将門伝説と相馬氏
大化の改新により下総の国府は市川に置かれ 我孫子市は相馬郡に属していた。
しかし 大部分は未開拓の荒地であった。
ここに開拓の鍬(くわ)を入れたのは高望王を祖とする桓武平氏の一族であり のと長く地方豪族として勢力を伸張した。
我孫子市を含む相馬郡一帯は 平将門の乱を経て 坂東平八氏のひとり相馬氏の支配するところとなったのである。
将門は 承平・天慶の頃(十世紀) 祖父の常陸大掾平国香と争って殺した。
自分が父から受けた所領を取り返すためであったが この所領争いが大きくなり やがて常陸・下総地方を領して平新皇ととなえ 上野・下野の国衛を襲って対立する身となった。
いわゆる 承平天慶の乱である。
将門城は 茨城県守谷付近にあり 相馬郡一帯はその本拠地であった。
朝廷の側から逆賊ときめつけられている将門も 東国の民衆にとってはその利益を代表する救世主と思われる面が多い。
我孫子 手賀沼周辺に将門信仰ともいえる伝説がたくさんあるのも そのためであろう。
日秀はとくに 将門とゆかりがの深いところで 将門神社や将門の巣護身を祭った観音堂 将門の石井戸と称するものなどがある。