開けて悔しき玉手箱のブログ

浮世の世間で ある日 玉手箱を 開けてしまった........。 気づくと そこは......。

メディア・コントロール ノーム・チョムスキー

今週のお題「読書の夏」

以前読んだ本ですが 個人的に おすすめです。

今年は戦後70年 近代史を 学ぶためにも ぜひ 読んで 考えてみてくださいね。



1960年代 ベトナム戦争の拡大により道義的選択を迫られたノーム・チョムスキーは 投獄の可能性も覚悟した上で 反戦活動を活発化させました彼は戦争に反対を唱えることで 学者という非常に心地よい立場を危うくしましたそういう危険を冒した理由を訊かれて チョムスキーはこう答えています「朝起きて、(鏡に映った)自分の顔を、うしろめたさを感じずに直視することが出来るかどうか、ということだよ。」  

 

メディア・コントロール ノーム・チョムスキー(1993年の抄訳) 

近代政治におけるメディアの役割を考えた時、我々はどんな社会に住みたいのか、さらに民主主義社会といった場合、我々はどんな意味での民主主義を求めているのかと自問せずにはいられない。

民主主義社会とは、一般大衆が自分に関係する取り決めの場への参加手段を持ち、情報媒体が公開されている社会、というのが辞書にある一般的な定義である。

しかし、それに代わる発想として一般大衆に自己管理することを禁じ、情報媒体を限定して厳格に統制するのが民主主義であるという考えが現実に一般化している。

民主主義の概念がどう変化し、その過程でメディアの問題点や偽情報がどうやって発生したかを以下に考察する。 


<初期の世論操作>  

近代政治において最初に世論操作を行ったのは、1916年に「勝利なしの平和」を綱領に掲げて大統領に就任したウィルソン政権である。

当時国民は極端な平和主義者で、ヨーロッパ戦線への参入など全く考えていなかった。そんな中で、戦争に加担することを決意したウィルソン政権は、その国民の態度をどうにかして変えなければならなかった。

そこでクリール委員会と呼ばれる政府の世論操作委員会を設立して、平和主義だった国民を、6カ月後にはドイツ人をばらばらに引き裂き、参戦によって世界救済を願う病的なまでの主戦論者に変えたのである。

ウィルソンを積極的に支持したのは進歩的な知識人達である。

国民を恐怖に脅えさせ、狂信的なまでの主戦論を導き出すことで戦争に駆り立てた。

以来、国家政策の世論操作は、知識層に支持されれば大きな効果を上げるという教訓を得たのである。 


<傍観者としての民主主義>  

自由民主主義の理論家や報道関係者は、初期の世論操作の成功に大きな影響を受けた。

その一人が、米国人ジャーナリストの最高峰であり、評論家でもあったウォルター・リップマンである。

世論操作委員会にも加わったリップマンはこの成功を見て、「民主主義のなせる技である革命」を利用すれば「合意の捏造」が可能であると主張した。

つまり世論操作という手法によって大衆が望んでいないことを承諾させることができ、またそうすることが必要だと考えた。なぜなら大衆には公益が何であるかが分からず、それを理解し、管理できるのは少数エリートの「知的階級」だけであるというのだ。 

リップマンはこの主張を進歩的な民主主義の理論でさらに裏付けた。

正しく機能している民主主義には階級ができる。そして物事を分析、実行し、意思決定を行い、政治、経済、イデオロギーのシステムを動かす少数の特殊階級が、残りの人々をどうすべきかについて話し合う。

そして、残りの大多数、つまりリップマンのいう「烏合の衆」の雑踏や怒号から自分達の世界を保護するのだ。

烏合の衆の役割は民主主義社会における「傍観者」である。民主主義を掲げるからには、烏合の衆にも選挙によって特権階級の一人を自分達のリーダーとして選ぶことが許されている。

しかしそれが終われば、また単なる傍観者として引っ込むのである。これが正しく機能している民主主義なのである。  

なぜこういった状況になるのかというと、一般大衆はあまりにも愚かで物事を理解できないためにやむを得ないというのだ。

自分達のことを自分で管理しようものなら問題が起こるだけだから、それを認めるのは道義上正しくない。

これは、3才児を一人で道路で遊ばせないのと同じことなのだ。  

1920年代から30年代初期に、近代コミュニケーション分野の草分けで政治学者でもあったハロルド・ラスウェルは、大衆が公益の最良の審判員だとする民主主義の通説に屈してはならないと説いた。

彼いわく事実はその逆で、自分達こそ公益を一番良く理解しているのであり、単純な道徳心から、一般人が間違った判断に基づいた行動をとることがないようにしなければならないというのである。

これが全体主義や軍事国家であればことは簡単である。

棍棒を振り上げて、少しでもいうことを聞かなければそれで殴りつければよい。しかし、社会がもっと自由で民主的になるとそうはいかなくなる。

そこで世論操作という手法が必要になる。つまり民主主義では世論操作が、全体主義における棍棒なのである。 


<世論操作>  

1930年代になると大きな問題が発生した。大恐慌の中、労働者の組織化が広まり、1935年になるとワグナー法の制定により、労働者が組織化し団結する権利を勝ち取ったのである。

これによって2つの問題が生まれた。烏合の衆が法的な勝利を勝ち取り始めたことによって、本来あるべき姿の民主主義が機能しなくなったことと、大衆の団結が許されたことである。

実際、人々が力を合わせて政界に入れば傍観者ではなくなってしまう。これは非常に恐ろしいことである。

そのため、経済界は労働者にとってこれが最後の法的勝利になるよう、膨大な資金と労力を注ぎ込んだ。 

1937年のペンシルバニアの鉄鋼ストライキの時である。経営者側は武力ではなく、より効果的な世論操作を戦略に使った。

大衆に対して、スト参加者は社会の害であり、公共の利益に反した行動をとっていると印象付けたのである。

公共の利益とは、調和や協力、親米主義といった抽象的なものである。

その調和を乱し、問題を起こしている悪い連中にストを中止させようというのが、この世論操作の大筋であった。

こういったスローガンは何も意味しないが、それが秘訣なのである。焦点はもちろんその政策を支持するか否かだが、それを大衆に考えて欲しくないために、反対も賛成もないようなスローガンを作る。

重要なことは、人々の関心を核心から他へ逸らすことなのである。 

広告業界の役割は正しい価値観を植え付けることであり、彼らの考える民主主義社会とは、社会を支配する特殊階級と、組織化の手段を奪われた残りの国民からなる社会なのである。

一般大衆はテレビの前にじっと座り、人生で大切なのはたくさん物を買って、テレビドラマにあるような裕福な中流階級のように暮らし、調和や親米主義といった価値観を持つことだ、というメッセージを頭の中に叩き込まれていればよいのである。 
 

民主主義にとってはこの烏合の衆が問題なのである。

彼らが大声を発し、じたばたし始めないように彼らの関心をどこかよそへ逸らさなければならない。彼らはスーパーボールやテレビドラマを見ていればよいのである。

そして彼らを襲う悪魔の存在を信じさせておかなければならない。

そうでないと考え始めるかもしれない。それは危険だ。なぜなら彼らは考えるべきではないからである。  

これも民主主義の1つの概念である。

事実、経済界に話を戻せば、労働者にとっての法的な勝利は1935年のワグナー法限りとなってしまった。

第二次世界大戦後には、労働組合の数は減少し、それと共に労働組合と結び付いた非常に豊かな労働階級の文化も衰退し、崩壊した。これは米国が恐ろしい速度で経済界に牛耳られる社会へと移行したためである。

通常は、国家資本主義の工業社会であれば社会契約というものが存在するはずだが、米国にはそれがない。

工業社会と呼ばれる社会の中で、国家医療制度がないのも南アフリカを除き米国だけだと思う。

このような国家方針の下では、個人ですべてを賄わなければならないが、それができない国民に対して、米国では国家として最低限の保証さえしようとしてはいない。

組合は事実上存在しないに等しく、それに代わる組織もない。

少なくとも社会構造から見て、大衆の声を反映できる理想とはかけ離れていることは明らかである。

メディアは企業に独占され、どこも同じような思想を共有しているし、二大政党といっても元をたどれば1つの財界政党から派生した2つの派閥に過ぎない。国民の大半は選挙で投票すらしない。

彼らは社会の主流から退けられ、うまく関心をそらされてしまっているのである。 


<世論工作>  

烏合の衆と特権階級の間では常に闘争が繰り広げられてきた。

1930年代の反乱は一度は鎮静化したが、1960年代には再び「民主主義の危機」に突入した。大衆が組織化し、活発な活動を行い、政治への参加を目指し始めた。

このような事態は、辞書の定義によれば民主主義の進歩であるはずだが、一般には民主主義の危機とされた。

このような危機的状態は世論を左右する効果があるので、なんとかして大衆を無関心や服従という本来あるべき姿に戻さなければならない。

そのために多大な努力が試みられた。 

1970年代になると米国では「ベトナム症候群」、つまり軍事力の行使に対する病的な拒否反応があらわれた。

一般人には、なぜ絶えず他人を殺したり、また絨毯爆撃する必要があるのか、その理由が理解できなかった。

国民がこのようなことに拒否反応を示せば海外派兵の妨げになり危険である。

そこで、湾岸戦争の時にWashington Postが行ったように、「戦争の意義」を認めさせることが重要になってくる。

自国内のエリートの目的を達成するために、世界のどこであろうが武力の使用を認めさせなければならない。

それには戦争の価値が正当に評価され、武力に対する拒否反応が全くない社会を築く必要がある。

 

<事実として提示>  

病的な拒否反応を克服するには、歴史を完全に偽るのも一つの方法である。誰かを攻撃するのは、侵略者や怪物に対する正当防衛であると思わせるのである。

ベトナム戦争以来、多くの労力がそれに費やされてきた。戦争が激化し、兵士を含む多くの人々が実際には何が起こっているのか理解し始めた。

体制側にとってこれは都合の悪いことであり、何を行おうともそれは立派で正しいとされるような状態を取り戻さなければならなかった。

ベトナムを爆撃するのは、南ベトナム人から(そこには南ベトナム人しかいないのだから)南ベトナムを守るためである。

それをケネディ政権の知識人は「内部侵略」に対する防衛であるとした。それは公式のものとされ、認識される必要があった。

そして非常にうまくいったのである。メディアが完全に統制され、教育制度や学問が体制寄りであれば、それも可能なはずだ。
 

マサチューセッツ大学で湾岸危機に対する意識調査を行った際、ベトナム戦争の死傷者の数を推定させる設問があった。

米国人の回答の平均は約10万人であったが、死傷者の公式数字は約200万人であり、おそらく実際の数は300万~400万人にはなるだろう。

さらにこの調査では、「ナチのホロコーストユダヤ人が何人死んだかを質問し、たったの30万人という答えが返ってきたらドイツの政治文化についてどう感じるだろう」という質問も適切に投げかけられていた。

これらのことは米国の文化をよく現している。

米国では、武力行使に対する病的な拒否反応の克服が必要である。

ベトナム戦争についてはそれが非常にうまくいった。これは中東、国際テロ活動、中米問題等どれをとっても同じである。

米国で一般に公開されている世界の現状は、事実とはかけ離れたものであり、事の真相は幾重にも重なった嘘の下に隠されている。

しかし、全体主義国家ではないために武力には頼らず、自由主義の下でこのように民主主義の脅威を阻止している。

これはすばらしい成功だといえよう。 


<敵の行列>  

国内の社会及び経済問題が増加し続け、破滅的な状況になっているのに、政権についているものは誰一人それを解決しようとしていない。

ブッシュ政権の初期2年間だけを見ても、300万人の子供が貧困レベルを越え、財政赤字は急増、教育水準は低下、国民の大半の実質賃金は1950年代後半のレベルに逆戻りというのに何の策も講じられなかった。

このような状況では、烏合の衆の関心を他へ逸らすことが特に重要になる。

それにはスーパーボールや連続ドラマだけでは足りず、敵に対する恐怖心をかき立てなければならない。

1930年代、ヒトラーユダヤ人とジプシーに対する恐怖心を煽ったが、米国には米国流のやり方がある。

過去10年間、常に怪物が捏造されてきた。

1980年代半ばまではロシアという宿敵がいたため、寝ている間でも「ロシアが攻めてくるぞ!」と繰り返してさえいればよかったが、ブッシュ以降それが通用しなくなった。

そこで、国際テロリストや麻薬密売人そしてサダム・フセイン等を敵に仕立て上げ、新たなヒトラーが世界を征服するといっては国民を脅したのである。

そして、グレナダ、パナマ、キューバニカラグアなど、無防備な第三世界の軍隊を相手に素晴らしい勝利を収め、我々はぎりぎりのところで助かった、と思わせたのである。 


湾岸戦争>  

湾岸戦争に関する報道を追ってみると、イラク民主主義反対勢力の声が全く聞かれないことに気づく。

彼らは亡命し、主にヨーロッパを拠点に活動していた。1990年8月、米国がそれまで長い間親しくしてきたサダム・フセインを突然敵に回してからは、このイラク民主主義反対勢力の存在が無視しにくくなったはずである。

家族を殺されたり拷問にかけられ、国外追放されているイラク民主主義反対勢力は、フセインの専制政治打倒のためにずっと戦ってきた。

しかし米国の全国メディアは1990年8月から翌年3月まで、彼らについて一言も触れなかった。

それは反対勢力が発言しなかったためではない。

彼らの主張は米国の平和運動と同じものであった。

反対勢力はフセインを敵対視していたが、イラクとの戦争には反対であった。

自国を破壊したくはなかったからである。

彼らが望んだのは平和的解決であり、それが達成可能であることもわかっていた。

しかし米国の体制側からするとこれは間違った意見であったため、反対勢力の意見は米国のメディアから閉め出されてしまった。

米国ほど統制の厳しくないドイツやイギリスの新聞を見ればそれがわかるはずである。

これは米国民がいかに疑いを持たないように訓練されているかの現われではないだろうか。

これこそ世論操作のすばらしい功績といえよう。 

湾岸戦争を行った理由について考えてみよう。

その理由は、侵略者に利益を与えてはならない、そして素早く暴力に訴えることによって侵略前の状態に戻さなければならないというものだ。

このような理由は10代の若者にでも反駁できるはずだが、実際には全く覆されなかった。

もしこの原則が適用されるのならば、米国のパナマ進攻はどうなるのか。

侵略を止めさせるために、ワシントンへの爆撃を奨励したか。

さらに、1969年に、南アフリカナミビア占領は不法だと判定された時に、米国は食料や医薬品の制裁措置をとったか。

南アフリカと開戦し、ケープタウンを爆撃したか。

答えはすべてノーである。このように考えると、湾岸戦争を開始した理由は理由として全く成立しない。

これこそ、正当な理由がなくても戦争に駆り出される、全体主義の特徴なのである。
 

イラクへの爆撃開始直前の1991年1月半ばに、Washington PostとABCが行った世論調査から興味深いことが判明した。

もし、国連安全保障理事会がアラブ・イスラエル紛争の問題を検討することと引き換えに、イラククウェートからの撤退に同意するとしたら、それに賛成するかどうかを尋ねたものである。

米国民の3分の2がこれを支持したが、メディアはこれを良い提案だとは報じなかった。なぜならワシントンの命令で米国民は2つの問題を関連付けることに反対の立場をとるべきだったからであり、その結果誰もがその命令に従い、外交策を使うことに反対したのである。

事実、イラクがこれと全く同じ申し出をしていたことを1月2日に米政府高官が発表している。

しかし、米国はイラククウェート侵攻以前から、この問題を交渉によって解決することを拒否していた。

この申し出が実際にあったことや、それが広く支持されていたことを人々が知っていたら事態はどう変わったであろうか。

この3分の2という外交策支持者の数を、98%まで上昇させることも可能であったのではないだろうか。

米国民が、このような考えを持っている者は他にいないと思っていたからこそ、武力による解決策が反対もされずに進められたのである。 
 

スカッド・ミサイルがイスラエルを直撃した時にメディアは誰もそれを称賛しなかった。

これも世論操作がうまく機能していることの証拠である。結局のところ、フセインイラク爆撃の理由はブッシュの言い分と全く同じではないか。

フセインは、国連安全保障理事会全員一致の合意に反したイスラエルレバノン、シリアのゴラン高原、東エルサレムの併合を許せなかったのである。

フセインアムネスティ・インターナショナルの報告を読み、ヨルダン川西岸地区でのイスラエルの残虐行為に心を痛めていたのかもしれない。

米国が拒否権を発動するため制裁措置は使えない。

また交渉も米国の妨害に遭うとしたら、武力行使に出るしかない。フセインはこの時を長い間待ちわびていたに違いない。

フセインとブッシュの違いは、フセインの場合は米国の妨害のために制裁措置も交渉も使えないことがはっきりしていたことである。

一方のブッシュにはどちらの手段も残されていた。しかし、評論家も論説委員も、誰一人としてこの点を指摘しなかった。

繰り返すが、これも全体主義の文化が非常にうまく機能していることの証拠である。うまく合意が捏造されていることを示している。 

問題にすべきは偽情報や湾岸戦争だけではなく、もっと広範囲に及ぶ。

自由社会と、自ら課した全体主義のどちらを我々は望むのか。そしてどちらを選ぶかは、あなたや私という大衆の手にかかっている。