文化祝福フェスティバル 名古屋4万名大会」にメインスピーカーとして参加するためであった[213][214]。男は6日、火炎瓶を持って愛知県国際展示場に向かうが、「教会のメンバーしか会場内に入れなかったので、行くだけで何もできなかった」という[注 17]。その後、新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、韓が来日する機会は閉ざされ、男も韓国への渡航を諦めた。男は「元凶は韓総裁かと思ったが、韓総裁を日本に連れてきた岸信介元首相の孫ということで、安倍元首相も一緒と思った」と供述[220][212]。また、「安倍氏統一教会を日本で広めたと思っていた」と説明していた[221]

2021年3月頃、自宅とは別に、家賃約2万円のアパートを借りた。男は「火薬を乾かすために借りた」と供述している。経済的な理由から9月頃に解約[222][223]

同年9月12日、旧統一教会系の天宙平和連合(UPF)が韓国の会場とオンラインで開いた集会「希望前進大会」に、安倍は「今日に至るまでUPFとともに世界各地の紛争の解決、とりわけ朝鮮半島の平和的統一に向けて努力されてきた韓鶴子総裁をはじめ、皆さまに敬意を表します」「UPFの平和ビジョンにおいても、家庭の価値を強調する点を高く評価いたします」とのビデオメッセージを送った[注 18][6][225][199][225]。集会の様子はインターネット上で視聴可能な状態におかれ、憂慮した全国霊感商法対策弁護士連絡会は集会から5日後の2021年9月17日、安倍に宛てた公開抗議文を発表した[注 19]

男は「動画を見て、安倍氏と団体につながりがあると思い、絶対に殺さなければいけないと確信した」と供述しており、読売新聞は、男は2021年秋頃に安倍の殺害を決意したと報じた[231]。一方、毎日新聞朝日新聞は、男が動画を見た時期を「2022年3月〜4月」「2022年春」と報じ[232]毎日新聞は男が動画を見た、2022年春頃に安倍の殺害を強く決意したと報じた[221]

アパートを9月に解約した後、男はもう一度火薬を乾かすことを目途として、2021年11月から2022年2月頃にかけて、奈良県内でシャッター付きのガレージを借りた。乗用車が1台止められるほどの広さで、契約額は月額15,000円だった[233]。2021年春から作り始めた銃が2022年春頃に完成する[234]

2022年4月半ば頃、男は「体調が悪い」と言って職場(前述の派遣先の京都府内の工場)に来なくなり、5月15日依願退職[180][235]。その後派遣先の大阪府内の会社で働いていたが、6月上旬に退職し、それ以降は事件まで無職だった[206]。事件当時は消費者金融からの借入金など、少なくとも数十万円の負債を抱えていた[206]

6月22日参院選が公示。6月28日、安倍は奈良県入りし、近鉄大和西大寺駅南口と、近鉄生駒駅前の2か所で演説を行った[27][28]。男は自民党ウェブサイトによって安倍の遊説スケジュールを把握していたが、「このときはやるつもりはなかった」という趣旨の供述をしている[236]

殺害の実行を決意 

同年7月3日から自身のスマートフォンで、安倍の遊説日程を複数回閲覧。安倍の7月7日のスケジュールを見て[237][220]、このとき男は初めて安倍の殺害を実行に移すことを決意した[221]。7日は(1)15時30分、西宮市、末松信介の街頭演説会→(2)16時45分、神戸市、末松信介の街頭演説会→(3)19時、岡山市小野田紀美の個人演説会、の順番で3会場[18][238][239]を回ることが記されていた。7月6日、男はJR奈良駅の券売機で岡山駅行き新幹線の片道切符を購入した[237][240]。前職の退職により、「金がなくなり、7月中には死ぬことになると思った」「その前に安倍氏を襲うと決めた」と供述している[241]

事件前日にあたる7月7日午前4時頃、男は奈良市三条大路の旧統一教会の建物に対して自作の銃の試し撃ちを行った(後の捜査で壁面などに痕跡のような穴が6箇所確認され、弾丸のような金属片も発見された)[242][243]。のちに近所の住人が、3時半から4時頃までの間に大きな破裂音を聞いたと証言している[244]。同日、男は3発発射できる銃を持参して新幹線に乗った。JR岡山駅から会場の岡山市民会館に向かう途中、コンビニエンスストアに入り、店内の郵便ポストジャーナリスト米本和広宛ての手紙(後述)を投函した[237]。19時、小野田の個人演説会が開幕[245]。安倍は冒頭の10分間、応援演説を行った[246]。男は「手荷物検査などがあって近づけなかった」と供述している[247][248]自民党はこの日の午後、8日の安倍の遊説先を長野から奈良に急遽変更した[34][19]。男は諦めかけていたが、自宅へ帰る途中、翌日に安倍が奈良に来るとの情報を自民党のウェブサイトで知った[220][249]

事件当日 

7月8日10時前、男はグレーの半袖ポロシャツに作業ズボン姿で[250][56]、ショルダーバッグをかけて自宅最寄りの近鉄新大宮駅から近鉄奈良線に乗車。隣駅の大和西大寺駅にて下車し、近くの商業施設に立ち寄るなど現場付近を下見した[251][56]。11時31分頃、男は犯行におよび[56]、11時32分に殺人未遂罪の現行犯で逮捕された[73]奈良西警察署に移送され、取り調べが行われた[252]

押収された自作銃は岡山に持参した銃とは別のものであった。長さ約40センチメートル、高さ約20センチメートルで、金属製の筒を2本束ね、木製の板やテープで固定されていた。それぞれの筒に6個の弾丸が込められたカプセルが入っており、スイッチを入れることでバッテリーから流れてくる電気で火薬に着火させ、一度の発射で1本の筒から6個の弾丸が飛び出る火縄銃のような仕組みになっていた[253][254][255]。本事件では計12個の弾丸が発射され、そのうち少なくとも2個が安倍に命中したとみられる[256]

同日17時15分ごろから深夜にかけて、男の自宅マンションの家宅捜索が行われた。自宅からは作りかけも含めた7丁の手製の[257]爆発物[258][243]が発見され、近隣住民には一時、避難が呼びかけられた[258]。その後の報道によると、押収されたパソコンには武器製造に関するウェブサイトの閲覧履歴が残っていた[259]。男は「硝酸アンモニウムや硫黄、木炭などを混ぜて黒色火薬を作ったほか、花火から火薬を取り出した」「火薬をつくる方法はネットで調べた」と供述している[260]。事件当時、男の銀行口座の残額は20万円ほどで、カードローンなどの借入金が数十万円あった[261]

事件以後の動き 

7月9日文藝春秋の情報サイト「文春オンライン」は、「容疑者は母の宗教団体の分派の団体に所属していたようだが、母が所属する団体を恨んで対立が生まれたようだ」という捜査関係者の証言を記事に掲載した[187]。旧統一教会の分派である世界平和統一聖殿の日本支部「日本サンクチュアリ協会」はこの記事にすぐに反応し、「日本サンクチュアリ協会と容疑者は接点も関係も一切ない」「マスコミやその他の推測記事や悪意ある印象操作によるものと断じ、撤回を求める」との声明を発表した[191]。文春オンラインが報じた捜査関係者の証言を裏付ける報道等はなされていない。

同日、フランスの『フィガロ』『レゼコー』などは、被疑者が供述している団体はいわゆる「統一教会」であると報道[2][3]。米国の『ワシントン・ポスト』は7月9日に配信した記事を10日に加筆修正し、被疑者と旧統一教会の関係を報じた[5]

世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の米国事務所は声明を発表。暴力を非難するとともに「銃は我々の宗教的信念や慣行と相容れないものである」と述べた[5]

7月10日午前、奈良県警は容疑を殺人に切り替え、男は奈良地方検察庁へと送検された[262]。同日、旧統一教会の東京事務所の代表は、男の母親が信者であることを認めた[5]。同日夜、参院選の開票が実施される。

7月11日14時、旧統一教会会長の田中富広は会見し、男は在籍していないものの、男の母親は旧統一教会の正会員であり、母親は月に1度程度は旧統一教会の行事に参加していたことを明らかにした[10]。安倍については、「友好団体が主催する行事にメッセージが送られてきたことがあり、『世界平和運動』に関しては賛意を示してくれた」としつつ、「会員や顧問になったことはない」「選挙協力も安倍元首相についてはない」と述べた[263]。また、「過去に献金トラブルもあったが、2009年からコンプライアンスを徹底した。今は献金の強要はしていない」と説明した。日本の大手マスコミは、一部の雑誌系メディアを除いて、「特定の宗教団体」と呼び続けていたが、田中富宏会長の会見直後に方針を変え、「世界平和統一家庭連合」あるいは「旧統一教会」と明示するようになった[264]

7月12日、旧統一教会の被害救済などに取り組んでいる、全国霊感商法対策弁護士連絡会は記者会見を開き、元信者への返金を命じる民事裁判の判決が近年も相次いでいるとして「(同団体による)献金の強要はないという説明はうそ」と述べた。また、同連絡会はあわせて政治家に対して、同団体への支持を表明するような行為を慎むよう求める声明を公表した[226][265]

7月17日、男が銃撃を示唆する手紙を松江市在住のジャーナリスト・米本和広に岡山市内から送っていたことが明らかとなった。男はかつて、米本のブログに旧統一教会を批判する書き込みをしていたとされる[266][267]。男は手紙の中で、統一教会創設者の文鮮明を「世界中の金と女は本来全て自分のものだと疑わず、その現実化に手段も結果も問わない自称現人神」と評し、「私はそのような人間、それを現実に神と崇める集団、それが存在する社会、それらを『人類の恥』だと書きましたが、今もそれは変わりません」と記載した。安倍については「苦々しくは思っていましたが、本来の敵ではないのです」「安倍の死がもたらす政治的意味、結果、最早それを考える余裕は私にはありません」という言葉が綴られていた[266][268][269]。この手紙には男が開設したとされるTwitterアカウント名が記されていた。詳細は後述する。

7月22日奈良地方検察庁奈良地方裁判所に鑑定留置を請求し、11月29日までの約4か月間の留置が認められた[270]

9月8日、当時付近に止められていた選挙カーを配置し、男が手製銃を撃ったとされる場所に銃の模型や靴を置いて犯行状況を再現し、捜査員がレーザー光線を当てて距離を測る専用機材を使って、男と安倍との位置関係を確認する捜査を行った[271][272]

同日、奈良県警が殺人容疑のほか、選挙の自由を妨害したとする公職選挙法違反容疑での刑事責任追及も視野に入れる方針と報じられた[273][274]。また、旧統一教会の関連施設が入るビルに手製銃で試射し、火薬を製造したとして、建造物損壊火薬類取締法違反、銃刀法違反容疑でも立件を検討していることが報じられた[275][274]。捜査関係者によると、事件で使用された手製銃や自宅から押収された手製銃に関しても銃刀法違反や武器等製造法違反容疑での立件も視野に科学捜査研究所などで押収した手製銃の構造や性能の鑑定を行い、発射実験などで発射能力や殺傷能力の裏付けを進めている[275][276]

Twitterアカウント 

奈良県警が押収した米本宛の手紙には、男が開設したとされるTwitterのアカウント名が記されていた。7月17日、朝日新聞と読売新聞は、男のTwitterのアカウントを特定したと報道し、投稿された文章を記事に掲載した[277][267]Twitterの初投稿は、常滑市愛知県国際展示場で開かれた「孝情文化祝福フェスティバル」(男が襲撃に失敗した集会とされる)[278]から7日後の2019年10月13日。投稿されたツイートは計1,363件[217]。旧統一教会への恨みが繰り返し語られる一方で、安倍への殺害を示唆するような書き込みはなかった。安倍政権の面々が「朝鮮民族主義の極右である統一教会」(同年10月14日のツイート)とつながりを持つのは所詮「金と票」(同)が目的で、「過去の経緯」(同)があるからだという認識を持ちながら[279]、政権を批判するツイートに対しては「安倍政権の功を認識できないのは致命的な歪み。永久泡沫野党宣言みたいなもの」と返信した。安倍政権や自民党を一定評価するものが多かった[267]

変化が訪れたのは2020年9月2日国際政治学者三浦瑠麗が同日、歴代最長政権を築いた安倍政権に関する論文を、産経新聞社のオピニオンサイト「iRONNA」に寄稿[280]。三浦の記事には、政治団体「美しい日本の憲法をつくる国民の会」が2015年11月10日日本武道館で開いた集会「今こそ憲法改正を! 1万人大会」[281]の写真が掲載され、「安倍晋三首相はビデオメッセージを通じ『国民的コンセンサスを得るに至るまで(議論を)深めたい』と訴えた」とのキャプションが付された[280]。男は、三浦が記事のリンクをはった投稿をリツイート(拡散)し、「内容に関係ないが、写真が統一教会の大会そのもの。どこまで入り込んでいるのか」と綴った[注 20]

7月17日朝の時点で0件だったTwitterのフォロワーは、18日20時時点で約45,000件に急増した[283]。それぞれの投稿に対し、多数のリツイートや「いいね」がなされ、拡散したが、19日未明から男のアカウントが凍結され、閲覧できなくなった。Twitter社は報道機関の取材に応じ、「憎悪や差別、新たな攻撃を引き起こしかねない投稿を禁じる」とする同社の規約に違反したと認める一方、「凍結にいたる詳細等についてはお答えできない」とコメントした[283]

その後、7月31日と翌8月1日にかけて、読売新聞や産経新聞は、上述のアカウント(便宜上、アカウントBとする)を開設した人物と同一人物が別のアカウント(便宜上、アカウントAとする)を開設していたと報じた。アカウントAはアカウントBが開設された、2019年10月よりも前に開設および凍結されていた[284][285]

凍結の理由として、Twitter社は「特定の標的に対し、殺害の意思を示す」ことなどを禁じる利用ルールに違反していたためとしているが、利用ルールに抵触した内容の詳細については明らかにしていない[284][285]

この詳細について、読売新聞と産経新聞は関係者から取材したとされる内容を以下のように報じているが、内容に食い違いが起きている。

  • 読売新聞(7月31日報道)[284]
    • アカウントAには、安倍の殺害を示唆する内容があった[注 21]
  • 産経新聞(8月1日報道)[285]
    • アカウントAには、旧統一教会幹部らの殺害を示唆する内容があった。一方、当時内閣総理大臣であった安倍の殺害を示唆する内容は確認できなかった。
 

影響 

政界 

参議院選 

事件当日は第26回参議院議員通常選挙の選挙期間中であり、各政党は街頭演説などの選挙活動を予定していたが[286]、事件を受けて自民党立憲民主党公明党日本維新の会国民民主党NHK党は同日中の選挙活動を見合わせた[286]。一方で、日本共産党委員長志位和夫は「暴力に対して民主主義が屈したという形になってはいけない」として選挙活動を続ける意向を示した[286]れいわ新選組社会民主党も選挙活動を続けた[287]

翌7月9日の選挙活動について、自民党総裁岸田文雄は、8日の記者会見で「民主主義の根幹である自由で公正な選挙は絶対守り抜かなければならない。暴力に屈してはならない」と述べ、予定通り行うこととし[288]、各党党首も同様の理由で予定通りの選挙活動を行った[289]NHK党党首の立花孝志秋葉原での選挙演説の冒頭で黙祷を呼び掛けた[290]。また、会場によっては金属探知機が用意されたり、手荷物検査が実施されたりする場所もあるなど、物々しい雰囲気となった[291]内閣総理大臣経験者の応援演説では、陣営スタッフは時事通信社の取材に対し、「スタッフの数はいつも通りだが、警察はいつもより多く感じる」と述べた[291]

総務省は10日に行われる投開票が安全に行えるよう、各地の選挙管理委員会に、警察などとの連絡体制の構築や確認を求めた[289]

10日、自民党本部の開票センターでは、候補者名が書かれたボードに当選のバラを付ける選挙における恒例行事の前に黙祷が捧げられた。また、バラは「を連想させる」との理由で赤色からピンク色に変更された[292]公明党は同バラを党マークに変更した[293]立憲民主党は従来のバラを使用せず、当選者の名札を貼り付ける形式をとった[294]。一部の当選議員も万歳三唱などを取り止めた[295][296]

日本テレビNNN)と読売新聞参議院選挙後の7月11日と12日に行った世論調査では本事件が選挙の結果に影響したと思うか調査した結果、「大いに影響した」または「多少は影響した」と回答した人が合計で86%に上ったことが12日に明らかとなった[297]。一方、神戸新聞社有権者を対象に、7月11日から13日にかけて行ったLINE上での意見調査では、実際に本事件で投票に行ったり、投票先を決めたりすることに影響があったかを質問した結果、「影響していない」または「どちらかといえば影響していない」と回答した人が合わせて8割を超えた[298][注 22]

政治家と旧統一教会との関係 

本事件の実行犯の男が、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)への積年の恨みが犯行の動機になったと報じられたことで、旧統一教会政治家との関係に注目が集まっている[299][300]。本事件後、複数の政治家に旧統一教会との接点があったことが明らかになった[301]弁護団とともに旧統一教会を調査しているジャーナリストの鈴木エイトは、旧統一教会と関係を持つ政治家は自民党を中心に多数いると指摘した[300]

8月13日共同通信は全国会議員712人にアンケート調査を行ったところ、期限内に583人が回答し、旧統一教会の関連団体のイベントに出席したり、選挙協力を受けたりした接点のある議員が106人に上ると明らかにした。加えて、その8割近くにあたる82人が自民党所属の議員であると報じた[302]

政府

本事件発生時の政権である第2次岸田内閣の閣僚は、7月22日文部科学大臣末松信介[303]26日防衛大臣岸信夫国家公安委員長二之湯智[304][305]8月2日経済産業大臣萩生田光一少子化担当大臣野田聖子[306]5日環境大臣山口壯経済安全保障担当大臣小林鷹之が旧統一教会との接点があることを認めた[307]。また、経済再生担当大臣山際大志郎も関連団体への接点があることが明らかになった[308]

役職 氏名 内容・説明 脚注
7月22日 文部科学大臣 末松信介 2020・2021年、旧統一教会の関係者が末松の政治資金パーティー券を計4万円分購入。
統一教会側からイベントへの祝電を求められて応じた。
統一教会側に便宜を図ったことはなく、常識の範囲内と説明。
[303]
7月26日 防衛大臣 岸信夫 統一教会の関係者に選挙の際、ボランティアとして手伝ってもらうことがあった。 [304]
国家公安委員長 二之湯智 2018年、旧統一教会の関連団体のイベントで、「実行委員長」を務めた。
名前を貸しただけであり、それ以上の付き合いはないと説明。
[305]
8月2日 経済産業大臣 萩生田光一 統一教会の関連イベントで挨拶。
承知の上での付き合いではないと説明。
[306]
少子化担当大臣 野田聖子 統一教会の関連団体が主催した会議に祝電を送付。
同会議に、野田の代理として秘書が出席。
「共催」という形であったため見過ごしたと説明。
[306]
8月3日 経済再生担当大臣 山際大志郎 2013年分の政治資金収支報告書に、旧統一教会の関連団体に1万円の会費を支払っていた旨が記載。
神奈川新聞社の取材に対し、「政治資金に関しては、法令に従い適正に処理し、その収支を報告している」とした。
[308]
8月5日 環境大臣 山口壯 統一教会の関連イベントに、過去数回、祝電を送付。
機械的に出しただけで、意識的ではないと説明。
[307]
経済安全保障担当大臣 小林鷹之 統一教会の関連団体に対し、祝電を送付したり、地元の会合で挨拶。
地元の支持者の依頼に対応したと説明。
[307]

岸田は、7月31日の記者会見で、政治家と旧統一教会との関係について、国民の関心が高いとし、「政治家の立場からそれぞれ丁寧に説明していくことが大事だ」と述べた[309]。また、内閣官房長官の松野は8月8日、岸田の指示として各閣僚に対し、「国民に疑念を持たれることのないよう、政治家としての責任において点検し、厳正に見直しを行う」ことを要請した[310]

岸田が8月10日内閣改造を行い、新たに発足した第二次岸田改造内閣の人事について、岸田は「自ら(旧統一教会との関係を)点検し、厳正に見直していただくことが、新閣僚、党役員においても前提となる」と述べ、前述した旧統一教会との接点を認めた閣僚7人を交代させた[311]。しかし、新内閣では発足同日までに、留任した山際に加え、外務大臣林芳正(前内閣からの留任)、厚生労働大臣加藤勝信、経済安全保障担当大臣の高市早苗総務大臣寺田稔環境大臣西村明宏地方創生担当大臣岡田直樹の7人が旧統一教会との関係を認めた[312]。さらに、8月15日には、法務大臣葉梨康弘も旧統一教会との接点があることを認めた[313]朝日新聞は、15日までに同内閣の副大臣大臣政務官に任命された54人のうち、4割近くにあたる23人に旧統一教会との接点があることが確認できたと報じた[314]

政府は8月15日、旧統一教会と閣僚ら政務三役の関係について「個人の政治活動に関するもので、調査を行う必要はない」とする答弁書閣議決定した[315]

国会

8月4日立憲民主党幹事長の西村智奈美は、旧統一協会をめぐる霊感商法献金などの被害について国会に調査委員会を設置するよう、立憲民主党自民党に対して要望したが、自民党はこれを拒否したと明かした[316]

自民党

7月26日、自民党幹事長の茂木は、記者会見で「党として(旧統一教会と)組織的な関係がないことはすでにしっかり確認している」と述べた[317]。さらに、8月2日には、党の関係部局に旧統一教会との関係を調査した結果として、「これまで(党としては)一切の関係を持っていないと確認できた」とした[318]。しかし、党所属の国会議員と旧統一協会との接点が次々と明らかになっていることを受け[319]、8日、自民党総裁の岸田が党役員会で旧統一教会との関係を点検し、見直すよう指示し、翌9日、茂木は党所属の国会議員に対し、旧統一教会との関係を点検して見直すとともに、党として把握すべき事案があれば報告するよう文書で指示した[320]。8月13日には前述の通り、共同通信による調査で、82人の自民党所属の国会議員に旧統一教会との何らかの接点があることが明らかになった[302]

2022年9月8日、自民党の内部調査によって、自民党所属の国会議員379人のうち179人(47%)が統一教会と何らかの接点があったと明らかになった[321]。その中でも、選挙で支援を受けるなどの一定以上の関係を認めた議員は121人に上り、自民党は121人の氏名を公表した。

立憲民主党

8月2日、立憲民主党幹事長の西村は所属国会議員と旧統一教会との関係を調査した結果を公表し、金銭の授受や選挙での支援はなかったと発表した。しかし古賀ゆきひと中川正春ら8人に関連団体の会合に祝電を送るなどの接点があったと明かした[322]。さらに後日、次期幹事長の岡田克也・次期国会対策委員長安住淳・初代代表の枝野幸男・元総務大臣原口一博など6人も旧統一教会と関連があるとされる「世界日報」の取材を受けるなどの接点があったことが分かり、何らかの形で旧統一教会と関わりがある議員は14人となった[323]

公明党

8月5日、公明党幹事長の石井啓一は、党所属の国会議員1人が、旧統一教会の関連団体のイベントに出席したと明かした。それ以外の党所属の国会議員には、旧統一教会や関連団体との関わりはないとした[324]

日本維新の会

日本維新の会は、旧統一教会との関係について、全62人の所属国会議員を対象に調査したところ、8月5日時点で14人に関連団体へのイベントに出席するなどの接点があったと公表した[325]

国民民主党

7月19日、国民民主党代表の玉木雄一郎は、旧統一教会と関連があるとされる「世界日報」の元社長から、2016年に計3万円の寄付を受けていたことを明かした。その上で、適正に処理されたとし、返還しない考えを示した[326]。玉木は「私としても国民民主党としても、旧統一教会あるいは後継組織の集会やイベントに参加したことはない」とした[326]。8月2日、幹事長の榛葉賀津也が「世界日報」に取り上げられたことがあり、代表代行の前原誠司が同じく旧統一協会と関連があるとされる「ワシントン・タイムズ」に広告を出していたと明らかにした[327]。5日、玉木は、党内に旧統一教会の問題についての調査会を立ち上げると発表し、フランスなどの法規制を参考に、法整備も含めた対策を検討するとした[328]

れいわ新選組

8月5日、れいわ新選組政策審議会長の大石晃子は、旧統一教会との関係について、全8人の所属国会議員を対象に調査したところ、旧統一教会やその関連団体との接点は確認されなかったと発表した[329]

経済 

本事件により、日経平均株価は上げ幅を縮小した[330]が対ドル、対ユーロなどで1 円程度急騰した[331]

メディア・イベント 

7月8日 

本事件発生後、日本放送協会NHK)や民放テレビ各局は、ゴールデン・プライムタイムを含む8日の番組編成を急遽変更し、報道特別番組に切り替えた[332][333][334][335]。また、NHKニュース・防災アプリやTVerなどで報道特別番組のリアルタイム配信が行われた[336]