開けて悔しき玉手箱のブログ

浮世の世間で ある日 玉手箱を 開けてしまった........。 気づくと そこは......。

うそを 見抜く 知恵を 学ぼう。

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人はなぜ必要以上にうそをつくでしょう。うそをつく本人にとっては、すこしでもいいように他人に思わせるため、思いやりのある「善意のうそ」かもしれないけど、そのうそをうけた自分はいつも傷つき、とても悲しくなります。人がうそをつくわけはいったい何なのでしょうか?
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「うそつき!」
まあいつでもどこでもよく耳にする言葉ですね。

しかし、ただ単純に「うそつき!」といっても、語尾や語意の強さや状況、前後関係まで見てみると、たった一言なのにその意味はさまざまに変わってきます。

あるときはやさしかったり、あるときは相手を責めるようにいったり、あるときははき捨てるようにドップラー効果を効かせながら走り去ったり。

さて、ここで質問ですが、皆さんは今まで生きてきて、うそをついたことが一度もない!という人はいますでしょうか?

もちろん私はうそをついたことはいくらでもあります。
それこそ、ありとあらゆるパターンのうそをついています。

言い換えましょう。
この世にうそを全く一度もついたことがない人って、いるのでしょうか?
私はそのような人に会ったことは残念ながらありません。
ではなぜ、うそをつかない人に会ったことがないのか、説明していきましょうね。

まず、人がうそをつく理由ですが、大きく分けて7つあります。

(1) 相手のためを思ってつくうそ
(2) その場から逃れたいからつくうそ
(3) うそをついていることに本人も気づいていないうそ
(4) はじめはうそをついてないつもりが、結果としてうそになってしまううそ
(5) 楽しさからくるうそ
(6) 悪意のあるうそ
(7) その他のうそ

もしかしたらもっとあるかもしれませんが、これ以上だすと本1冊分になってしまうかもしれませんので、今回はこのうち5つだけ説明しましょう。

まず(1)の相手のためを思ってつくうそですが、まあよく皆さんが耳にするのは「あなたのためを思って」ということでしょうね。
確かにそのような部分もあります。
たとえば、がんを告知されたことを家族にいえないままでいるとしたら、これはやさしさから来るうそですよね。
でも、言われなかった家族は、うそがわかったとき腹が立つでしょうねぇ。
しかし、それ以上に悲しみの方を強く感じるから、うそをついた相手を攻めてしまったり、自分を責めてしまうわけですよね。

それは、がんを告知された家族の支えになれないから、うそがばれるまで大切な人を一人で悩ませ、苦しめてしまったと感じてしまう部分なんですよね。
本当は家族を苦しめたくなくてうそをつくのに、結果として家族を苦しめてしまう、このようなケースは、日常でもドラマなどでも良くありますよね。
実はこれは、「心のすれ違い」からおきることなんですよね。
ほんの少し、お互いの想いがすれ違ってしまうことで、お互いが誤解してしまうからなんですよね。
「相手のためを思って」することは、必ずしも相手のためにならないことを覚えておいてくださいね。

次に(2)のその場から逃れたいからつくうそですが、これも非常によくある話ですよね。
責任を取りたくないから、叱られたくないから、自分のせいだといわれたくないから、とにかくこの場から開放されたいから当等、ここではさまざまな理由でうそがでてきます。

たとえば、遊んでいて家の中の何かを壊したと思ってください。
親が壊れたものを見て「誰がやったの?」と聞いてきて、素直に「自分がやりました」と答えられる人は、親のしつけがいい証拠です。
しかし、もし「○○くんがやった」とか「弟が」とか、「言い訳」をあれこれ言い始めたら、この「言い訳」がうそになる可能性があります。
親が怖くて「自分です」といったらすごく怒られる!と思ったら、正直にいえますか?
これは夫婦間でもよくおこるんですよ。
このパターンのときは、どのような状況であれ、「恐れ」の感情が基本になっています。
「怖い」から逃げたいわけです。
そして、逃げるために手段を選ばないわけですよね。

(3)のうそをついていることに本人も気づいていないうそですが、これって、意外と多いんですよ。
うそをついている本人は、自分が正しいと思い込んでいるわけです。
ですので、うそであることにも気づかないし、うそをついていることも認めないわけです。
人から「頑固な人だね」といわれたことがある人は気をつけてくださいね。
このパターンがあるかもしれませんから。

たとえば、夫がすごく不機嫌な顔をしていたとします。
妻は当然どうしたのかと思いますから「どうしたの、何かあったの?」と聞くわけです。
そして、このような時、夫の殆どは「別に」と応えるんですよね。
本音を言えば、間違いなく何かあったわけです。
でも、口から出てくることは、本音とは全く違う言葉なんですよね。
しかし、この段階では、夫は自分の本音には気がついていませんから、自分が「別に」とうそを言っていることにも気がつかないわけです。
ここには2つのうそがあります。
一つは「自分の本音にうそをついている」
もう一つは「本当はこうして欲しい、という気持ちにもうそをついている」わけです。

人間、素直な方が幸せになれますよ。

また、思い込みによる場合もあります。
あの店はあそこにある!と思い込んでいってみたら、実は勘違いをして違う場所にあった、ということはよくあることですよね。
思い込んでいる間は、自分が間違っているとは思いませんからね。

(4)のはじめはうそをついてないつもりが、結果としてうそになってしまううそですが、これもよくある話ですよね。

たとえば、熱烈な阪神ファンが「今年こそは阪神優勝や!」といっていたとします。
これが4月の段階であれば、うそではありませんよね。
なぜなら、まだ結果が出ていないからです。
そして、10月になって阪神が優勝できなかったら、この人はうそを言ったことになります。

初期の段階では、相手の言っていることがうそかどうか、それは誰にもわからないわけです。
そして、結果として相手の言っているとおりにならなければ、それはうそと扱われてしまうわけですね。
まあ今まで4つのうそのなかでは、一番悪気がないうそかもしれませんね。

最後に、(5)の楽しさからくるうそですが、これはテレビのどっきりカメラなどでおなじみですよね。
この楽しさから来るうそは、ある条件がそろったときに可能になります。

それは、うそをつかれたひとが、だまされた自分もだました相手も許し、笑い飛ばすことができたときに成立します。

うそをついている側がいくら楽しくても、だまされている側が深刻になってしまったら、それはいじめと同じなんですよね。
お互いがお互いを思いやる気持ちが大切ですよ。

以上、駆け足でお話してきましたが、私自身、うそについてはこう感じています。
うそはすべての人間が「してしまう行為」のひとつですから、おそらく人間にとって意味があることではないかと感じます。
もしかしたら、うそそのものには特に問題はないのかもしれません。
大事なのは、その「うそ」というものをどのような目的で、どう扱っているか、それぞれ個人の見方の一つなのではないか、と。
その見方を見誤ったり、扱いを間違えたとき、人は傷ついたり傷つけられたりするのかもしれませんね。

人には「うそ」を許容できるラインが、皆さん思い思いの位置にあります。
相手の許容ラインも、自分の許容ラインも正しく理解することが、うそで傷つかないポイントかもしれませんね。

最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。
またいつの日か機会があれば、この続きをお話しましょうね。

ありがとうございました。



嘘が 見抜くのが 下手な おいらは 生きづらいなぁ.....。

アスペル君な おいらは 嘘が 苦手なんだぁ~....。

子供の頃から 周りの 大人達の うそを 鵜呑みにしていたんだ。
今思うと ささいな嘘が おおかったんだけどね。

自分を振り返らずに 生きてきた おいらは 今でも 人が言う事を 信じているけど
ある時に 信じてるから 正直な気持ちを 相手にぶつけると だいたい 喧嘩になるんだ。

なので 友達がいなくなる.....。

でも 一人で いても 寂しいとゆう感情が ないせいか 何とも感じない......。
ただ またか...... この人も嘘つきだ...と しかおもえないんだ。

まったく。。。。

おいらの 周りには おおかみ少年だかりだな(笑)