開けて悔しき玉手箱のブログ

浮世の世間で ある日 玉手箱を 開けてしまった........。 気づくと そこは......。

いやぁ~。 世間は こんなんだったんだぁ......。

いやぁ~。 世間は こんなんだったんだぁ......。

おいらが生まれた所は 

旧石器時代より人類が住んでいた痕跡が確認されて、江戸時代には利根川の水運が隆盛したこと、水戸街道沿いに我孫子宿ができたことで、交通の要衝として大きく発展した。

明治時代に入り鉄道や自動車、汽船などの交通機関が発達するにつれて、利根川の水運は衰退したが、現在のJR常磐線成田線の開通に伴いベッドタウンとして人口が増加した。

1911年明治44年)に嘉納治五郎が別荘を構える。
嘉納は現在の我孫子市白山に土地を購入し農園を設け、「嘉納後楽農園」と名付けている。

この嘉納の甥である柳宗悦1914年に移住し、彼に誘われる形で1915年には志賀直哉が移住している。

この時期我孫子で執筆された作品に、「城の崎にて」「和解」「暗夜行路(前篇のみ)」がある。

さらに1916年には武者小路実篤が移住し、1922年には瀧井孝作が居を構える。

さらに中勘助も、志賀直哉とのつながりから仮寓している。

加えて柳宗悦の屋敷内にバーナード・リーチが窯を築くなど、明治後期から大正時代にかけて多くの文化人が移り住み、白樺派の拠点にもなる。

その他、村川堅固西洋史学者)や杉村楚人冠(ジャーナリスト、随筆家)、柳田國男民俗学者)、坂西志保(教育家)なども居を構えていた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%91%E5%AD%AB%E5%AD%90%E5%B8%82

 

自分が育った場所で 歴史も あまり 調べないで 人生を過ごしてしまった うましかな奴 です。

あぁ......。やっちゃった(笑)

無知って 犯罪だな。。。。。

幼少期は 保育園に5年 

小学校では 学童保育

小学校時代は 万引き 

中学校では 校内暴力が 社会問題に なる 時代でした。

高校時代は バイトとバイクに はまり......。

社会にでた時は バブルがはじけて 

リーマンショックでは 家が 無くなり その後 311震災
今に至る....。

まぁ こんな人生だけど 底辺に いるから 子供の時の 暮らしとあまり 変わらない 人生か(笑)

こんな 感じの浮世の住民が 自分の感じた事を 不定期で 語りますので 宜しく お願いします。